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誕生日の0時。最初に会ったのは救急隊員。

 もうすぐ日付が変わって誕生日を迎える。そんな頃、一本の電話が入った。介護施設に入所している父の様子が通常ではない、救急車を呼ぶ、という電話だった。

 父は、8年ほど前、重度の脳梗塞になった。要介護5。一番ひどい介護度である。その後、6年ほど前、腸が閉塞し呼吸停止になり救急車で緊急手術を受けた。自宅介護などを経て、今は介護施設に入所している。

 いつか夜中に電話が入る日があるかもしれない…そんな風に昔は思っていたけれど、容態も安定していて、いつの間にかそんなことすら頭の隅から抜けていた。22時を過ぎるとナイトモードにしてしまっていた。たまたまこの日は、誕生日を迎える!ということで眠れなくてスマホで本を読んでいた。

 電話が鳴っている。こんな時間に父の施設から電話なんて、良くない電話に決まっている。わかっていながら、電話に出た。向こうの職員の方は落ち着いていた。

 「いつもなら電気をつけたり起こしたら起きる父が、起きない。いびきをかいているが不安定で、救急車を呼びたい」という話だった。脳内で浮かんだのは「?」というマークだった。しかし向こうの様子などわからない。聞いている場合でもないだろう。「お願いします」と電話を切った。またかける、とのことだった。

 その後、しばらくすると街の中で救急車の音が聞こえた。夫に状況を話す。「え、今聞こえているこの音(サイレン)、じいじのなの?」と夫も驚いた様子。その後、また施設から連絡。父は意識があり、話もできる状態になった、救急搬送はなし。救急隊員も到着したので、ご家族の方、念のため来てくれないか、との話だった。私も詳細を会ってききたい。コロナで面会もできないが、先方が入所して良いというので、OKして、施設に向かうことにした。

子どもたちは寝ているので、夫に留守を任せ、私は自転車を走らせる。念のため一人暮らししている母に電話をする。

 施設には、救急車と消防車もとまっていた。ドキドキしながら久しぶりの施設に入る。父の前に行く。「お父さん、大丈夫?」声をかける。「なんや、誰やお前」という返答にドキリとする。しばらく会ってなかったから私の事を忘れたのだろうか。「久しぶりやけど、忘れた?」しばらく記憶をたどったのか、間が開いたのち、「おお、○○か」と私の名前を呼んだ。ホッとする。「電気消してくれ。寝とったら叩いて起こされたんや。痛いわほんまに」ゆっくり、そう話した。「いつもはすぐ起きるらしいけど、起きないから皆心配したんよ。どうしたん?すごい寝れたん?」「いつもは寝られへんねん」

 どうやら、いつもは眠りが浅いが、今回はゆっくり寝れたのだ、と言いたいようだった。救急隊員の方にお礼とお詫びをすると、隊員の方は「良かったです。何か少しであれば、またいつでも呼んでください」と言ってくださった。

 以前、呼吸停止で救急搬送された時もそうなのだが、救急隊員ほど神様のような方を私は見たことがない、本当にただすごい、としか言えない。迅速で、的確で、そして求めている言葉を投げかけてくれる。一番危機迫っているときに、記述だけでなく言葉までもそれは最適。

 施設の方が呼んだとはいえ、救急隊員の方には無駄足をさせてしまった。申し訳ない、という気持ちが先立つ私に、救急隊員の方は、否定せず受け止めてくれた。

 施設の職員の方と話をして、早々に施設を後にする。父は長い間家族といたがらないのだ。今回も、さっさと帰れといわんばかりに追い出す。(眠いというのもあるのだろう)

 帰る道中、自転車を止めて、母に報告する。安堵した母の声。

 家に帰って時間をみたら0時30分すぎだった。ああ、誕生日だ。0時になった頃はちょうど施設の人と救急隊員の方と顔を合わせた頃かしら。こんな誕生日は初めてだな。忘れられないだろうな。

 帰宅しても、眠れなくて色々考えた。今回はたまたま大事には至らなかったのだ。いつか、そんなときは訪れるのだ。22時になったら通知をオフにしていたスマホの設定を変更した。いつでも着信が聞こえるように。いつでも電話に出られるように。いつでも、駆け付けられるように。

 私の誕生日は、みんなが生きている。そのことをひたすら実感した1日だった。

今日の独り言

当たり前の日々は、当たり前ではないのだという事に気づかされた誕生日。

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