短い夜と、長い夏休みと
短い夜と、長い夏休みと、そして宿題をため込んだ僕。
毎年、夏休みの宿題が八月後半より前に終わったことなどなかったけれど、忘れもしない小学六年生の夏休み。
八月三十一日になっても、宿題が終わらなかった年だった。
僕はギリギリまで宿題をやらない組の小学生だった。
僕がその舐めたスタイルで小学校時代を送るに至っては、自分が〆切ギリギリでのラストスパート型で、多少後半に回したところで夏休みの宿題は大体、二十八日辺りには終わっている性質によるところが大きい。
割と夏休みの宿題が多く出されるクラスに当たることが多かったが、特に両親に手伝わせたことはない。
ところがその、六年生の夏だけは違った。
夏休みに入る辺りで嫌な予感がしていた。
その年に課されたドリルの量は常軌を逸していた。
どう考えても毎日やらなければ厳しい。
二、三日溜めたくらいならともかく、最後にまとめてやるのは難しいだろう。
分かっていた、そう分かっていたのだ。
だが、僕は夏休みの最初、七月下旬の数日を費やし、前倒しの分を作ったところで、すっかり気を抜いてしまっていた。
僕のだらしなさはもう精神の根っこにあるレベルで、堂に入った怠け者なのだ。
いいや、と意識して捨てたのではない。無意識に、気が緩んだところでポーンと投げたのだ。
本気で忘れたまま、前倒しの分などとっくに使い果たした八月下旬。いつもなら、この時期から始めれば間に合う、という辺りにようやく思い出した僕は、地獄の夏休み後半を迎えることになる。
そもそも僕に計画性というものは皆無だ。仕事で引かされる線表ですらヒィヒィ言っている人間だ。
実は七月下旬の見積もりには、大きな穴があった。
ドリル以外の、プリントだのポスターだの作文だの自由研究だのについては全くのノープランだったのだ。
しまった、なんてものじゃない。
他人だったらバカと罵るところだ。だが、本人なのだから、この怒りのやり場などない。
子供の頃、しかもザル勘定で適当にやり過ごしてきたクソガキが、この未曾有の危機にいきなり神がかり的にテキパキと進められるはずもなく。
更に、ラストスパート型とうそぶく割に、僕はプレッシャーに死ぬほど弱かった。この終わるか終わらないかの瀬戸際、何から終わらせればいいのか、いっそ見えなくなった。
どうしよう。
とにかく面倒で一番嫌なものから片付けよう、とポスターから始め、一日の大半を机の上で過ごしながら、こういうの漫画でよくあるよなぁ、なんてまだのんきなことを考えていた。
だが、宿題は一向に終わる気配がない。
さすがに焦り出した。
実は、一見して優等生ぶってた僕だが、実は真面目系クズというに相応しく、日常の宿題などはかなりサボっていた。それでも夏休みの宿題を出せなかったことはさすがにない。
どうしよう、本当にマズイ。
日中だけでは終わらず、夜も侵食し始めていても終わらない、八月三十日の夜。
ついに、日付が変わった。
ちなみにこのレベルになっても両親が手を出さないのは、厳しいからというより、とことん自主性尊重型な家庭だからだ。
別に頼めば父親くらいなら手伝ってくれたろうが、自分の計画性の甘さを両親に泣きつく気にはなれなかった。
とことん、可愛げのないガキだった。
だが、さすがに日付が変わった辺りで本当にヤバいかもしれない、と思い始めた。
さすがに、疲れた。単純な時間の話だけしていない。
残りは、一番楽だ、という理由で最後に回ったドリルだけだったが、残りページ数はけっして少なくない。
さすがの僕も、泣きそうになった。
いっそ開き直って、出来なかったというだけの根性もないが、それにしてもこれは。
覚悟を決めるしか。
だが、まだ一日残ってる。まだ24時間あれば、あるいは。
最後の悪あがきで、なんとか寝ずに進めた僕は、三十一日の夕方には宿題を終え、無事に三十一日の夜を越すことが出来た。
もう、こんなのはこりごりだ。
そう思った小学六年生の夏休み。
夏休み明けに出てきたクラスメイトの中には、ドリルの答えを市販の書籍から手に入れて丸写ししてきた猛者がいることを知り、とことんまで打ちのめされるのだ。
だが、ここで、そんなズル、とならずに、畜生、僕もそうすればよかった、と思うところが真性の真面目系クズたる所以だろう。
僕のこのラストスパート癖はどこまでも治らなかった。大学のレポートは深夜から明け方にやるのが日常化していたし、趣味の同人誌でさえも〆切ギリギリの入稿どころか、間に合わなくてコピー本にした挙句、まだ小学校の妹に手伝わせたりしていた。
駆け込みばかりの人生だ。
それでも、僕の昔話というのはどちらかといえば幸福に属するのだろう、とは思う。
幸せなら良いはずなんだけど、不幸マウントと不良マウントのゴングが鳴った時、真っ先に脱落するのが僕だ。
案外、大人になると不幸話の一つくらいあった方がいい時もある。
僕の夏休みは誰より平凡な、どの家庭でもある光景だと信じてきたのに、案外僕は恵まれているらしいし、並外れて不真面目らしい。
でもあの時の僕は本当に泣きたかったし、新学期なんて始まってほしくなかったんだよ。
あの頃の僕の悩みがちっぽけにみえるように、誰かもまた自分の悩みがちっぽけだと悩むのかもしれない。
でもそれは、上の目線だからなんだと思う。
子供にとって、学校が世界だった頃、そこで怒られることや出来なかったことは案外軽くはないのだ。
僕ほど、幸せな境遇の子供だとしても。
まぁ、僕の場合は完全に自業自得なんだけどねぇ。