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仕事とお金の話3(はじめましてシリーズ)

私も多くの人と同じように、自分が本を出す、ということをするまで、それが金銭的にどういうことを意味するのか、まったく理解していませんでした。

著者に入る印税というものは、本の価格の5〜10%。編集者やフォトグラファーが入っているか、といった座組によって変動します。刷り部数が多ければ、入ってくるお金も大きくなりますが、作家としてのネームバリューもそれほどありませんし、ネタもニッチなので、だいたい数千部からスタートします。増刷されれば、そのつどチャリンチャリンとお金が入ってきます。とはいえ、それは皮算用に入れられないものです。

と考えると、本を一冊書いて、1200円の価格がついたとしましょう。印税の受け取り手が自分だけだとしても、1冊あたり入るお金は120円。5000部でスタートして最初に入るのは60万。書くのにかかった時間がながければ長いほど、時給計算すると情けないことになってしまいます。

幸い、最初に書いた「ヒップな生活革命」本が何度か増刷されたりしたために、私は自分一人が書いたものに、人がお金を払ってくれるのだ、という事実に感動し、少しの自信を手に入れました。それまで雑誌というバンドルの中で書いてきたために、誰かが自分の作ったものに直接お金を払うという設定を経験したことがなかったのです。この本のおかげで、仕事の幅も広がり、また、イベントをしながら地方をまわる、ということもできるようになったため、本の喜びを知ることができましたが、ヒップな生活革命が誰にも読まれないまま消えていったとしたら、そのあと、またがんばろうという気持ちになったかといえば自信はありません。

地方を訪れることがヒントになったことに味をしめ、それから時間を見つけては東京の外でイベントをするようにもなりましたが、これもなかなか成立させるのが大変です。お客さんが払ってくれる入場料の一部をギャラとして受け取るのですが、これも店によって入場料から作家の取り分のパーセンテージがかなり変わってきます。旅費などを考慮するとギリギリ赤字にならないくらいです。旅先で原稿を書いたり、これもライフワークだと割り切ることでなんとか成立させています。

ともかく、自分はまだ書くことだけでは金銭的には成立できていない。他の仕事にも愛情はありますし、これまでもいろいろな仕事をしてきたので、それ自体は苦にはなりません。きっとこれからもやっていくのだろうと思うのですが、その分、本に使える時間は減ってしまいます。2冊めの「ピンヒールははかない」を出すのに3年かかってしまったのも、そういう事情がありました。それでも書きたいことはいっぱいあります。とにかく時間が足りない。と感じるようになりました。

そこで、去年、やっていた仕事のラインアップを見直しました。ちょうど始まって5年になろうとしていた&プレミアムの連載を卒業することにしました。やっていて楽しく、ニューヨークを愛するみんなに喜んでもらえる連載は、ありがたくも安定した収入源でしたが、一方で、ニューヨークのコンテンツを毎月5〜6P自分の責任で作り続けるのにはけっこうな時間と精神エネルギーを使っていました。自分とニューヨークの関係もいつしか変わってしまっていたのです。その勢いで、他のことも見直し、いくつか、コンサルティングの仕事も終了しました。ストレスと時間のバランスを考えてのことです。

この時間を、自分プロジェクトや取材に使おうと、これまでより書く時間を増やすことにしましたが、となると、急に収入が減ることになりました。

正直、お金のことはあまり考えずにいろんなことを決めてしまったので、蓋を開けてから「わ!」という感じでしたが、決めたことなのでやるしかありません。

ところで去年、大人になってからの初めてのzineを作りました。これもきちんと計画的にやったことではありませんでした。

経緯はこうです。まず、銀座でコーヒー屋をやっている友達のトリバくんに、ポップアップショップをやらないかと相談を受けました。旅先やニューヨーク・アートブックフェアや行き、自分が選んだ物を売る、という企画です。楽しそうなのですぐに引き受け、企画を進めました。

そのプロジェクトについて考え始めたタイミングで、バンコクに行きました。ニューヨークの友達でアートディレクターのJPが出稼ぎに3ヶ月程度滞在しており、「絶対好きだから来い」と強く言われたのです。この6日間で、私はバンコクに恋をしました。最後の夜、空港に行くタクシーのなかで、「書きたいことがいっぱいある」と思いました。バンコクへの紀行文を書こう、と思いましたが、本にするほどのボリュームではないし、雑誌に売り込むのも違う気がしました。ウェブに出すのもなんとなくムードが違います。

そうだ、ジンを作ろうと思い、デザインと印刷を、前から一緒にやりたいと思っていた長嶋りかこさんに相談しました。快諾されたので、原稿を書いてみたのですが、読み返してみたら、圧倒的に女性の声が足りないのです。これでは困る、もう一度行きたいと思いました。

一度目の旅はバケーションとして正当化できるとしても、もう一度行き、印刷代などを捻出するとなると、金銭的にはちょっとしたプレッシャーができてしまう。でもまあしょうがないか、と思って旅を考えて始めたときに、一本のメールが来ました。あまりにバンコクに強い恋をしたため、会う人会う人にバンコクの話を力説していたら、その相手の一人だったフランス人の知人から「バンコクのコンペに参加することになったけれど、我々はバンコクのことを知らない。バンコクの文化についてレポートを書いてくれないか」という連絡があったのです。これによって2度めの旅費がこれで捻出できることになりました。

結果、アメリカから渡った男の子たちの物語と、女性たちの物語という、二つの交わらないストーリーができました。再び、りかこさんに相談して、「A面」「B面」が真ん中でまじわるというデザインができました。

時間的な制約などもあって、印刷には予算を若干オーバーしましたが、紙や綴じなども含めて提案してもらったデザインは、想像以上のものになりました。問題は何部刷るかです。500部にするのか、がんばって1000部刷るか。リソグラフなので、部数を増やしても、一冊あたりのコストはそれほど下がりません。手売りで売るつもりでしたし、売れなかった大量なジンの在庫の置き場に困る自分を想像して、500部にしました。これまで出版社がつけてくれた値段を自分で決めるということも、なかなかの苦行でしたが、できるだけ安く提供したいという気持ちと、長く続けるためにせめて取材費を確保したいという気持ちのバランスを取って値段をつけました。

そうやってプロジェクトを進めるうちに、そういえば、何か一緒にやりたいと言って連絡をくれた翠川裕美さんという人が、katalok.oooというサービスをやっていることを思い出しました。翠川さんに相談して、初めてオンラインのストアを立ち上げました。

zineは、Toriba Coffeeでのポップアップで売り、オンラインで売ったら、本屋さんからも注文が入るようになりました。本屋で本を売るためには、コードがついていないとだめなのだと思いこんでいたのですが、そんなことはなかったのです。そうやって、ドキドキしながら作った500部は、数ヶ月ではけました。

蓋を開けてみると、うまくやれば、zineは、規模は小さいながら、出版社から本を出すのより少しだけ大きな利益を出すことができました。もちろん、出版社から出る本ほど精査もされていないし、荒々しいところはあります。誤字脱字も見つかりました。けれども、そのときの熱をギュッと凝縮した文章を、パッと出すことができる。時間をかけてしまうと、少しだけ内容が希薄になってしまうということにも気が付きました。作るのに楽しく、自分の旅の記録にもなるし、二つの要素をつなげるというフォーマットで、できることは他にもいっぱいあるような気がしました。それでできたのが、ネイティブ・アメリカンと沖縄の秘祭について書いた第二弾の「ホピの踊り/沖縄の秘祭」でした。

今、自分は過渡期にあるのかなと感じています。収入は減る道を選びましたが、自分のやりたいことに費やす時間は幸せです。そんなとき、いろんな作家仲間たちとの会話からnoteの話を耳にするようになりました。作家が直接課金できるプラットフォームだということを。

自分はこれまで、オンラインで書いてきたブログや日記を無料のコンテンツとして公開してきました。知らない読者とつながることが最大の目的だったからです。有料化を勧めてくれる人もいましたが、一度無料で始めたものを、有料にすることの難しさを知っていたし、何よりも、人さまからお金をいただくということに腰が引けていたのだと思います。

そういう壁を少しずつ乗り越えてきたところで、noteというものが世の中にできていたということに縁を感じて、またおそらくきっと自分には必要なものなのだろうと感じて挑戦を始めました。今、誰にでも見られるところには置いておきたくないパーソナルな文章を書く場所としてひとつだけ有料マガジンを始めました。

相変わらず無計画で、お金の計算はいつも後付けですが、まあなるようにしかならない。きっといつものように、やるうちに何かが見えてくるのではないかと思っています。

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