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対談企画 第7回目 元ブラインドサッカー日本代表 落合啓士さんと語る視覚障害のない世界はやさしい世界なのか?

こんにちは

高槻市議会議員の西村ゆみです。

ボイシーでいろんな方と対談をしております。
こちら

発信しました内容、耳が不自由な方にも読んで頂きたいので、noteからも同時に発信しております。
※一部視覚で読みやすいように、表現を訂正しております。

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今日は元ブラインドサッカー日本代表選手であり、一般社団法人MINAIラボ代表理事の落合啓士さんと視覚障害者が活躍する社会は優しい街づくりにつながるか?というお話を伺ってみたいと思います。

落合さん:落合です。全盲の視覚障害者です。病気は網膜色素変性症の進行性の難病でほとんど光くらいしかみえてないです。ブラインドサッカーでは2003年から日本代表をしております。ブラインドサッカーを始めて半年で有難いことに選ばれまして2017年までプレイしていました。このあとは日本代表から外れて、2020年で現役引退しました。今は視覚障害者がもっともっとやりたい仕事に就けるような一般社団法人MINAIラボを作って今は視覚障害者の飲食事業をしようとしています。また、視覚障害者の教育だとか、あとはもっとやりたいと思う視覚障害者の仕事を開拓していく団体にしようと考えています。宜しくお願いします

西村:落合さんのモチベーションの高さはどこから生まれてくるのですか?

落合さん:そうですね・・目立ちたがり屋なところですかね。視覚障害者と色眼鏡で社会は見がちだと思います。それは仕方がない部分があって、やはり障害者と関わる機会がすくなかったので知らないと思います。色眼鏡で見がちなところを、いい意味でどんどん壊していくということをやってきたのですが、その快感がたまらず、次から次へとやりたいことがでてきて、今は飲食事業をしようとしています。

西村:落合さんは、もともと高校生くらいまでは目がみえていたのですよね?

落合さん:はい。11歳から網膜色素変性症という進行性の難病を発症しまして、視力の低下と視野が狭まっていき夜盲症といって暗いところ見えなかったり、色の区別ができなかったりということが悪化していき18歳の時にほぼほぼ視力を失いました。

西村:見える世界と見えない世界を両方知っている落合さん、色眼鏡でみられてしまうところどうお考えですか?

落合さん:僕は今、46歳です。学生時代まだまだ昭和生まれのため、障害者差別が露骨でした。すこしづつ変わり始めて一番変わったなと思ったのが東京オリンピックパラリンピックが決まったときです。たとえばブラインドサッカーでいくと、いつも福祉でしか取り上げられなかったのが、スポーツで取り上げられるとか。街中でも声をかけてくれる人が増えたりとか。しかし学生時代は自分自身が障害者であることをネガティブにとらえてました。

西村:どこかでネガティブなものからポジティブなものに変わった瞬間があったのですか?

落合さん:はい、ブラインドサッカーと出会って変わりました。これまでは自分自身はできないことにフォーカスしていたんですね。ただブラインドサッカーを通して、協力したらできないこともできる、練習していけばできるようになる、ちょっとづつの成功体験を積んでいくことでサッカーだけでなく日常でも仕事でもいけるのではないか?とすごく自分の中で変わってチャレンジするようになりました。

西村:やはりチャレンジする中で、いろんな人と出会い接することで周りの反応も変わってきますよね?

落合さん:変わります。例えば街中で声をかけてくれる人に対して私はおしゃべりなのでめちゃ喋ってありがとうと言いますが、中には視覚障害を受けいけれない方もいます。そうすると、せっかく相手は声をかけたにもかかわらず、嫌な断られ方をされるかもしれない。しかしその時は、その人はそういうタイミングだった、次に会う時には困った時に助けてほしいと思うかもしれない。9割の方は声をかけてもらってありがたいのですよとよく話します。初めて声をかけましたという人に断ってしまうと、「断り方が冷たい」とか、「もう2度と声をかけない」とか、SNSで見たことがあります。私はそれを見てから、自分で全然歩けるところでも、ご高齢の方が声をかえてくれたなら、確実に一人で歩いたほうが早いときでも、貴重なご縁と思いゆっくり歩いてその時間を楽しんでいます。

西村:白杖がコミュニケーションツールになってますね。

落合さん:はい!コミュニケーションツールだし営業ツールです。あの杖は便利です。

西村:白杖もって街にでることはとても大切ですね。

落合さん:はい。あとは当事者でいくとガイドしてもらったときに何気ないコミュニケーションをとること、肩とか肘とかに、つかまらせてもらってだまっておくこともできるわけですよね。だけどそこで会話することによって新たなコミュニケーションが生まれて、例えば普段の最寄り駅だったら何回も会うかもしれないじゃないですか。そのときに関係性ができていると2回目、3回目はコミュニケーションがどんどん深まっていくと思うんです。そういう人が1人、2人増えていくことで自分自身が住みやすい街とか住みやすい社会になっていくので視覚障害者が自分からコミュニケーションとっていくことは大事だと思います

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西村:全盲で娘が生まれてきて何気ない日常の中で「見えないのにできるの?」とかよく聞かれます。すごく嬉しいのですが、見えないということに囚われて、何か思い込まれてしまうことが多くあります。そういう思い込みは視覚障害は見えないのにとか見えないからとかがあると思うのですがそれは聴覚障害、内部障害、障害なくても、重度のアレルギーで説明しないといけないとか、いろいろ思い込まれて辛いことあると思います。落合さんはそこを1つづつ潰して挑戦しているというか、思い込まれることに対してポジィティブにぶち破っている印象を先ほどのお話で受けました。そのあたり詳しく聞かせて下さい。

落合さん:やはり知らないから目が見えないから何もできないと思うのは仕方がないと思います。僕はそれを壊して「そんなのできるのですか?」が楽しくて。

西村:楽しむんですね!

落合さん:そうです。このために自分が努力をしてスキルを磨いています。目が見えている人たちは目が見えないことで何ができるか全然知らないし、目が見えないから危ないというのですが僕からしたら目が見えている人は油断してそっちのほうが危ないよということが多々あります。例えば、僕は一人暮らしを15年して自炊してました。包丁使うしガスも使うけど、一回も指を切ったことないし、お鍋も焦がしたことないし。でも目が見えている人は人によって指切ってるし。目が見えてないからできない、危ないというわけではありません。

西村:分かります。先日娘がお茶をご飯たべているときに手があたってこぼしたときに、周りの人から言われたことがあるのか「目が見えないからこぼしたのかな」とかいうので、いやいやいや、目が見えててもみんなこぼすからと伝えてます。

落合さん:そうなんですよね。目が見えているからリスクが低いという考えはやはり違うと思っています。例えば、80,90歳の高齢者、目もみにくい耳も聞こえないくい、足も重たい、そういう人は目が見えない若者とどっちがリスク高いですか?と天秤にかけた場合、多分変わらないし、目が見えない若者のほうがリスク少ないかもしれない。目が見えないというだけで社会が可能性をつぶしてしまうということは、今まではそうだったかもしれないけどこれからは変えていかないといけません。なぜなら、人口減少が起こってきていて、人手不足が進んでいる。ということは障害を持つ人もかなりの戦力で使っていかないと経済が回らないと思います。視覚障害者も、もっともっと社会で活躍できる人材を育てていくことが日本の経済をよりよくしていくと思います。今までは仕方がないことなのかもしれないけど、盲学校で視覚障害の雇用を広げる努力はされてないし、社会側も企業側も目が見えないからできないだろうということで、できそうな仕事をあてこんでいる。今までは仕方ないかもしれないけど、英語でいうとcanの時代、でもこれからはwantの時代、視覚障害者がやりたいということに対して、ではどういう工夫をしていったらやりたいが実現できるのか?を作っていくのかを企業だったり教育だったり社会だったり、枠組みで考えていくことが大切と感じます。なので会社を立ち上げて今まで無理でしょと言われている職業を開拓して無理だろうと思われることに挑戦していきたいです。

西村:飲食店するんですもんね?

落合さん:はい、今準備をしているのは、うどんやとクラフトビールを視覚障害者がメインで働くお店と蔵を創ろうと思ってます。

西村:ちょっとの工夫でできますもんね?

落合さん:そうなんですよね。

西村:同じやり方で目が見えない人もなんとか当てこむことは、これまでのやり方をかえようとしないのと同じですよね?少しやり方を変えるだけでみんなできるのに・・・

落合さん:本当にそれは感じます。システムなどいろいろありますが、今作っている人たちになんでそれを作ってるんですか?と聞く。今タッチパネルを進めているのですか?そこに合理的配慮あるのですか?と担当者に聞くと「便利だから」と。しかしそれは目が見える人には便利だけど社会にとっての便利とはまた違いますよね?と言っています。機械が扱えない高齢者には不便なんですよね。それは、人手不足だからタッチパネル、そこに対してシステムを作る人が少し障害のことを知っていればフォントを大きくするとか、コントラストはっきりするとか音声のボタンをつけるとか、少しのことでみんなが使いやすいものになるのに、知らないことでそこを排除してしまう。
なんか、もったいないなぁと思うことが多々あるし、視覚障害者でいうとテクノロジーとの相性がとてもいいのでもっともっとテクノロジーを利用したらいいのにタッチパネルとか自分たちが使いたいなぁということに音声のアクセシビリティがなくて。いろんなものがなぜ今、視覚障害者のためになっていないか?もっというと今ある視覚障害者のサービスこれでいいのか?と考えていくことが大事だと思います。僕は最近、ちょうど点字ブロックについて話す機会があって、点字ブロックって街中でもすべて端っこにあるじゃないですか。なんで端っこにあるのか?と問いかけたことがあって、点字ブロックは1976年に岡山県で始まって普及して、今では世界で大事な視覚障害者の道しるべになっているのですが、おそらく昔は障害者は端っこを歩くものであったのではないかと思ってます。
しかし今、駅とかで端っこを歩くと端っこのほうが危険がいっぱいなんです。東京駅とか歩くと人気のお店で行列ができててぶつかるんです。お店のギリギリに点字ブロックがあると朝とか台車がおいてあります。看板があったり木の枝が民家からでてたり。多分みんなに聞いても分からないと思います。端っこのほうが視覚障害者にとっていいと思いますしか答えないと思います。

西村:なぜなのか?と考えることすごく大事ですね

落合さん:大事です。そこを考えて昔はそうだったからは仕方がないことなのですが、本当にいいもの、いい状態であればアップデートしていくべきだと思います。点字ブロックの設置場所、テクノロジーのアクセシビリティとかもアップデートして、障害があって可哀そうとかではなくて、高齢者もベビーカーを押している人も外国人も、その人にあわせたサポートの仕方をみんなが考えて、「なぜ」ということであればみんなで声をだして。時代が変わればよいものも変わっていく。それに対してあわせていかないと、街としてもいろんなエリアが追い抜かれてしまう

西村:過去5年間を振り返ってもすごい勢いで時代が変わっているじゃないですか。今がどうというよりも、5年先どうなるか?時間軸を考えながら今できることを考えること、時間軸の幅を広げること大事だと思っています。街づくりは特に今日明日でできるものではないので。

落合さん:そうですね。ただ、今日のちょっとした努力、発信が明日を繋いでいくので小さな続けた先の5年後は変わると思います。ただ5年後の広がる世界をみておかないと今日何をしたらいいか分からないのでバランスは大切です。

西村:最後に落合さんにとってやさしいとは何ですか?視点を教えてください。

落合さん:やさしいとは、例えば障害者であれば健常者が助けるではなく、お互い50の思いやりを持って接すること。同じ人なので困っているときに助け合うし、目が見えないから目が見える人が100%助けるではありません。会話をするとかだと視覚障害者が助けることもあります。そういう関係性がやさしいまちづくにつながると思います。お互い思いあって行動する大切さです。

西村:障害のある人=助けられる人という認識自体も変えていかないといけないですね・・。助けることもありますが、助けられることもたくさんあります。

落合さん:あと、当事者側も助けられて当たり前ではないことです。自分が助けるチャンスがあるのだから。例えば関東から関西に遊びにきた人が道が分からないと迷っていたら声を出して教えてあげたらいいんですよ。当事者側も困っている人がいたら助ける、みんなが支え合う考え方がいいですね

西村:ありがとうございました

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