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じぃじ

平成の締めくくりの4月30日
大好きな祖父、じぃじがなくなりました。

私がじぃじの旅立ちを知ったのは5月3日、
旅行から帰国した成田でした。
普段から帰国したら家族に連絡するのですが、珍しく母から帰ったら連絡してね、と再三言われたのできっと何かあったのだろうと覚悟していました。
その反面、電話するまでは何もないよ、きっとだいじょうぶだと言い聞かせていました。
電話をした時の母の声が妙に明るかったので、あ、これは良くない知らせだなと悟ってしまいました。
母は私たちを悲しませたり心配させまいときっとそのように振る舞ってくれたのでしょう。

でも、一瞬で、
とてつもない悲しさに包まれました。

私が最後に祖父にあったのは去年だったと思います。
大正生まれの祖父は90過ぎても自分で歩いていたりおしゃべりもできていました。
だから、まだまだ元気だってずっと思っていました。
台湾の出張のお土産で購入した乾燥梅干しをおいしい言っていたので5月の出張の時にも買ってくるねと約束していました。

もうその約束が果たせないんだ、そう思うと大きな波のように悲しいという感情が一気に押し寄せました。

帰国してすぐに長野に行きました。
じぃじの祭壇にお参りしましたがよくわかりませんでした。
ひょっとして今日はデーサービスに行ってるだけじゃないか、いつか戻ってくるんじゃないかな、そんな気持ちでした。

今まで自分が歳をとることばかり気にしていたけどその分みんなが歳をとって、老いていつか亡くなる。
そんな当たり前のこと知っていたけど、改めて現実となると当たり前じゃないやって思うし、大きな悲しみとなってこれをあと何回乗り越えればいいの?と心が折れそうになります。

後悔もたくさんあるし、悔しいです。
でもそれ以上に本当に長い間、生きててくれてありがとうという気持ちでいっぱいです。
じいじはいつでも仕事や学校のこと、質問してくれてそれを鬱陶しいと思ってしまった時もあるけど興味を持ってくれたし、とってもチャーミングで大好きでした。
いつかプレゼントしたくまモンの湯たんぽと一緒に天国へ行ったよと母に教えてもらって、私はそれくらいしかできなかったけどいつも遊びに行く時にくまモンと一緒にお昼寝してるじぃじを見て、とても嬉しかった。

じぃじはこの文章を見ることはないけど、じぃじに伝えたかった文章としてここに残しました。

じぃじ、ありがとう。
安らかにお休みください。




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