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遅すぎることなんてなにもない

社会人1年目の私へ、といっても1991年4月に社会人になったので、どれだけ昔のことだろうって感じですが。色々な若い人たちのnoteを読んでみて、書いてみたくなったので、30分だけって時間を決めて書いてみます。

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もともと、東京に住みたいってだけで大学行ったので、目的意識がないから、大学はあまり行かず、勉強もせず、サークルとかではしゃぐのはカッコ悪いと思っていて、哲学の本を読むとカッコいいと思ってて、ロックバンドをやりたいから作詞作曲とかするんだけど歌もギターも上手くならず、うまいことバンド活動が続かないって感じの大学生活を送ってた。

大学2年生の頃から、父親がガンで入院していたので、仕方なく地元で就職した。それも隣のうちのおじさんが役員をやっていた中小企業の製造メーカーに母親がお願いしに行って面談するってなるみたいな。

家はスナック経営だけど、父親はもともとジャズミュージシャンでその日暮らしの性質だから、家には蓄えとかもなく、母も堅実にできるタイプではなく、いろいろめちゃくちゃになっていたので、自分が働かないとまずいかなって気持ちもあって、就職しなきゃいけないって思ったので就職した。夜はスナックを手伝ってた。

もちろん父親の看病もした。喉頭がんだったので、手術のあと、サックスが吹けなくなった父親は本当に生きるすべがなくなった感じで辛そうだった。

仕事は、バブルの最後の頃で、経理部に配属されたんだけど、その会社で導入しようとしている原価管理システムの構築がめっちゃ忙しくて、そこにすぐに移動になって、毎月すごく残業した。そんななか上司が心臓発作で倒れたりって大変な感じだった。それでも毎日22時には退社してたけど。そのあとスナック手伝いに行くわけで。

スナックで働くお姉さんにも、お客さんでくるおじさんたちにも比較的可愛がってもらったので、それはそれで楽しかったかも。友達も多く来てくれたし、その頃の友達は今でも仲良しだし。

そんな感じだけど、いろいろ東京に未練をいっぱい残してきてて、よく東京に行ってたと思う。つまらないことで言えば、CDや本、服はいつも東京で買ったし、東京で知り合った友達とはまめにあってた。その頃はアマゾンもないし、インターネットもない頃だったから、東京に行かないと何もかもわからない時代だったからしょうがないかも。

そんな社会人1年目だったから、この先どうなるのかなんて考えられないくらい日々の生活に追われてた。まぁ、このまま地元の会社にずっと勤めてるとどんな感じになるかイメージすると恐ろしいから考えないようにしてたのかもしれない。

社会人2年目も終わる頃に、父親が他界して、バブルも弾けて残業規制が入り、時間に余裕ができた頃からいろいろ考えるようになってやりたいことを始めたのかなと、振り返るとそう思う。音楽やりたいんだったらバンドじゃなくてもできるはずだって考えてアコギ買ってライブハウスで定期的に演奏させてもらったり、本当はロンドンに住みたいんだって思って、飲み屋で知り合う白人と仲良くなって英語を教えてもらったり。

結果、社会人4年目くらいで会社辞めてイギリスで1年住んでみたり、みたいなことをして、そのあと、IT企業に入って、テストのことを知って、この道で生きて行こうって決めたって感じ。

そう、社会人1年目はそんなんでも、たった3年経つと全く変わっていた。そこから10年後には、また全く想像もしない状況になっていて、そして、25年以上たち、結果的には、あの頃、社会人1年目の頃の自分が想像もつかないような今になっている!

まぁ、なるようにしかならないし、その中でできることをやっていればいろいろチャンスはあるんだなって思います。きっと大事なことは、それがカッコいいかどうか?です。例えば、薄っぺらく生きるより、身が詰まった方がカッコいいとか。

20代前半の、あの頃の自分に何か言うってあまりないかも。こんなおじさんの言うこと聞かないと思うし。20代前半までの人生もあったけど、そのあとの20数年のほうがドラマチックでいろいろあるよ!って言ってあげるくらいかな。

社会人一年目のような若い人に話せるとしたら、自信はなくても大丈夫、最初からできる人はいないから!私は何も人に自信持って話せることも、出来るようなこともなく、こんなに何もなくて大丈夫なのかと不安でした。ただ、遅すぎることは何もない、やらなきゃわからないんだからやってみよう!そうすることで何かがでてきていろいろ繋がっていくよ、って感じです。


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