見出し画像

全盲児の育てる

こんにちは

娘の視力は色が見えるだけで形は捉えていません。
障害者手帳は1級の「重度視覚障害」つまり「全盲」に該当します。

いろんな出会いの中で、「私の娘は全盲児です」と伝えると、驚かれ、びっくりされ、そして必ず最後に「子育て大変だと思いますが、頑張ってください」と応援されます。

見える、見えない関係なく、子育ては全員頑張らないといけないと思うのですが、なぜ目が見えない子供がいると「大変だと思う」の考えになるのかか、いつも不思議でした。

おそらく、何もできない、一人で動けないと思われている全盲児を、働きながら育てる私の印象は周りから見たら「可哀そう」に映っているんだろうなぁと思いました。

実は、このイメージこそ完全なる思い込み。

まず、娘に関しては白杖を持って歩いていなければ、娘の動きを見て、目が全く見えていないことに気づかれないくらい、ちゃんと動きます、歩きます。自分の事は自分でやります。盲学校ではなく、地域の学校に通っているので、みんなと同じように給食当番も、掃除当番も、日直もこなします。

ただ少し、やり方の方法が見えている子と違うだけなんです。
だから少しだけ人より時間はかかります。

ついでに私は可哀そうなのではなく1歳から働いて仕事の量も質も有難いことに随分変わりました。
そして、娘が4歳の時に、前から通いたかった大学院でMBA習得ができました。
娘も大学院の授業に1度だけ出席したことあります。
折り紙しながら、おとなしくちゃんと座ってお話聞いてました。

この8年間、そして今もですが、「全盲児」という言葉だけでいろんな人から、いろんな思い込みをされるなぁと感じています。

女性というだけで「手先が器用だ」とか「料理が得意だ」のようにイメージで勝手に思い込まれている感覚と近しい感じです

と、偉そうに言ってますが、私自身も、今だから気づいた事であり、娘を産んだ直後から、毎日笑顔で全盲児の子育てをしてきたのか?と問われると

答えは120%、NOです!!!!!!!!

スタートは明日すら見えない絶望の状況から始まりました。
夫曰く、出産直後は家の外観が泣いているように思えるほど?!ひどい落ち込みようだったと未だに言われます・・・・

もがき、苦しむ課程の中でいろんな出会いがあって助けられての8年間。
私が目指すべき、ライフワークは、

娘が20歳になったときに、目が見えない人もみんなと同じように「選択肢をもてる社会にしたい」なと思いました。

そして、選択肢を持てる社会にするための一番のハードルが、視覚障害者も、それに関わる方々も、勝手に思い込んでしまう事であることに気づきました。

障害そのものが障害なのではなくて、勝手に思い込まれることが一番の障害だと実感する日々。この辺りはまたいつかまとめて書いていきます。

なので、

子供の目が見えない事が分かった、
目が見えないかもしれない、

など、「見えない」事で悩んでいる方がいたら、
大丈夫だよー!!勝手に思い込まないでー!と伝えたいと思いまして
シリーズで書いていきたいと思います!

全国で唯一、大阪にしかない赤ちゃんが通える自立支援の教室にて(療育機関ではありません)たくさん大切なことを教わってきたので育て方のポイントを書いていこうと思います。
主観的ではなくて俯瞰的に、そして理論を元に書いていきたいと思います!!

長くなったので続く

⭐︎⭐︎⭐︎

株式会社美キャリアのHP

https://www.becareer.jp/

同行援護事業所 てくてくのHP

https://www.tekutekuu.com


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?