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【読んだよ】私、社長ではなくなりました。

これまでアメブロでは買った本紹介をしていましたが、今後は買ったらtwitterで共有、読んだらnoteに感想投稿にしようかなと画策中。ただ、めちゃくちゃハードルが上がる予感はしています…趣味は読書ではなく「本を買うこと」なので多分…

2011年に民事再生法の適用申請をしたワイキューブという会社について、創業社長が創業から倒産までの間に何を考え、何が起こったのか淡々と書いた一冊。当然私たちはこの会社がすでにないことを知っているし、まえがきは民事再生を決めた日のことから始まっている。結末が分かっているとはいえ、「我が逃走」「30歳で400億円」と同様に読んでいてなかなか苦しい本だった。

なぜ会社を作ったのか、なぜこんなにもむちゃくちゃな経営をしたのか、そして、なぜ破綻させなくてはならなかったのか。

驚いたのは民事再生を決めたのが2011年3月、手続き開始の決定が4月、債権者集会と社長の自己破産が8月、この本が出たのが2012年3月ということ。
倒産からわずか1年の間に過去を振り返る本を書いている。傷口も傷口、メンタル的にはまだ生傷から出血していると言っても良いほどの時期だと思うが、なぜこんな時期に執筆ができたのか。あとがきを読んでなんとなくだがわかった気がした。

怒られるのを承知で言ってしまうが、私はこの二十年間を本当に楽しんだ。
後悔も未練もまったくない。もう一度同じことをやってみろと言われたら、喜んでやってしまうだろう。
(中略)
私は自分の人生観を変えることができない。自分の人生の意味や目的を置き去りにして、生きていくことができない。とても面倒くさく、不自由な人間なのだ。
会社は何のために存在するのか。その答えをみつけるために二十年も費やしてしまった。そして答えは見つからなかった。
だが納得はしている。答えを見つけることが大事なのではなく、みつけようとすることが大事なのだ。
それをやめてしまったら、私は私ではなくなってしまう。

あのときああやっていれば、と思わないでもないが、客観的に自分がどこでどんな失敗をしたのか見極め、能力の足りなさを認め、ひとつひとつ反省したうえで「それでもその時の自分はそうしてしまっただろう」というような納得もしている。
判断の指針としてきたものの優先順位を間違えてしまった自覚はあるが、それでも優先したいことがあった。そういうことなのかなと。


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