堂本剛バラードライブの破壊力

泣いて泣きまくった。
泣きすぎて過呼吸になってフラフラになりながら帰路についた。

大人になってからこんなに泣くことがあるなんて思わなかった。
しかも人前で。

それには理由がある
言い訳させてほしい。
少し長いけれど俺の話を聞いてくれ。

耳の後ろにさ、感覚機関があるじゃない?
泣くときに、じわっと熱くなるあの部分。

普段は閉じてるのよ。人より喜怒哀楽を感じやすいようだと気付いてから、閉じ方をマスターした。そうしないと感情の起伏が激しすぎて疲れ切って廃人同様になるから。生きるための知恵として自然に身についた。

自然の中や神社仏閣に行った時、意図的に開くこともできるようになった。静寂や空気のそよぎなど、わずかな変化を最大限に楽しむために。パカっと開く。イメージとしては、耳が気圧変化で詰まった時に唾を飲んだりあくびをしたりして開く感じ。あれだ。

今回、剛君の語りが長すぎたのだ。
正直、私は剛君の句読点のない話し方が苦手だった。一文がとても長い。
作文で言うと、原稿用紙一枚に一回も点や丸がつかない文章。句読点を愛し文章が好きな私からすると、大変落ち着かない。日本語は文末で話が180度変わるから、一文が長いと意味をつなげるのに苦労する。
ただし、ライブで聞く剛君の声が抜群に良いのだ。行ったり来たりする話がいつまでも聞いていられる。むしろ聞いていたい。ビックリする。その話は何度か聞いたことがある。だが聞かせてほしい。その響く深い声が聞きたいからだ。流れる水のせせらぎのよう。心地よくて、寝てしまいそう。(寝てない寝てない…多分寝てない)

そして、歌が始まる。今までのまったりのんびりは一体どこへ行ったのかというくらいの感情が乗った歌声に圧倒される。歌なのに一人芝居を見ているような物語が見える。ザ・堂本剛である。上手い、声がいい、声量がヤバい。この人は、歌が、超絶うまい。周知の事実。天才降臨。本人も60パーセントを心掛けていると言っていたけれど、感情に任せた歌ではなく、絶妙に抑制された美学。コントロールし歌い分けそこから漏れ出してしまう感情がむしろ一層強く響いてくる。

そして、また長々とした語りが始まる。
そのうち気がついた。これは緊張を解くための「技」かもしれない。
聞き流してもよい音の流れ、そう音楽を聴きながら自分に自問自答してしている時のように。
祝詞やお経のように途切れなく話す言葉を聞いているといつのまにか神社仏閣に来ているような気分になってくる。α波が出ているのか、リラックスしてまどろむ。話していることも愛と平和のことだし、繊細で弱い感情を肯定してくれる。

ファンも拍手したり適度にくすくす笑ったりしてとても暖かくて良い雰囲気である。

ここはそういう場なのだ、と理解した。
感情を解放して良い場所なのだ、愛や平和を信じても厨二病と笑われない、人生を語ってもめんどくさいヤツとは言われない、弱さを出してもつけ込まれたりしない、そんな子どもみたいな自分を曝け出して良い場所なんだと思ってとても安心した。剛君の緩やかに続く話し声が心地よくなってきた。絶え間なく流れる川の水のようだ。頭で話を理解しようとせずに五感で聞けばいいんだ。

感覚機関を開けた。パカっと。
深呼吸ができた。清々しい気分で、最大限感覚を研ぎ澄まして
最後の歌を待った。

曲前に堂本剛は泣いていた。泣いて歌えなかったら、ごめんね。愛を感じ取ってくれたら嬉しい。

文章で書くと滑稽に見えるかもしれないのだけど、彼は真剣なのだ。誰よりも誰よりも真剣にそう言う。本気なのだとすんなり受け入れて胸に響く。こんな天才がよくぞ純粋なままで大人になれたなと改めて思う。

そして私は
自分の持てる最大限の感覚を使って

堂本剛の
街を
生で

聞いた。

大人になってから人前でこんなに泣くと思わなかった。拍手で紛れてたから嗚咽は聞こえずに済んだだろうか。心なしか両サイドの方の拍手が途中から大きくなった。もしかしたら拍手の音で声を隠してくれたのかもしれん。ありがとうありがとう。

曲の途中で彼が泣いて歌が途切れた。ファンの温かな拍手が湧き起こって、剛君の歌を支える。美しい情景。のはずだ。
でも私は拍手もできず一緒に泣いていたので、見ていない。泣いてもいいから目は開けていなくてはいけない。くそう。やり直したい。もっかいききたい。

再び歌い始めた堂本剛の歌声が魂そのままのよう。伝わってくれ、どうか届いてくれと一人の人間が心底思う強さは琴線に触れる。
触れるどころか心の琴線が揺れまくって弾かれて共鳴して音が鳴っていた。と思う。会場中の人間の中から音が聞こえてきた。想いという物質のないものが鳴り響いていた。

ちなみに、本日の剛君は調子が悪かったはずだ。花粉症が酷いと話していたし、ある曲で音程がフラット気味になり、立て直していたと思う。
歌唱の天才が自由にのびのびと歌った歌ではなかった。
細い琴線の上を綱渡りするように音程を丁寧に勇気を持って乗せていく緊迫感があった。探り探りではなく、問題解決を秒速でし続けているような迫力があった。それを60%に抑えるという表現になるのかもしれない。

ボイストレーナーに歌い方を教えてもらっていることも聞けた。
たしか、堂本剛はボイストレーナーをつけないことで有名だったはずだ。癖がつくから君はやめた方がいいと言われ、その教えを守っていた。
その剛が何人ものボイストレーナーに教えを乞い、突発性難聴とその後遺症を抱えたまま歌い続ける方法をがむしゃらに進んでいる。

その結果、彼は最大値を出し続けて、今ここに立っている。堂本剛は今が一番すごい。その事実も含めて泣けて泣けて仕方がなかった。

生まれ持った天賦の才で天真爛漫なまま歌を歌っていたのではない。
失った感覚を取り戻そうと努力し続ける男がそこにいて、傷つきながらも純粋さを握り締め続ける男が歌っていた。
今までよりも更に上を目指す、この体で、この心で。これが僕だ。と訴えかけていた。
だからこんなにも泣けてしかたがないのだ。

私はこんなに真剣に生きているだろうか。我に問いかける。LOVE fighterの全身全霊を見せられたらそう思う。

ああー…私はこの人から一生離れられないなあ…

セットリスト(2023/10/11)

LOVE VS. LOVE
Everybody say love
シンジルとウラギル
愛詩雨(わからなくて他の人のセトリ参照ありがとう)
赤い鼓動のHeart
瞬き

愛もない 愛もない 今が嫌い
Rain of Rainbow
I knew me
Eyebrow blue
202021
I've found my voice
街(アンコール)

*街は堂本剛ソロデビュー曲で、20年間語り継いできた名曲。First takeで歌った時も、コメント欄に救われた一曲と書いている人の多さにびっくりした。(その頃知らなかったから)

✳︎推敲もなく書き連ねた文。書かないと爆発しそう。間違いがあったらごめんなさい。剛君の言葉はニュアンスしか覚えてない。

*セトリ訂正しました。他の方ので気がついた。ごめんなさい…

#.ENDRECHERI. Ballad of FUNK
#エンドリケリー
#堂本剛
#Ballad_of_FUNK


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