人間関係に悩んだときに考える必要のあるいくつかのパラメータ(1)

人間はパラメータで大抵のことはわかる.わかると言っても,外側にいる奴にすべてのことはわからない.しかし,ある程度の指針を与えることはできる.今回は自分の経験と両親,その父母たちの人間関係から僕が考えたことの一端である.

父方の祖父と母方の祖父,双方は対照的な人生であった.

片方は堅実に勤め上げ老後はたくさんの年金をもらい,片方は早々に仕事をやめ高利貸しや不動産収入と女の金で生きてきた.しかし死期が近づいた二人の資産について調べてみると驚くことがわかった.祖父母二人合わせて50万近く年金をもらっていたはずが死に際の金はほぼない.しかしもう片方は,1000万近い現金と不動産価値4000万の土地に貸家.一体何がこうさせたのかと母と語り合った.僕は持てるすべての知識(哲学,経済学,法学,心理学,社会学etc)を使い考えた.

この時に考えたポイントは,自己批判できるかと言うところである.

自己批判は自己否定とは違う.なぜ自分は今これこれをしているのかなど自分について疑問に思うことである.そして自己批判力は言語能力に依存するものだ.大量の知識とそれらを柔軟に使いこなすための概念操作能力.それと自己定義.

話を聞くと父方の祖父はただ生きているような人であったらしい.ただ生きている人は表面的には真面目で好印象だろう.女性はいい人だと思うかもしれないがこう言う奴ほどやばい.気をつけろ.なぜなら彼らは,自分の生き方を持っていない.他の人の言うことを聴きやすいから操られる.影響される.もちろん女性が操りたいと考えているのなら好都合な相手だが,男性であることを考慮するとそうも言ってられない.

ただ真面目なやつがやばい理由は他人に操られやすいことだけでない.それははっちゃけたことがないと言うことだ.いつはっちゃけるかわからない.ほんとは若い時分にはっちゃけるのが良い.金銭の自由がきかない若い頃のはっちゃけはどうにかできることが多いからだ.もちろん何事にも例外があるけれども今回はそのようなことを考慮する必要はない.

祖父のはっちゃけは金銭の自由と近所のエロオヤジの甘言が理由のようだった.いい歳してそれは愚かすぎだろうと思ったが経験したことがないことに興味を示すことは人間として当然だ.しかし倫理観のかけらも感じられないその行為は孫として恥である.

母方の祖父であるが,彼はかなりの人だ.昔は女トラブルが絶えずしかも母に暴力を振るうような人であった.別居していた祖母の住居に侵入すると言ったこともしていた.本当にやばい人だ.しかし高利貸しであったり不動産管理をしていたり話によると昭和大の地下で云々なんてこともあるので本当に物知りだし考える人である.今も為替で遊んでたりする.

どちらも倫理観に欠けることをしているが,母方の祖父は尊敬している.なぜなら人は,利己的な生き物であり時として人を傷つけることもあるからだ.その傷付け方が甚だしいだけである.これまでの行為は決して許されるものではないがここは彼の行為の是非を問う場面ではないし少なくとも今の彼からは矜持を感じるし自分の生き方を自分で考え掴んでいる.とてもできることではない.

この話から得られる教訓は全てを文字にできない.

これ以上について聴きたい人,僕に金をくれ.そしたら頑張って書くかもしれない.fpga代にするけどね

CS系の学部に行くために使いたいですが,とりあえず五万円ください.レーザーカッター作ります.もしくは住む場所といい働き口