ゆんぐう

文章読むのが唯一の趣味みたいになってる引きこもり気質の会社員です。

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ゆんぐうの取扱説明書

今までのプロフィールが簡潔過ぎるので、もう少し当人が分かるものをだらっと書いてみました。今までのは今までとして、こちらは固定記事にします。 属性はこんな感じ■元 創作者 時折、創作者目線の主張ウゼーなのは、元々が創作畑の人間(ただの趣味人)だから。 今はほとんど書けなくなっているのと、プロではないのでプロフにはしていませんが、本文ではそれ前提みたいなダメさ加減全開。 僕の成分の50%を占めてる属性ではあるので、これがないと書く理由を失うといってもいい。 ■原則、匿名 パー

    • noteから離れていた時間

      最近、noteのediterをほとんど開けていなかったので、久々の投稿になる。 今年初のnoteかと思ったら、一月に書いていたが、やはりnoteから離れていた旨を書いた記事だった。 同じような内容になるのも微妙なので、note外でやっていたことを書くことにする。 一月よりは前向きな気分なのは、別名義の創作アカウントがだいぶ復帰してきたからだ。自分でこれなら、と思えるところまで来たので、いったん良しとできたからだろう。 noteの方では「アマチュアの創作者だ」と公言しながら

      • 会議の多い生活をしていると一日があっという間に過ぎ去っていくなぁ、と遠い目になります。

        • noteにしがみつく心境をおもう

          このところ、noteに書こうかな、と思っていても、エディタを前にすると書けなくなることが頻発している。 以前、書いたことがあるが、僕の場合は書くネタをメモしてはいるが、細かく内容を決めたりしない。 ざっと数行、少ないと一行くらいのメモからnoteを書き出す。 だが、ここ最近はどうもメモからでは書き出せない。数行書いても、途中でやめてしまうものも多い。今までなら、ちゃんと練った方がいい記事、という区分に入れたのだが、我ながらそこまででもないだろう、という内容も含まれるようになっ

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        ゆんぐうの取扱説明書

          今年中の更新ができなさそうなので、つぶやきまで。 来年はもう少し浮上したいです。

          今年中の更新ができなさそうなので、つぶやきまで。 来年はもう少し浮上したいです。

          十一月の雑記を十二月に投稿してみた

          先月のクリエイターフェスに合わせて毎日更新をしていた反動、という訳ではないが、今月は色々なことをサボっていた。 noteもそうだが、他についてもおざなりなところが否めず、そこまでして何をしていたのかというと。 寝ていた。 とにかく今月は眠い日が多く、夕食後は別のことをしていたはずが寝落ちしていることが多かった。 ちなみに病気ではなく、単純に睡魔に負けてのことだ。身体自体はむしろ健康である。 急に冷え込んだせいにしておこうと思うが、一瞬だけ老化の言葉が頭をよぎったことは否め

          十一月の雑記を十二月に投稿してみた

          クリエイターフェスの10月が終わる

          今日で、クリエイターフェスが終了する。 クリエイターフェス中は毎日更新する、というのが今回のチャレンジだったが、何とか達成できてほっとした。 途中、かなりキツイ時があって、本来なら出すかどうか分からなかった下書きから引っ張り出した記事がいくつかあったりする。 僕の場合、下書きに残したままになっている記事というのは、書いたはいいものの、ちょっと論調が極端かな、と思ったり、少々過激な記事だったりするので、出した後の反応が少し怖いものが多い。 そんな風に書くと、「周囲の反応を気に

          クリエイターフェスの10月が終わる

          書くより読みたい時期が来た

          最近、noteを読む時間が捻出できない。 ゆるりと見なくなっている時間も増えていたので、そんなものかと構えていたが、この前、note創作大賞の結果発表があって事情が変わった。 受賞作を見ていて、気になるな、と思った作品を見ようと思っていたのだが、いろいろ時間が合わない。 僕は長い作品は、ある程度まとめて読みたいので、それなりに時間が空いた時にしようと思っていたのだが、この時間がなかなか取れず、地味にフラストレーションである。 これか、この毎日更新のせいか。 そんな、八つ当たり

          書くより読みたい時期が来た

          用途に困る貯金箱

          二十代も最後に差し掛かった頃辺りからだと思う。 昭和を思わせる、ちょっとレトロな貯金箱を持っている。 その頃、貯金の習性をつけようと、小銭をこつこつ貯金箱に入れることから始めたのだが、その内、僕が実家を出てローンの支払いに手一杯になって貯金がおざなりになったりしたせいで、しばらく存在を忘れていた。 ちょうど半年ほど前、貯金箱の存在を思い出した。 大した金額ではないものの、いちおう万に届く程度の金額にはなっていた貯金箱なのだが、扱いに困ってしまった。 実は小銭貯金を始めた当時

          用途に困る貯金箱

          笑える話は難しい

          一ヶ月限定とはいえ、毎日更新をしていく内に、少し見えてきたことがある。 僕、funny系の面白い文章、書けない。 実は僕、面白い掛け合いのようなエッセイというものに憧れがあったりする。 だが、現実は厳しい。 日常の話を、自分なりに膨らませて書くことくらいはできるが、どうしても自分の型が決まるというか、いわゆる「普通の」文章が限度である。 文章力を向上させる余地はたくさんあるし、もっと上手く書こうとすることは可能だろうが、面白いエッセイというにはほど遠い。 良くも悪くも、文章

          笑える話は難しい

          タイトルが思い出せない

          読書ノートというものをつけたらいいんじゃないか、と思ったことがある。 読んだ本と一言感想を残すだけの、本当に簡単なメモだ。 僕は読書が趣味だが、あまりマメではないので、そういったものをつけたことはないし、今後もないのだろうが、たまにつけておけばよかったのかな、と思うことはある。 読んだ本の内容をぼんやりとだけ思い出し、また読みたいと思った時だ。 長編はあまり多くないが、短編の、それも表題になっていない短編だったりすると、あまりタイトルを覚えていないことがある。 だから漠然

          タイトルが思い出せない

          note始めてみなよと軽率に言えない、こんな世の中じゃ

          僕は人の文章を読むのは好きだ。 人の文章を読むのが好きだからこそ、価値観として「人の書きたいという欲をそそのかす」「書きたいという欲求を阻害するものを排する」思想があるため、僕の書くことは、アマチュアで文章を書く人にはとことん甘いことが多いと思う。 だから割と軽率に、発信を勧めるところもない訳ではなかった。 けれど最近、少し考えを変えてきている。 安易に、人をSNSに呼び込むべきではないのかもしれない、と。 きっかけは、X(旧ツイッター)で、不快だな、という発言を見かけたこ

          note始めてみなよと軽率に言えない、こんな世の中じゃ

          書くことがない、と思う時

          書くことが好き。書くために生きている。 仕事ではなく趣味で書く人間ならば、そのくらいの心意気の方もいらっしゃると思うが、僕はそっち側の人間ではないことを連続更新をすることで思い知る。 どうしても気分がのらない日がある。書くことが思いつかないか、思いついても時間がかかりそうなものしか浮かばない日がある。 とはいえ、noteに張りつける時間は限られているのだ。気分がのらなかろうと、書かないことには終わらない。 そうやって何とかひねり出して25日目、あともうちょっとのところで息切

          書くことがない、と思う時

          10月からすでに年末準備

          先日、クリスマスケーキとおせちの予約を終わらせた。 まだ10月じゃないか、と思うのだが、クリスマスケーキやおせちの予約は早めにやっておかないと、満了だの終了だのしかねないので、目当てのものがある場合は早いに越したことはない。 などと偉そうに書いているが、僕自身はそうとうグズグズするタイプなので、気づいたら満了の憂き目にあう。家族がしっかりしているので、そこを頼って何とか免れている状態だ。 しかしこのご時世、こだわらないのなら当日でもどうにかなるのは事実。 クリスマスイブにチ

          10月からすでに年末準備

          ポストカードに想いを馳せる

          部屋を整理していた時に、ポストカードを発掘した。 僕の場合、自分で買ったものはアニメ系になってしまうのだが、いくつか知人から貰ったりしたものの中には風景画や写真を使ったものがあって、何とも懐かしい気になった。 よくよく見ると、使うために買って、結局、絵が気に入って出せなかったりしたものも混じっている。本末転倒なのだが、僕は気に入ったポストカードがあると、どうしても使えなくて、手元に残してしまっていたのだ。 今はもうそんなこともないけれど、代わりにこうやって捨てられないポスト

          ポストカードに想いを馳せる

          エッセイとは何かを考えるだけ考える

          エッセイとは何か。 単純に定義を問うなら、検索エンジンでググったらいい。 ただ、自分の思うエッセイとは、と考えた時、おそらくぼんやりとマイ定義が存在するはずなのだ。 現実にあったことを書くのがエッセイなのだろうか。 これは小説との差分で良く使われる表現だが、では文学における私小説はどうなのだろう。 私小説は作家の実生活に基づいているだろうし、そこにどの程度の創作が含まれているのか、なんて実は分かりはしない。 それでも私小説は小説であり、エッセイはエッセイなのだ。 では、

          エッセイとは何かを考えるだけ考える