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パリこでかけ 映えすぎるバルセロナ 城と凱旋門とピカソ _パリ節約自炊生活番外編

バルセロナ編、最後は長らくバルセロナを守ってきたムンジュイック城と、バルセロナの凱旋門、そしてピカソ美術館についてお伝えします。前の3編に比べて派手さはありませんが、バルセロナの歴史や文化を知る上では欠かせない場所だと思います。

◆ムンジュイック城

ムンジュイックはバルセロナを見下ろす高台に位置し、その歴史は古く紀元前3世紀から紀元前2世紀頃と思われるイベリア人の居住跡が発見されているそうです。時の為政者により度々増改築されながら、現在の堅牢なムンジュイック城が出来上がりました。
フランコ独裁時代までは政治犯の刑務所として使用され、19世紀から20世紀にかけて城とその背後の山は、多くの銃殺刑の舞台となったそうです。

一方で、この城はメートルの基準を決めるための測量地点とされたことで有名です。ダンケルクからムンジュイックまでの子午線弧長の測定結果が、メートル法確立に利用されたそうです。

ここが海洋防衛の拠点だったことを表すように、巨大な大砲のレプリカがあちこちに鎮座しています。

城の入口から入って真っ直ぐ進むと階段が。ここから屋上へ移動します。

屋上西側からの眺め、バルセロナの街を一望できます。

屋上東側からは、バレアス海を一望できます。冬のこの時期、正午を回っても太陽の位置は低いままです。

屋上からはバレアス海の地平線を一望することができます。

何も派手なものはありませんが、その眺めは数千年の歴史の中でバルセロナの街を思う人々が見下ろしてきた景色であり、風が強く吹く屋上から見える景色は、時が止まったように美しく感じます。街からは少し遠いですが、一見の価値のある城です。

◆バルセロナの凱旋門

パリの凱旋門が本当に凱旋するために建てられたのに対し、バルセロナの凱旋門は1888年のバルセロナ万博の際に建てられ、万博会場のシウタデリャ公園への入場門として使われたそうです。赤いレンガで作られたこの凱旋門は、バルセロナ編第1弾で紹介したサン・パウ病院にも見られるイベリア半島固有のムデハル様式の建造物です。パリの凱旋門に比べると小ぶりながら、広い公園の敷地と合わせて市民の憩いの場となっていて、休憩するのにはぴったりの場所です。

◆ピカソ
最後はバルセロナのピカソ美術館へ。残念ながら写真NGだったので、文章のみでお送りしますが、一言で言うと私が訪れたピカソを収蔵する美術館の中で最高でした。パリにもピカソ美術館はありますが、バルセロナのピカソ美術館の方がピカソという人の成り立ちや試行錯誤、そして新しい美術様式を生み出すに至った苦悩と努力を知ることができると言う意味で貴重な作品にあふれています。

この美術館は、ピカソの友人で秘書を務めたジャウメ・サバルテスの個人コレクションとバルセロナ市所蔵のピカソ作品を基礎に1963年に開館し、のちに画家本人やその家族・友人からの寄贈を受け、さらにコレクションを拡大してきたそうです。たまたま伺った時期に企画展として、ピカソの手によるサバルテス氏を弄りまくった卑猥な習作や、家族同士の写真など、ピカソとサバルテス氏の友好を表す企画展が開催されていました。またこの時期、パリのオルセー美術館でピカソの青の時代の企画展が開催されていて、本来こちらに収蔵されている青の時代の作品がごっそり旅行中でしたが、オルセーが外まで溢れかえる企画展の収蔵品がここではいつでも見られるかと思うと圧感です。

ピカソが青年期を過ごしたということもあり、才能しか感じさせない大作から、キュビズムへの変貌を遂げるまでの複数の習作を見ることができます。歴史や美術の教科書だと、突然ピカソが青の時代やキュビズムに目覚めたように読めてしまいますが、画家は長い時間と多大な労力、そして大量の習作を経ることで、新しい時代の扉を徐々に開いていったのだという事を実感させられます。

パリのピカソ美術館ももちろん素晴らしいですが、人間としてのピカソを感じるためには、バルセロナのピカソ美術館の方がおすすめです。稀代の天才画家も、悩み、何度も書き直し、試行錯誤しながら新しい時代を切り開いて行った事が実感できます。

これでバルセロナ編は終わりです。あまりに濃厚で全4編書いてしまいましたが、実はたった1泊2日の旅でした。それだけ、バルセロナという街は魅力に溢れ、観光に適した街なのです。色々な都市に行きましたが、建築好きさんは脇目も振らずにバルセロナに旅行に行かれる事をおすすめします。


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