MeeTooみたいな何か、時系列で少しかきました(1)

2014年ごろにあったパワハラについて書きます。なぜ今書くのかといえば、理由は大きく二つあります。

一つ目は、人づてに私と同じような目にあっている人が複数人いると聞いたからです。あの時私が後に続かないように止めなかったことが今を作っているかと思い、それを悔やんだから。

二つ目は、複数人に圧力をかけながらも女性や人権や暴力についてのディスカッションを行うのを見ていると、彼らの行動の背後を知らずに参加している人たちに申し訳ない気持ちになったから。

時系列でまとめようと思いましたが、量が多くて数日分しかできなかったので最初のだけ出しますね。

まずは芸術祭の説明です。長いですが、こんなに小さい組織だったのですということを伝えたくて書きました。この文章の下に、その小さい組織の中で起こった事を書きました。
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私は福島県福島市で行われた芸術祭の総合ディレクターをしました。
2013年は、福島市の土湯温泉町が舞台の「土湯アラフドアートアニュアル2013」、2014年は、舞台を広げ福島市と共同開催した「アラフドアートアニュアル2014」の総合ディレクター、2015年は事情があって福島で開催できず、アラフドと北アイルランドで国際交流展として「When the Wind Blows」の共同キュレーターでした。

「アラフドアートアニュアル」の開催目的は、土湯温泉町民・こけし工人・芸術家・研究者を交え、「言語だけではない対話」を試みることです。言語だけではない対話というのは、具体的には芸術鑑賞のことを指しています。

メイン会場の土湯温泉町は、国立公園の中にあります。212世帯432人が住み、小学校に通う児童は13名。福島市の中でも高齢化が一番進んでいる、山あいにある小さな温泉町です。地形は、山に囲まれた谷間にある小さな温泉街。町の真ん中には、小さな町にしては面積を占める川が流れています。

アラフドとは、新雪を踏み固め道筋をつくるという福島の方言。2013年度、2014年度共に国内外30組以上の芸術家や研究者などが参加しました。

 2011年3月11日東北地方を襲った大きな地震はその後、原発事故へとつながりました。土湯温泉町を流れる川は、24時間265日休みなく海へと流れています。川の流れは風を生みます。放射能は海側から風にのってやってくるものです。四方を山という壁に守られ、つねに風が海へと流れる。この土湯温泉町は除染をしていないにも関わらず、放射線量が低いのです。そのため、土湯温泉町は県内の方々の憩いの場となっていますが、震災以前は16軒あった温泉宿も2013年は11軒。経済は半分になりました。

3分の1もの旅館が1年という短い時間の中で、見えない被害によって廃業に追い込まれました。地震・津波・放射能・風評被害と様々な問題が東日本を覆っている中、私たちは未来へと何を残していけるのでしょう。今ある政治や利権にとらわれずに言葉を超えた話しあいの場を持つことが、この芸術祭の主眼です。

この芸術祭はとても小さい芸術祭です。芸術祭を始めたきっかけは「町おこし」です。地域芸術祭の批判の的になっている、芸術が第一目的ではない「町おこし」です。半分になった経済、放射能で汚染されているという風評、それにより今後も集客も見込めない温泉町。そんな温泉町で開催する「町おこし」の芸術祭です。では具体的に「町おこし」の内容をみていきます。

観客は数の減った温泉客なのでしょうか。温泉町は、芸術祭を始めるずっとずっと前から、いろいろな催し物をしていました。それは誰が企画しているのか。町の観光協会や青年部です。芸術祭ではないので、キュレーターやディレクターはいません。小さい温泉町なので、旅館は基本的に親から子に受け継がれます。子は成人になると「青年部」に入り、旅館業以外の町の仕事を覚えます。そして年がきたら「親会」に入り、また「観光協会」を兼任する人もいます。

「被災した福島の温泉町」には誰がくるのでしょうか。それは温泉客ではなく、さまざまなボランティア、社会学者、大学のゼミ、そしてアーティストたちでした。私も町が困っていると聞いてやってきた観光客気分のアーティストの一人でした。2012年のことです。しかし、町は一見して「被災」していません。ただ、ゴーストタウンのように、人の気配がありません。放射線量も低い、山あいなので、津波も来ない、地震でヒビが入ったものはあるにせよ崩壊した建物もない。そんな震災前と変わらない寂れた温泉町です。ただ、そこは「福島市」です。その当時、福島という言葉には放射能という響きが隠れていました。

それ以前に被災地で泥出しなどのボランティアをしてきた私にとって、「何も壊れていない」ように見える町が「被災で苦しんでいる」というのは、なんだか不思議でした。よく町をみると、閉館日のような温泉宿の玄関にA4サイズのコピー用紙が張り出してあります。そこには銀行がこの物件を差し押さえたと書いてあります。温泉宿には中居さんや料理人さんがいます。お客さんが来なくてもお給料は支払わないといけません。お金が足りないときは銀行から借ります。しかし今後の集客予定のない温泉宿にお金を貸してくれる銀行はあるのでしょうか。

町にお客さんの姿が見えなくなり、銀行が建物を差し押さえ、そして足場が組まれ更地になる。これは経済の問題のようにみえました。そして人々の中の「穢れ」の問題にも見えました。「あの土地は穢れている」という人々の想像力が町の景色を変えた。たった一年という短い期間で。

私はアーティストとして、人々の想像力が町の景色をかえたこの温泉町が気になり、一度下見に来た後に改めて寝袋をもって、使っていない社員寮の一室に一人でしばらく滞在することにしました。そうしながら、町の人たちや、青年部の人たちのこれからの自分たちの旅館や町に対しての考えを聞いていき、お互いを知り合っていきました。2012年の夏前までは芸術祭を開催することは考えていませんでした。ただ想像力が変える町の景色を見ていただけでした。

しかし、ある大学のゼミの人たちが来たときに、一人の生徒が越後妻有トリエンナーレの新聞記事を持ってきて「芸術祭というのがあって、なん億円も経済効果がある」と言いました。その当時の「福島」には入れ替わり立ち代わりで色々な大学の学生が調査にきていました。芸術祭は経済に結びつくと新聞記事を持ってきた学生は、芸術系ではなく水質調査をしている先生の生徒さんだったと思います。

芸術祭は経済効果がある。それは本当なのかもしれませんが、こういった小さい町にとってはかなり眉唾です。最初、私は反対しました。「現代美術というのは意味不明で、見てもわからないから集客できない」「八重の桜(というドラマが流行っていた)展とか、放射線量が低いので子どもを対象にしたものが良い」と提案しました。しかし町の青年部は「現代アートってなんだ」と聞くので、私は、私の知り合いのアーティストたちの作品をいろいろとみせて説明をしました。

そうしたらとても興味を持ち、「ユミソンのアートも見せてよ」と言うので、コンセプシャルアートをなんと説明したら良いかわからず、「展示をみてる時とか見た後に、頭の中で見える方が作品。人の夢の中でつくったりするもの」と答えました。

青年部は「せっかくユミソンが町にいるんだから芸術祭をやろう、頭の中でしか見えないものをみたい。そんなの聞いたことない!」と言ってくれました。そして「今までずっと季節ごとにいろんな催しを考えて、いろんなことをしてきた。大体は失敗している。現代アートの展覧会が失敗しても大丈夫。現代アートだけを責めないよ。」「アートのことはわかんないから自分たちに見せてくれ、自分たちは宣伝や集客のノウハウはあるから任せてくれ」とも言ってくれました。なので、この展覧会は「震災」や「復興」がテーマではなく、「現代アートを町の人たちに見せる(頭の中までも)」というのはテーマでした。「言語だけではない対話」とはそういう意味もあります。ものを見て、その先も見る。

アーティストたちは普段自分が作っている作品をきちんと見せる、町の人はそれを見て、また他の人にも見せれるような工夫をする。私と青年部の役割は、そういう住み分けです。だから町の人たちも「現代アートを理解していないといけない」ということはなく、私も事務的なことに長けていないとダメということもない。別々のお互いの仕事をするという約束を、当時の青年部長と握手をして取り交わしました。そういう「町おこし」なのです。小さな町の、小さな展覧会なのです。

予算も少なく、アーティストと地元の人たちの手弁当から始まったものです。アーティストの交通費も最初はユミソンバンク(一瞬で破綻した)からです。制作費と交通費込みで最初の年のアーティストは三万円しか払えていない人がほとんどです。それでも了承して来てくれるアーティストなのです。私が誘っているので招聘と書いていますが、来てくれてありがとうという人たちです。そして町の人たちに素晴らしい現代アートを見せるのが私の仕事なので、参加してくれたアーティストたちは自信をもって紹介できる人たちばかりです。

ですので、行政主体のものではありませんでした。私の「総合ディレクター」という役職も、運営委員会からの「いろいろやってくれて、ありがとね」の別名でしかないと思っています。しかし、うっかりというか頑張りすぎたというか2013年は、全国版のテレビ放送や各種メディアが多く取材に来てくれ集客もよく、日経新聞では「注目のアートフェス」にランクインし、あいちトリエンナーレや瀬戸内国際芸術祭と並んで紹介してもらったのもあり、手弁当ながらも対外的には大きな芸術祭に見えていたようです。そうして翌年は福島市と共同開催し、銀行からの文化予算も出ることになりました。

また、アーティストではない目線があるのもこの芸術祭の特徴の一つで、2013年は私が以前に鑑賞教育で一緒に仕事をしていた総合研究大学院大学の先生がたくさんの研究者たちを連れてきてくれました。研究者たちはアーティストと協同で作品もつくり、それは断片的に現在まで続いています。そして、遺伝子研究をしている研究者は特に深く関わり、2013年は制作に、2014年は運営のスタッフになってくれたほどでした。

また私も非常勤をした東京大学の北田さんも生徒さんを連れてフィールドワークをし、レポートを提出してくれました。

他には以前私の展覧会を見にきてくれていた筑波大学の経営学部の先生も、2013年はアドバイスをする立場として関わってもらい、作品だけではない切り口で町の景色を見ていきました。

2014年は予算規模も大きくなったのはよかったのですが、福島市と協同開催になったので小さな温泉町から福島市西部地域と展示の舞台も大きく広がりました。私1人ではできない大きさだと思い、2013年にたくさんのアーティストを連れてきてくれていたCAMPの井上さんに2014年は一緒にやりませんかと声をかけました。2014年のアーティストは井上さんと相談しながら決め、アーティストの半分は井上さんが名前を出してくれました。

大学人としても社会学者としても様々なアドバイスをくださった北田さんに2014年は大学としてではなく個人的なアドバイザーをお願いし、総合研究大学院大学の先生と研究者たち8人は、それぞれの専門領域から作品をみて解説するワークショップ「世界と解説」を行ってくれました。筑波大学の先生も引き続き子ども向けの経営WSをお願いしました。

こうして「言語だけではない対話」は町の人たちだけではなく、想像以上に多くの人たちとなされることになりました。まだ1回目が終わったばかりの芸術祭が、地域の人たちに現代アートを見せながら、これから少しづつ大きく育つにあたり、アドバイザーとしての北田さんやキュレーターの井上さんがいることはとても頼もしく思っていました。

しかし彼らはこの土地でなし得る芸術祭の体制を育てるのではなく、最初から相対化されうる正しさを持って存在していなければならないとして、糾弾していくようになりました。
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ハラスメントの時系列を大雑把に書きます。
2014年4月
北田さんの言動が激しくなりはじめる。追って、井上さんからも。きっかけとして求婚を断ったからかなと書きましたが、セクハラとは書いていないです。ずっとパワハラと書いています。
2014年7月4日
「打ち合わせ」という名目で急遽呼ばれた個室居酒屋の会話を録音。録音したことを北田さん井上さんに伝えると、ディレクターを降りてもらうと告げられる。
2014年7月6日
パワハラされていることをはっきりと文章で書く。
北田さん井上さんは独断で参加アーティスト全員に、ユミソンはディレクターを「健康上の理由」で降りると電話とメールをする。
2014年7月7日
北田さん神野さんが、町の観光協会に大学の名を記載し、ユミソンを辞めさせるように要請する。
2014年7月9日
北田さんから、「朝起きたら虚脱感に覆われた。芸術祭はユミソンさんだからできた「作品」。ディレクターを続投して欲しい」とメールがある。同時にアドバイザーを辞任したいと。
2014年7月11日
井上さんから運営委員会に「ユミソンの言動によっては大きな組織が動きますよ」と電話。
2014年7月12日
北田さんから良好な関係を作る誓約書が届くがユミソンがサインをしない。
北田さんアドバイザー辞任
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーこの後、芸術祭のスタッフの1人は、北田さん神野さんの要望に従いユミソンを運営委員を通さずに辞めさせようとした責任をとって辞任しました。
まだ北田さん辞任後も、井上さんと神野さんが残り私のいない新しい彼らの人脈を多くいれた組織体制図を作ったり、東京で井上さんたちが会合などを開いたり、などなど続きますが、一旦これだけ公開します。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー北田さんは2013年にお客さんとしてボランティアとして大学の教員として、芸術祭に様々なアドバイスや尽力を尽くしてくれました。なので2014年はアドバイザーとして関わってくれないかと私から打診しました。井上さんは2013年はCAMPとしてたくさんのアーティストたちを連れてきてくれました。なので2014年はキュレーターとして関わってくれないかとお願いしました。

そうしている中の2014年の4月以降、北田さんの私への言動に、躁鬱的にも取れる気分の抑揚の変化が見られるようになりました。北田さんに対して、井上さんは最初なだめたりしてくれましたが、そのうち井上さんも北田さんと一緒の時は、言動が高圧的になってきました。井上さんからは「ユミソンの友だち感覚がイヤ」と聞いていたので、それが原因かもしれないです。わからないけれど。

私は井上さんと北田さんの言動に対応しきれなくなり、2014年の7月4日の夕方に「打ち合わせ」という名目で急遽呼ばれた、東京の上野の駅前の個室居酒屋での会話を録音しました。この日、私は福島にいて、アーティストのアテンドをしていました。「アーティストを置いて今すぐ来るように」と強く言われましたが、アーティストを福島に残して行くことはできないので「アーティストをないがしろにしろということですか? それは北田さんに対する私の信頼を失うことになります」と言いましたが、「いいから東京に今すぐ来るように」と返され、私は東京に向かいました(東京に着くと「信頼を失う件は聞いてないから撤回しろ」と言われました)。

北田さん、もしくは井上さんから突然くる電話は、例えば福島の山間部の電波が届かないような時は、私だけではなく一緒に行動しているアーティストへも電話をし続けます。まだ展覧会前なので、急を要するような連絡事項はありません。また人に見られると良識を疑われるようなメールも何度も来ました。

個室居酒屋での「打ち合わせ」の翌日の7月5日は、展覧会のテーマを決める打ち合わせが夕方に「鶏・旬菜・お酒てけてけ 秋葉原・末広町店」で行われる予定でした。私は7月4日の個室居酒屋でのストレスから打ち合わせに向かえる状態ではなく、神野さんに相談しました。

(7月5日の神野さんに送ったメールまで、私は誰にも言わずにいたことがあります。それは4月に北田さんから婚姻関係を求められたこと。それは法的にも不可能な状態だったのでお断りしたことです。時期的に、その後から私への言動に変化が見られるようになりました。

しかし、私は北田さんのプライベートな問題で、そして私がお断りしたことが北田さんのプライドの問題に関わるかもしれないと思い、第三者に話さないでいました。神野さんへ助けを求めた時もまだ「婚姻関係」とは言えず、ぼかして「恋愛関係」と書いていました。

また下のメールで「恋愛関係の強要」と書いているのは、私の書き方が悪いです。性的なことは強要されていません。一月くらいの間に様々な婚姻についての提案がなされ、困り果てたことです)

初めて第三者へパワハラの助けを求めたメール
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メールの宛先:神野さん
2014/07/05 12:39
おはようございます。ユミソンです。神野さんの携帯番号を教えてもらってもいいですか?
誰にも井上さんにも言わないで欲しいですが、実は4月くらいから北田さんに定期的に圧力的な関係を強要されていて。最初は恋愛関係の強要でしたが、今は権力的圧力です。いつもは優しく、北田さんの気分が悪い時期にかかるとそうなります。

昨日は私は福島に居たのですが、アーティストの下見をそっちのけで、すぐ新幹線で東京の自分の所に来いと言われました。私はいかざるを得ませんでした。昨日の会合では、いかに自分が私のために苦労しているのか、それを理解していない私を怒鳴り散らしました。

私が怖くなって「北田さんと暫く会いたくない」と、少し前から北田さんに発言していたので、「北田さんに不信感を抱いている私」に対して不信感(不快感)を抱いている北田さんの信頼を早急に取り戻す「何か」を提案しろと言われました。先方の提案は、目を合わせたり握手したりで、それは初歩的な事で、もっと早急に信頼を回復する「何か」を具体的に示せと言われ、私は泣いて謝るばっかりで、目を合わせたり握手したりもしませんでした。

(お酒を呑んでいない居酒屋の帰りに)胃が痙攣して吐いて、(メッセージで)もうダメだと言ったのですが、井上「愚痴ですね」北田「会わないって意味ですか?」「聞き流します」と言われ、(私は)こっそり録音していた事をバラし、倒れたらこの録音を提出しますと言ってしまったのです。それで更に(北田さんと井上さんの)怒りが大きくなってしまいました。今は(北田さんと井上さんは)私をディレクターから降ろすといっています。
私は本日はとても会合ができる体調ではありません。

井上さんは、「ユミソンの身体が悪くなっても(ユミソンは)芸術祭は進めるべきだ」といっています。北田さんにアドバイザーを頼んでいるのだから、北田さんに謝るようにとも勧められています。「言い方は悪いけどもう少し東大の力を借りるべきだ」と言われています。

本日の会合はテーマについて話し合う大切な会ですが、こんな状態でも体裁を取り繕うために会合を開くことは良いとは思えないです。私は恐怖から正しい発言ができる状態ではありません。Tさんが具合が悪く、本日出席できないとのことで、神野さんから、みんなで集まれる日をもう一度仕切り直しを提案してみてくれませんか?

北田さんも悪い気分の時期が過ぎたら、また戻るとおもいます。定期的にくる何かだと思っています。芸術祭の会合でこんな生ぬるい事を言うのは怒られるのはわかっていますが、みんなの気分の良い時に集まれればとおもいます。

先方の立場などもあるので、他言はしないでください。普段は優しく(北田さんも井上さんも)一緒に考えられる人だと思っています。私のわがままを押し付ける形で申し訳ありませんが、私から(行きたくないと)言うことができないので、日程の改めを提案して頂けると助かります。

本当に本当に申し訳ありませんが、ご検討をよろしくお願いいたします。

神野さんは、このメールに「いろいろ正直に仰っていただきありがとう」と返信してくれましたが、日程の変更はできず、私の参加しない会合に神野さんは向かいました。そして会合が終わった後は、北田さんたちと一緒に行動するようになりました。

余談ですが、数年後ある人から「***教授にセクハラとパワハラをされて困っている、研究の道はあきらめようかと思う。でも、***教授も知り合いの**先生に相談したら、苦言を申してくれるかもしれない」と言われたので「私もかつて同じことをして失敗したことがあるので、別の道を考えよう」と答えました。

やっとの思いで相談した人から、手のひらを返されたような対応をされると、想像より心的ダメージが大きいです。一般論として、ハラスメントをする人に近しい人は、実はそのハラスメントについて了承済みで付き合っているのかも知れません。相談するとハラスメントする側の人につく可能性が高いかも知れません。

大変な心境の時はそのような判断ができなくなって「近い人が注意してくれれば!」と思いがちです。かといってハラスメント相談室が大学の内部に存在していると相談しにくいです。すぐその教授の耳に入り通報者が特定されます。大学の第三者機関として置いてくれたらまだ相談しやすいと思います。

話を戻すと、この会合の議題だった「テーマを決める」というのは、この時期になっても私がテーマをうまく一言でまとめられずにいたので、広報資料にも使えるようにまとめようという会議でした。2013年は町の人や実行委員と相談しましたが、言葉にするのは私一人で心もとなかったのです。特に、この時期の「福島」はそれ以外の人たちからの見られかたと土地に住む人たちの感覚の乖離が激しく、それをどのように表せばいいのか、とても悩みました。

私が芸術祭を準備していた土地は、近隣地域の中でも放射線量が特に低い町。除染も行っていなくても低い土地です。しかし、放射線量が低いのにもかかわらず「汚染している土地」として見られています。ことをどのように捉えていけばいいのか、そのギャップの中で作る芸術祭はどのようにすれば良いのか考えていた時期です。

なので、2014年はこのように著作も出されている人たちと相談しながら決めていけるのは、芸術祭にとっても良いことだと心強いと考えていました。

個室居酒屋に呼び出され他に、恐怖から録音したことを告げると、北田さんと井上さんからディレクターを辞めるようにメールがきました。
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メールの宛先:井上さん、北田さん、神野さん、運営委員長
Date: Sat, 5 Jul 2014 15:52:46 +0200
先ほど、北田さんと井上さんからメールを頂きました。

アドバイザーの総意として、「ディレクター辞めろ(でも実務はやれ)」との事ですが、落ち着いてください。昼過ぎのメールで送ったように雑務ばかりで、ディレクターなんて、名ばかりの小さな芸術祭なのです。前に井上さんに「来年度はみんな役職なしにしたいなー」と言ったと思いますが、それくらい些細な役職です。響きが偉そうだけど。

あと、「アドバイザーの総意として辞任して欲しいと提出」とか「法的な手続きを踏む」とか書かれていましたが、青年部が中心となっている実行委委員会と福島市が協力し、その団体に基金から助成金が降りているのです。
その任意団体に私は任命を受け、ディレクターをしています。ディレクターがキュレーターやアドバイザーを委任しています。ディレクターは運営団体に入っておらず、ディレクターの補佐的な役としてキュレーターとアドバイザー、スタッフがいます。

なので、「アドバイザーの総意を助成団体に」ディレクターやめろとメールを送るのは筋ちがいで、運営団体に送るべきです。アンチの人たちにもさんざん言いましたが、町の人もそんなメールみても困るし悲しい気持ちになるので、非難メールや電話は私にお願いしたいです。って言ってもムダなのは学んだのですが、やはり書いておきます。

組織図の説明は以上になります。

アーティストたちにこの情報を共有するとも書いてありましたが、どのように共有するのかわかりませんが、ノウハウ共有だとアーティストにとってよいと思います。
よろしくお願いいたします。

芸術祭の運営は実行委員会方式で、役員は会費を払い、会は毎年更新されます。人事は役員の1/2以上の可決できまります。2013年の芸術祭では私も役員をしていましたが、2014年は外部委託として実行委員から「総合ディレクター」を任命されました。

北田さんと井上さんも同じく外部委託で、それぞれ「アドバイザー」と「キュレーター」という役職でした。私も含め、彼らには人事の権限はありません。しかし会議は外部委託やボランティア、インターンも参加でき、発言権はあります。同様の組織が見学に来ることもありました。

私は会議の場で、北田さんと井上さんを芸術祭のスタッフにしたいと提案しました。神野さんとTさんは、北田さんが一緒に仕事をしたいといいましたが、北田さんは会議に出席していなかったので、実行委員に提案はしていませんでした。

しかし私も、神野さんとTさんの参加は嬉しく思っていたため、アドバイザーの書類を用意し、確認してもらている途中でした。しかし7月5日以降に北田さんたちと神野さんは共に行動するようになったので、ちょうど確認途中の手続きの続きをし忘れていた神野さんに対して私は意識的に催促をせずに話を進め、会議でも提案せず、圧力が強いと感じてきた頃に、「手続きが終わっていないですよね、それでは正式なアドバイザーではありません」と伝えました*。
*このやり方は、私に非があります。申し訳ありませんでした。

2013年の芸術祭では北田さんはお客さんとして、ボランティアスタッフとして関わってくれました。井上さんはCAMPとして私が招聘しました。私は「総合ディレクター」と偉そうに響く肩書きを無効化したいと考えていたので、2014年に関わってくれる人にはみんな偉そうな役職をつけてしまえと思ったのです。

いつも何か言ってくれる北田さんには「アドバイザー」、たくさんのアーティストを紹介してくれた井上さんには「キュレーター」というように。

それは「ありがとう」のつもりでした。肩書きは権力を無効化するのではなく、それぞれの権力をより強くするための言葉となってしまいます。だから2015年は(開催されませんでしたが)全員が肩書きなしにしようと思い直しました。ですが、私は人々が持つ肩書きに対する欲望を甘く見すぎていました。

7月4日に個室居酒屋でされたことを録音した件で、北田さんから「録音の内容ではなく、録音を交渉手段として用いようとした事実性」について糾弾されました。「録音による脅迫をした」の私は、北田さんからディレクターの辞任を要求されることになりました。また「随分と安易なジェンダーの利用の仕方にやや呆れています」とのメールを北田さんから頂きました。

また録音について告白した時に、定期的に北田さんから私に度々来るメールも数通残していると告げました。

メールの宛先:井上さん、北田さん、神野さん、事務局長
2014/07/06 6:31
録音しました。あの時に初めて(北田さんはいつも)「声を荒げますが」といえましたが、定期的に怒鳴るまたはメールがくるのが怖かったのです。いつも(怒鳴った後に北田さんは)「普段はしない」とか、「気が高まって」って言うから覚えてないのかと。定期的に怒鳴るとわかっているので、録音できたのです。脅迫じゃなくて、抑制したかったのです。

「僕のモチベーションをあげてくれないと本がかけないよ」というのに、(私は)泣きながら謝るってたぶん、異常です。(居酒屋の)個室でやると何がおかしいのか、何がおかしくないのか、わからなくなると思う。立場的に芸術祭を大切にという意味でって事かもしれないけど、井上さんも横で、「身体を壊してもやれ」とかって、普通は追い打ちをかける言葉だと思います。録音って公表するしないじゃなくて、そんな個室でも、他者がいる(ような気分になっ)って、私の希望なのです。

2人じゃない時や、いつもの(と言うと、病気扱いするなと言いますが)北田さんを尊敬しています。いつもそれを疑って私に聞いてくるけど、私が尊敬していることと、北田さんが自分が尊敬されていると思うこととは別の話だと思います。

「(北田さんの)立場的にこういう「何かを強要する」メールってうっかり(第三者に)見られたら大変だから、消しますね」と、北田さんの前で消しました。北田さんにも「うっかり携帯やパソコンとか(第三者に)見られたら大変だから消した方がいいですよ」と、言いました。その後にくるメール等についても消しています。

でも(メールの)回数が重なった時に、幾つかだけ残しました。補足しますが、別にこれも(北田さんに対する)脅しじゃない。「私の記憶だけ」っていうことから、「違う人とも共有する可能性」ってだけです。

的外れだと思いますが、(私が)北田さんに一昨日から「怖い」という単語を使い始めたのは悪かったと思っています。一昨日かその前の日に、井上さんに対して電話で、大きな声で、「怖い!」って発言してから、「怖い」って言葉を使えてちょっと気持ちが楽になりました。ちょっと連発しすぎたなとは思っています…。

でも、怖いって、怖がられてるって、ひどい事だと思うので、投げかける方と投げ彼られる方とでは、効力の違う気をつけないといけない言葉です。その言葉を直接投げかけたのは、北田さんをだいぶ傷つけたと思っています。ごめんなさい。

これを事前に読んでもらった人に指摘されて気がついたので補足しますが、個室居酒屋で言われた「何か」も時々くるメールの「何か」も、性的なことではないです。個室居酒屋では井上さんが「何か」とそのままの単語で言われました。メールの方はもっと脅迫っぽいような怖い内容です。

個室居酒屋に向かう途中、私は急遽、アーティストのXさんに連絡をしました。Xさんは芸術祭に参加するアーティストではありませんが、この状況がどういう状況なのか理解できる作品づくりをしている人だと思ったからです。私は私だけがこの状況をおかしいと思っているのか、第三者のXさんも同じように考えるのかを知りたかったのです。Xさんが来てくれたので、私は北田さんに対して初めて「いつも怒鳴る」と指摘できました。大変心強かったです。ありがとうございます。

しかし、私としては抑止効果を狙ったつもりでしたが、7月5日の個室居酒屋で私が録音したこと、またメールを芸術祭の事務局長にも同報したことが、結果的に私の立場を不利にさせ、北田さん、井上さんからのパワハラをより加速させることになりました。

翌日、私や運営委員会に何の通達もないまま、独断で井上さんと北田さんは参加アーティスト全員に、ユミソンは「健康上の理由により」ディレクターを退任するとメールを流しました。

北田さんと井上さんから送られたメールを読んだアーティストたちから「ユミソンは大丈夫か?」と私へ電話やメールがきて、そのメールの存在を知りました。
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メールの宛先:井上さん、北田さん、神野さん、事務局長
2014/07/06 13:03
井上さん、北田さん
決定してないのに、参加アーティストにユミソン辞めるってよ!ってメールや電話をするのは、録音したという仕返し(?)的な意味では良いのかもしれないし私の悪口とか言いふらしたりとか、それでスッキリするならすればいいと思います。

でも会期間近の時期に、感傷的な文面でアーティストに初耳の、
福島市や助成団体と、井上さんとアドバイザーで相談するとか書かれても、
何を相談するんじゃと意味不明すぎて、
井上さんやアドバイザーのみなさま大丈夫かなと心配しちゃいます。
個別の制作の話し合いがある中なので、直接影響のあることです。

私に「ディレクターの資質が」って、そんなの私を含め、あるって思ってる人のほうが少ない/いないのです。私は資質があってディレクターをやってるわけではないです。って、アンチの人にも答えましたが。

もし私が辞めても、引き継ぎは北田さんと井上さんじゃなくて別の人かもしれないし、それは運営が決めることなので…!アドバイザーの総意ってことは神野さんやTさんもこの対応で行こう!って事なのでしょうか?何か私をボロボロにしたいなら、他の方法がいいのかもしれない。アーティストや福島の人たちへの影響が、私にくる被害より大きくて。

アーティストに共有って、アンチ来たらこんなに心すり減りますよとか、ノウハウの共有じゃなかったのですね。

取り急ぎですが、よろしくお願い致します。

私に内緒でアーティストたちに連絡をしているのに、すぐに私がそのことを知ったのは、メールに書いてある私の「体調」とは何なのか?大丈夫なのか?「アーティストがディレクターになってやっているので賛同しているのに、CAMPとか北田さんに変わるなら普通に制作費を出して欲しい」、「一緒に進めているものを途中でトップが変わるとできなくなる」、「あのメールじゃなくて、運営から公式見解として出して欲しい」等、すぐに参加アーティストから私の方へ連絡が来たからです。

運営の内情を知りたがるアーティストもいる一方、それどころではなく制作を進めているアーティストもいる、まだ下見中のアーティストもいる。私が意地悪されているという無駄な情報で、参加アーティストたちに心配や煩わしさを与えたくありませんでした。「運営のごたごたをアーティストに持ち込まないでくれ」という考えの人もいます。

7月7日、観光協会から電話があり、「今すぐディレクターをやめてくれないか」と言われました。

2014/07/08 7:26
Yumi Song
北田さんは訴えるという事じゃなくて、脅しだった。 大学のせんせいたちの名前(と大学名)を何人か集めた書面を作って、こんな偉い人たちが要請してる、受けないと福島県まで送付するよって、アンチと同じ手法で(町の観光協会へ)送ったみたい。

 福島の人たちは、「よくわかんないけど、こんなに偉そうな人たちが要請しているのだからユミソン辞めさせないと大変じゃー!」ってなったようです。 今朝、町の人から電話で説明された。でも文面が意味不明だから、町としても(あの文面で辞めさせるのは)忍びないし、ユミソン自分から辞任した方がいいのでは…と。 文面には、今後北田さんのことを話してはいけないってあって。

町の人、「これ紙の暴力みたいね…」って。「田舎の人間はこういうのどうにもできない。」って。

私は「今すぐお返事できないのでせめて1週間猶予をください」と言いました。1週間に意味はないけれど、北田さんの躁鬱のスイッチが変わったら、意見も変わるかもしれないという一抹の望みにかけるのと、さすがに9月から始まる芸術祭で、アーティストたちと制作の進行を進めているのに、このタイミングでディレクターは辞められない。それに打ち合わせや事務仕事も日々詰まっているので、目の前の仕事に追われていたのもありました。

しかし1週間待てないと電話で言われ、観光協会から辞任届がメールで送られてくる。その時に観光協会の人に「君の方が偉いんだから、すぐに相手を辞任させればよかったんだよ、ユミソンはなぜ相手を辞任させないの?」と聞かれ、私は、それは嫌いですと答えました。

宛先:観光協会
2014/07/08 15:22
すみません。
嫌いと言ったのは、ルールの話です。暴力を紙に変えて強要できるルールです。

送ってくれたもの(辞任届け)は、私のために、私が書いた風で、名前だけ入れればいいようになっているのを確認しています。青年部じゃないのに、**さんにこんな仕事までさせてしまってごめんなさい。

アドバイザーは、私が勝手につくったもので、お母さんに渡す「肩叩き券」と「表彰状」みたいな、「ありがとう」という意味でつくった肩書きです。契約もまだ私としかしてないので、大学の偉い先生だろうとディレクターの方が権限があるので、もっと早くに私が辞めさせていればいいのだけど、権利の行使はこういうために使うものではないと考えています。

自分の正義のために誰かに暴力を振るう権利があるとすれば、それは小さな戦争(というと大袈裟だけど)です。だから辞めさせられても、辞めさせることはしたくないです。

アートは、権力と違うものを見せてくれるもの。運営でもそんなことはしたくないなと思っています。

心を落ち着けます。
(ハンコを押すのは)もう少し待ってください。

そして私は体調を崩しがちになりました

宛先:北田さん
Date: Wed, 9 Jul 2014 11:07:37 +0900
(電話を取らなかったのは)これは、拒絶とかじゃなくて、単に体調の問題で、嘔吐で胃が痙攣して、気管支?なども引きつってるような感じで、吐きそうなへんな咳がでて、うまく話せません。本当に体調の問題で電話できません。夜半過ぎから朝方が特に酷くなります。拒絶とかじゃないのです。大丈夫な時間もあるけど。ごめんなさい。

運営のスタッフに聞いてもらっても良いです。
「ユミソンさんずっと変な咳してる?」って。

話せるようになったらこちらから電話しますね。

一緒にアンチ対応の仕事もしていた実行委員でもある福島市の職員さんに事の次第をメールする

2014/07/09 7:09
こんばんわ。ユミソンです。
突然長いメールを書きます。**さんを信頼しているので書くので、他言をしないでくれると嬉しいです。たぶん**さんには、(私が)辞任した後に「一身上の都合で」としか報告されないと思うので書きます。

アラフドのアドバイザーで東京大学の北田暁大准教授の逆鱗に触れ、ディレクターを辞任することになりそうです。
北田さんは、以前から定期的に癇癪を起こしていて、私が疲れてしまったのもあります。
癇癪を起こしていない時は、おだやかで優しいです。

癇癪1
北田さん:FBでカオスラウンジの人に「アラフドのアドバイザーとして」と前置きし、喧嘩を売った(スタッフの**や、参加アーティストの**さんは私より事の経過をリアルで見ています)。
ユミソン:収束させようと拾った(後は**さんが知っての通りでアンチから市に攻撃がくる)。

癇癪2
7月3日
北田さん:「アンチを収束させる東大公式文書を市と県に、7月4日持っていくので調整せよ」とのメールをユミソンに出す。
ユミソン:早朝からオズマガジンの取材とアーティストの下見でメールの返信ができず。しかしアラフドの宣伝ツィートを1回する。
北田さん:「宣伝ツィートする時間があるのに、僕に返信しないとは(怒)」メール
ユミソン:取材とアーティストの下見の合間を縫って、小出しにメールの返信する。
北田さん:「メールの返信がずさんだ(怒)」メール
ユミソン:「**さんに確認したところ、いきなり市や県に来られても対応できないから、お手紙で東大公式文書はお願い致します」メール
北田さん:「東大の学長出るぞ。忙しい中、直接いくって言うのに対応悪いぞ(怒)」メール
ユミソン:忙しすぎて返信できず。山間部の下見に出て、電波不安定。
北田さん:電話をユミソンにかけるが、繋がらないので怒り爆発。キュレーターの井上さんからも電話するように指示。
井上さん:ユミソンに何度も電話かける。一緒に同行しているアーティストにも何度も電話かける。ふたりとも山間部なので出れない。
ユミソン:夜20時から21時過ぎまで、北田さんが会いたがってる旨を井上さんから電話で説得される「芸術祭と自分の身体どっちが大切なの?」。
ユミソン:めっちゃ恐怖を覚える。
北田さん:ユミソンさん電話くれ→ユミソン怖くて、同行していたスタッフの**くんに代わってもらう。
**くん:「ユミソンさん、本当に忙しくて、もう夜の22時過ぎてるのに、朝ごはんもまだ食べてなくて、対応できてないだけなんです」電話
北田さん:「だから?なんでユミソン出ないの(激おこぷんぷん丸)」電話

7月4日
井上さん:「ユミソン、今すぐに北田さんと会って昨日の対応の悪さの説明して」電話
ユミソン:「土湯にいるし、アーティストの下見してるしムリです。」電話
井上さん:「絶対に今すぐ来て」電話
ユミソン:「アーティスト置いて一人で東京かえるなんて失礼だし、それをさせる北田さんを嫌いになっても良いのが条件だったら行きます。」メール
井上さん:「いいよ。今すぐ来て」メール
ユミソン:東京に新幹線に一人で帰る。個室居酒屋なので、怖いのでこっそり録音する。案の定、あとで怒鳴られる。
ユミソン:「でも私がここに来たってことは、もう北田さんのこと嫌いってことで大丈夫なのですよね。」
北田さん:「そんなこと聞いてない。撤回しろ。僕がお前のためにどんだけ働いているか知ってるのか?一緒に作ってる途中のアラフドの本かかないぞ。ユミソンは、ディレクターとして僕のモチベーション上げるために気分をよくさせる義務がある。」
ユミソン:怖くて泣き出す。翌日予定している会合の延期を頼む。
井上さん:「身体壊しても芸術祭やるよね(私が癌になった事は知っている)。」
北田さん:「明日の会合くることに同意しろ。」
ユミソン:逃げ場なく、同意。終電近いので家に帰してもらう。帰りに明日のことを考えたら恐怖で痙攣&嘔吐。ドタキャンしたら後が怖いのでメールで報告。
井上&北田:「愚痴ですね。」「来ないってこと?」メール
ユミソン:「私が倒れたら、録音提出します!」録音していたことを発言してしまう。メール
井上&北田:「ディレクター辞任ですね。」メール

7月5日
ユミソン:会合に一緒に来る予定だったアドバイザーの神野さんに事の次第を報告。メール
神野さん:「よく言ってくれてありがとう」メール
ユミソン:神野さんが対応してくれる旨をメールして、会合に行かない。
井上さん:「神野さんから情報をもらいました。あんなことを暴露するなんてディレクター失格ですね。今すぐに辞任して。」メール
神野さん:「録音で脅迫するなんてディレクター失格だ。あとは僕たちで展覧会を開く。」メール
北田さん:「ディレクターは井上さんです」メール
ユミソン:((((;゚Д゚))))ガクガクブルブル
井上&北田:アーティスト全員に、ユミソンがディレクター辞めるとメールを流す。

7月6、7日
ユミソン:観光協会の**さんに助けを求める。今までされてきた情報をメールに流す(北田さん、神野さん、井上さん、**さん、**さん)。
北田さん:神野さん、**さん、北田さんが大学名と名前を出して、ユミソンを辞任させるように観光協会に要求。

7月8日
**さん:「観光協会長と話したけど、ユミソンさん早急に辞任して。偉い大学の人達が怒ってるから。」
**さん:「役職は無くなったけど、縁の下の力持ちで今まで通り仕事はしてもいいよ。」
北田さん:ユミソンのせいで、もう本も書かないし、東大の公式文書も送らない。

という感じです。
でも、新しくディレクターになる井上さんは肩書は名乗るけど実務はしないので、私が実務をすることになるのかな。

もう交通費もでないし、こんな状態だし私は出来ないのかな。でも今まで作ってきたものがあるので、しばらくはやります。
印刷物のデータ作ったりとかはしますね。

会社員とかだと、こんなパワハラよくあるのかな。
ではっ。

印刷物と書いてある通り、この芸術祭はとても小さく、スタッフも少なく、誰でもなんでも手分けしてやるようなものでした。私も「総合ディレクター」とは名ばかりで、印刷物作成、挨拶周り、会場の掃除などなどなんでもやりました。また、実際に8月の記者発表以降にアンチが復活します。それは北田さんが予言していました。
**さん、その節は大変お世話になりました。。。

北田さんと神野さんは、運営委員会ではなく観光協会へ私の解雇の要請を送ったので、観光協会は親会と相談し、運営委員会が気がつかないうちに私を辞めさせることにしました。

たまたま観光協会に出入りしていた時に、その話を知ってしまった運営委員の2人が親会に反発。親会は会議を開かせないように、数日間、青年部(≒運営委員会)の集会の禁止を命じます。同時にユミソンと連絡をとってはいけないとも。

一方北田さんは、大学の先生たちの名前が連なった解雇の要請を送りながらも、「朝起きたら虚脱感に覆われた。芸術祭はユミソンさんだからできた「作品」。ディレクターを続投して欲しい」と私にメールをくれました。同時にアドバイザーを辞任したいとも。

北田さんは北田さんが全力で、全てをすぐに解決するように動く「Goを」出してくれと私に頼むが、私は断りました。理由は人事権は運営にあり、北田さんにないからです。

宛先:北田さん
Date: Wed, 9 Jul 2014 12:55:16 +0900
ディレクターって去年も今年も、運営委員会から指名されて、一緒に作ってきたから、私がやるとかやらないじゃなくて、町の人たちが決めることだと思うのです。

本当は運営委員会の半数以上の可決がないと人事できないのに、(今回の私が辞任することは)運営委員会では**くんと**さんしか知らなくて、2人には(議決の)権限与えてくれなくて、(運営委員会ではない)親会だけで進めて、辞任可決後に報告。

運営委員会の知らないうちに決定をする方針。それまで誰もユミソンと連絡とってはダメって(親会から言われていると)聞いています。

**さんが、親会に青年部外されてもそんなやり方に反対するからと、(私に)連絡をくれました。

私(がディレクターを外されるのは)はちょっと悲しいけど、**さんはずっと住み続ける人。私が選択するのではなく、町の決定に従った方がいいのかなと思いました。

運営委員会とか町の人たちを見守ることにします。


北田さんは私を辞めさせた時と同様、どうしても私に芸術祭に残ってほしく、私は肩書きとしてディレクター辞任をしながら、しかし仕事内容は今までと同じことをしますという内容を書き、アーティストたちに送るように促します。

宛先:北田さん
2014/07/10 17:06
ユミソンです。
「身の程をわきまえろ」ってなんだろうと、(北田さんの)お話を伺った後に帰りながら考えました。私のアイデンティティを剥奪し、共同体の中から消し去りたい衝動の中身ってなんだろうと考えました。共同体からの迫害は、移動の自由のある現代では有効ではない気もするけど、最重要事項として捉えているのはなんでだろうと。福島で身分と権利を奪い合うのは、すごく面白いと思いました。

私の好きな本に、「日本の歴史をよみなおす」というのがあって。中世の非人は、国家の規制から外れた職業人です。

(北田さんが私に)「(北田さん、井上さん、神野さんの)3人に非がないことを説明せよ」とおっしゃられた時に、反転して非のある自分のやるべきことを考えたりしました。

あまりはっきりした返答になっておらず申し訳ありませんが、私の福島での身分の決定や、その他のことは私が決定するのではなく、環境が決定することだと考えています。

よろしくお願いたします。

抽象的な返信をした後に、出来上がった文章がこれです

2014/07/10 18:14
Yumi Song
とうとう私にもゴーストライターがつきました。
+++++++++  
アラフドアートアニュアルにご参加いただくアーティストのみなさま  
お世話になっております。  

過日、アラフドアートアニュアル・キュレーターの井上文雄さんより、私ユミソンの体調不良を案じ休養を促した、とのメールが届いたかと思います。体調の件を含め、突然の体制変更の通達にて、ご心配をおかけしてしまい申し訳ありません。

私の体調との兼ね合いを考えつつ、現下、新しい体制を整えております。皆さまの制作を全面的にバックアップしていくことができるよう、万全を期して調整しておりますので、どうぞご安心ください。詳細は別途、井上さんよりご連絡させていただきます。ご寛恕、ご了承のほどなにとぞよろしくお願いいたします。

現在、私と進めているプロジェクトのある方、打合せを希望される方、下見予定のある方に関しては、予定通り進行させていただく所存ですので、今後ともよろしくお願い致します。

制作に影響のある時期に、大変申し訳ありません。
引き続き、なにとぞよろしくお願いいたします。

アラフドアートアニュアル ユミソン

青年部への私の接触と運営会議が禁じられている中、青年部は夜にこっそり個人の部屋で会議を開き、スカイプで私にも会議の参加を促します。会議中、青年部のスマートフォンがなり、スピーカーフォンで出ると井上さんでした。

2014/07/11 0:16
Yumi Song
青年部とSkype会議してて、「北田と井上とはやっていけねー!!!」って言う青年部をなんとか説得して、「ユミソンが言うなら、今年は許す」と言った途端。

井上さんから青年部の人にメッセで「ユミソンの降格は免れず、青年部もこちらにそれなりの対応を」と脅しメールと、「ユミソンの言動によっては大きな組織が動きますよ」と電話がかかってきました。

せっかく、青年部が怒るの辞めてくれたのに。井上さん、催眠術にかかったのかな。「大きな組織」ってなんじゃろ。

明日は北田さんと井上さんと会合。 私の辞任届の締切日なので。

福島市の市民カメラマンからも応援するよとメッセ来て。少しずつ話が大きくなってる…!


北田さん神野さん(井上さんは大学教員ではないので要請への署名は無かったです)は、なぜ人事の議決権のある運営委員会ではなく観光協会に私を辞めさせる要請をしたのでしょう。それは、この芸術祭が行われる町が人口の少ない小さな町で、特に血縁関係や上下関係が尊ばれる社会構造をしているからです。

その社会構造を熟知して、私に「田舎では上が強く、下は何もできないのですよ」と教えてくれた北田さんは、運営のルールではなく「田舎のルール」を積極的に使いました。

密室で行われていそうなことですが、実は「田舎」なので噂話は筒抜けで、中央(東大)が圧力をかけていると地元の人々も知ることとなり、私のスマートフォンにも地元のおじさんたちから「中央にまけんなー!大将ががんばらないとどうすんだ」と応援電話が時々きました。とても嬉しかったけど、「中央 VS 地方」という権力図を作りなくなかった、そして東京から参加している私は、自分が一番嫌いなものを自分で作ってしまったことに心を痛め、胃がどんどん悪くなって行くのでした。。。(泣)。

当時の自宅のマンションからは遠くに東京タワーが見え、夜に小さく光る東京タワーをみながら「中央に負けんな!」と励まされた後、電話を切って、自分が一番嫌いなものを自分で作ったのに耐えられず、人生で一番長いのではいうくらい泣き、しゃっくりが止まらなくなりました。この後はしゃっくりが止まらない生活がしばらく続きました。ひっく。

そして私と会議の末、北田さんはアドバイザーを辞任し、同時に神野さんとTさんもやめる(Tさんは7月5日から関わらなくなっていましたが)と北田さんから聞きました。

2014年7月12日(土) 9:07
メールの宛先:井上さん、北田さん、神野さん、Tさん
おはようございます。ユミソンです。
北田さん、昨日は長時間の打合せありがとうございました。
北田暁大アドバイザー辞任の件、了承いたしました。

神野さん、Tさんのアドバイザー辞任は本人の同意書がないので、人づてでは返信ができませんので保留にいたします。後日、神野さんTさんには、井上さんまたは運営委員会を通して連絡を取らせて頂きます。よろしくお願いたします。

北田さんが作成した「私との関係の作り方」の契約書にサインをと、昨日契約書を渡されましたが、以下の理由によりサインおよび捺印はいたしかねます。

・アドバイザーおよび芸術祭遂行のためのご自身の仕事をスムーズに行うための契約、とお聞きしましたが、アドバイザー辞任を示した。

・通常の社会のルールでは、人事や運営の権限がある、つちゆ芸術万華郷実行委員会に私の辞任を要求すべき、運営委員の存在を昨年度から知っていた、連絡手段等も持っていたにも係わらず、権限がなく社会的立場の高い観光協会長に辞任を要求する書類を作成する行為、また昨年度から何度か土湯温泉町を来訪し、その上下関係を知った上で行ったこと、私が再三、観光協会ではなく、運営委員である青年部に通達をと通常の社会のルールに則るように促したにも係わらず、「田舎では上が強く、下は何もできないのですよ」と、脅迫に似た構造を作り、交渉の手段に用いた事を理由とし、社会的なルールで行動することが保証できないため。

・サインを「対処のために今すぐして」と言う数時間前に、私と「気分が高揚し、現状に対して何かアクションや対処をしたくなったら、時間を置く」という約束をした、またその約束があるので落ち着きましょうと言ったにもかかわらず、「それは理解できるが、すぐに対処したい」との強い言動を示した。

・現在、数時間、1から2日おきに言動が大きく、時には真逆に変更することが少なくないため、北田さんの判断がその場的であると言わざるを得ず、その状況ではいかなる契約も困難であると判断せざるを得ないため。

以上を理由といたします。

契約のサインの「今すぐ」を回避するために、

・私の辞任要求を北田さんが運営委員長に送り、それが受理されたとの回答が来た後をサインの期日にしてください。

・また、冷静になるために妻と相談し、どんなお話をされたか教えてくださいね。

と言いましたが、運営委員長の今回の対応の責任を取るための辞任により期日がなくなったこと、妻の相談はサインを要求するための手段ではないにも係わらず、相談したという結果を持って両日中にサインを求めるメールを要求したことも理由です。

もう町の人に嫌われてるだろうから、フィールドワーク行けないし、アドバイザー辞めたいとおっしゃっていましたが、10年フィールドワークをすると言うなら、10年の間にもっと困難や辛いこともあるだろうし、その理由で辞めずに頑張りましょうとの私の発言に同意し、今後も継続の意思があるのだと確認した同日にアドバイザー辞任のメールは、ディレクターとしてアドバイザーを継続させられなかったことと受け止め、反省いたします。申し訳ありませんでした。

以下は実行委員からのことづてです。私が何か言うように彼らを促してはいません。昨日、井上さん北田さんと会議をすると実行委員に伝えたので、以下のメッセが来ました。
===
ユミソンさんの考えの「権力を使わない方法」は素敵な考えだと思います。でもそれじゃあ解決できなそうですね。 
そちらのゴタゴタに巻き込まれる(実行委員)方も問題ですが、そのおかげでこちらの仲間が一人辞任してしまいました。
ユミソンさんはこんな目にあっても北田先生と井上さんと芸術祭を成功させたいと思っています。変わり者ですね。
ユミソンさんにアーティストサイドはお願いしておりますので、ユミソンさんが一緒にやると言った方は、快くか快くないかは別として、協力していきたいと思っています。
この事業は、アーティストだけのものでも大学のものでもありません。ただ良くなるように、皆で話し合い、話し合いが反映されるものです。
伝えられる部分だけでいいです。伝えてください。
===
北田さんのことは、今後も変わらず私も青年部も信頼するつもりですが、これからはメールや電話、お手紙は控えてくれると嬉しいです。
よろしくお願いたします。


このメールで私が北田さんとの契約をを断られたのを知り、北田さんが怒り、東京で芸術祭を開くこと決めたようです。

2014/07/12 11:37
北田さん、朝のメール(私が捺印しなかったの)激おこみたい。

あんな中卒の、アホな田舎のヤンキーの集まり潰してやろうぜ。福島の田舎にアートなんて根付くはずねーんだよ。東京で場所も金も用意するからこっち来いよ。潰すの手伝えよ。*さんに言って、アンチも復活させて、助成金も無くそうぜ。
的な電話を井上さんにしたみたい。酷過ぎて、井上さん、私に連絡くれた。
北田さーん…私の知っている北田さんは遠い所に行ってしまった。社会学者ってなんだろう。

青年部のメッセ読んで少しは心がホッとするかと思ったのに。

私からの念書がどーしても欲しいみたいです。
さっき、井上さんと電話で話して聞きました。 どんな風に、芸術祭潰せば念書もらえるかって。 井上さんは明日、北田さんと会うみたいです。東京で良い芸術祭開いてやんよって話を聞きに。

2014/07/13 1:30
青年部からも、次は権力は使うべきだと言われ、次の会議では、使うルールを決めることになりました。使うルールづくり。ちょっと悲しい。(ユミソンは)「去年は奇跡的に、うまくできた」って、よく言ってたけど、その本当の意味がわかったと(青年部の人に)言われて、悲しいとおもった。

(権力を使うためのルールの作り方は)子どもみたいな感じですよ。本当に。まずは自分たちでケンカして、それで収まらなかったら、どの段階どの人まで巻き込むのか…。一回信用して忘れる。そしてそれを過ぎたら、この権力を使うとか。

今日は青年部と電話でそんな会話をして、続きの話を会議でしようと。

私へのハラスメントから芸術祭に対する攻撃へ変わってゆくので、ここからヒートアップしてゆくのですが、一旦、ここまでにします。
ハラスメント告発なので、続きは載せないかもしれないです。
なお、メールの文言は主語がないところはかっこ書きで入れたりしていますので全くのコピペではないです。

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