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平成31年4月胸膜炎入院日記

4月上旬のある日、家に帰ると体温が38.5度もあった。ここのところ家族が風邪をひいていたり、いろいろあって少し疲れていたりして、そんなに体調良くないなーと思っていた矢先の発熱だった。それにしても38度台もあるとなかなかしんどい。めしも風呂もそこそこに、20時台には布団に入った。夜中に目が覚め、熱を測ると体温は39度を越えている。体は汗で濡れてお腹を触るとすごく熱い。そして胸が痛い。強烈に痛い。右の胸から脇を通り背中にかけてが痛い。激痛。なにこれ。やば。そうこうしているうちに、胸が痛すぎて横になれなくなってしまった。体を横たえると胸が潰されそうだ。痛い。咳のしすぎで肋骨でも折れたのだろうか。しかし咳は出ていない。壁に枕を立て掛けてそこに寄りかかる。でもまず、胸が痛くてうまく枕を立て掛けることができない。高熱でうなされているのに横になれない。こういう拷問普通にありそう。

ほとんど眠れず朝を迎えると、なぜか体温は36.5度まで下がっていた。しかし胸の痛みは変わらず。会社は休む。夜に熱でうなされていた分の眠気でしばらくうとうとしたのち、たくさん汗をかいたのだから何か飲まなければと立ち上がろうとしたが、まじで本当に一歩も動けない。少し体を動かすだけで、ナイフで胸を刺されるような鋭い痛み。呻き声を通り越し、家で一人絶叫した。まずいこれは一人で病院に行けるとかそういうあれではもはやない。状況としてかなりやばい。迷った挙句7119に電話、救急車を手配してもらうことになった。救急車を呼んでしまった。なんだか大ごとになってきている。しかし動けないので仕方がない。ちなみに救急車は家が近くなったらサイレンを消して欲しい、と頼むと静かに来てくれる。近所の知らない他人に野次馬されたくないときに助かるライフハックなので覚えておこう。(家が交差点の前とかだと無理かもしれません)

搬送されたN病院で採血、レントゲン、CT、などの検査を一通り。CRPという炎症を表す値が、通常0.3のところ12も出ており、明らかに体の中でなんらかの炎症が起きていることがわかる。しかしそのなんらかはレントゲンを見てもはっきりしない。だが、CTを撮ってみると右の肺に大きな白い影ががっつりと映っていた。肺炎確定。素人目に見ても肺炎。黒く写された肺の空間に突如現れる肺炎特有の不気味な白いもやもや。こわい。CTは初めての体験で、すごく未来っぽい。撮影するとき、かすかにキュゥゥーンと鳴るのがカッコいい。ただ、CTは横になって撮らなければいけないので、激痛に耐えながらの撮影であった。肺炎ってそこそこ重症だと思うのだけど、急患ということもあり、強めの抗生剤と痛み止めを5日間分だけもらい帰される。その場で飲んだ痛み止めは早速効き始め、帰りのタクシーの中では、駆けつけてくれた家族と普通に会話ができるまでになっていた。症状が向上したことに気を良くして、夜はケンタッキーのオリジナルチキンボックス(オリジナルチキン×3/ポテト/カスタードパイ)を食べてしまう。さっき救急車に乗った人のメシか?しかしこのケンタッキーのほんわかエピソードまではほんの序章で、ここからが本当の地獄の始まりだった。

次の日になっても、その次の日になっても、抗生剤が効いてくる気配がない。むしろ胸の痛みはどんどん強くなる一方で、常に肺が刺されているように痛い。当然会社にも行けない。立っていても座っていても痛い。何かに寄りかからないと痛い。そこから起きようとすると痛い。寄り掛かりながらしか眠ることができない。加えて、夜になると39度の熱が出るようになってしまった。

家族に付き添われて別の大きなS病院にかかったのは救急車に乗ってから2日後。先日搬送されたN病院でやった検査を、S病院でも一通り行い、CTをよく見てみると、肺を包んでいる胸膜にも炎症が広がっており、さらに肺の下部に水が溜まっていることもわかった。もはや肺炎ではなく、もっと厄介な胸膜炎へ進行してしまっていた。CRPの値は前回の12を軽く超え20にまで上昇しており、たった2日で劇的に症状が悪くなっている。もらった抗生剤はやっぱり効いていない。レントゲンでも白い影が見えるようになっていた。先生に「よくここまで我慢したね!右胸相当痛かったでしょ?」と言われたが、相当痛かったです。話をしている最中も体調は激悪なので、その場で痛み止めと抗生剤の点滴をしてもらう。なお、この辺からいろいろ体がバグっていたためか、途中から花粉症の症状が出なくなる。免疫関係がそれどころじゃなかったんだろうか?

その後の診察により、これはもう内科の範疇にはなく、呼吸器内科でないと手に負えないとの診断。すぐに呼吸器内科のある大きな病院で入院するしかないという宣告をされる。受け入れ先を探してもらうが、金曜なのも関係してか、なかなか呼吸器内科のある大きな病院のベッドは見つからない。点滴の管に繋がれながら、待合室でじっと受け入れ先が見つかるのを待つ。外はとてもいい天気で、風に誘われて映画のような花吹雪。今年はお花見できなかったなー。やがて点滴の痛み止めは効き始め、徐々に熱も下がり、しんどさも軽減されて具合が良くなってきたように錯覚する。よせばいいのにそれに騙され気を許し、S病院の食堂でハヤシライスとナイススティックを食べてしまう。

しばらくして、少し離れたJ医大病院のベッドに2つの空きが見つかったとの連絡。しかし「救急室のベッド」もしくは「部屋代3万の個室」というなかなか選択しづらい二択を迫られる。「救急室のベッド」とは、救急で運ばれてきた人が一時的に収納される部屋のベッドで、ひっきりなしに患者が運ばれてくるだろうから騒がしそうだしその上男女混合。個室は嬉しいけど一泊3万て。一泊3万の温泉宿に泊まりてえよ。結局、救急室のベッドの方で受け入れてもらうことになった。空き次第、一般病棟へ移動となる。ちなみにS病院に来て検査をし、新たに肺炎→胸膜炎が判明し、点滴をし、呼吸器内科のある入院先を探してもらい、見つかり、お会計をするまで、の、この流れに、なんと7時間。朝9:00に来院して、J医大病院へ向かったのは16:30過ぎであった。

一度家に帰りたいところだったが、救急の受け入れで入院するため、準備などは家族に任せ、わたしだけすぐにタクシーで向かう。ふたつ駅向こうのJ医大病院に到着し、救急で受付。再び採血とレントゲンを行い症状を確認し、手首には点滴の管を通されるが、先程S病院で抗生剤と痛み止めの点滴をしたばかりなので今日はもうできない。採血は量を取るため?鼠径部(Vライン)から。痛くて怖くて本当にちょっと泣いた。さっそく病院の入り口すぐ横にある救急室のベッドに横になるが、その間にも多くの人が運ばれてきては運ばれていった。おじいさんから赤ちゃんまで。入院手続きの説明や泣き声、苛立った質問、咳、ナースコール、規則正しい機械の音がひっきりなしに聞こえる。慌ただしい。隣は寝返りもできない老人だった。仕切りのカーテンの下から尿の溜まった袋が見えている。体の位置を変えてくれと、何度も看護師を呼んでいた。部屋が落ち着くことはなく、消灯は21時と聞いていたのに22時近くになっても電気は消されない。徐々にN病院で点滴してもらっていた痛み止めが切れてきて、容体が悪化していくのがわかる。どうにもならないほど胸は痛み、少しも体を動かすことはできない。どんどん上がる体温によって体が震え、寒気で指先が痺れてきた。そこからは意識が飛んだり戻ったり。後から来て付き添っていたはずの家族は、いつ来ていつ帰ったのだろう。

サイレンの音が聞こえ「ここは随分と救急車が通る場所なんだなあ」と思ったら救急室のベッドの上だった。そうだ、昨日から入院したんだ。下がらない高熱と胸の痛みにうなされ、眠るとも言えない浅いうたた寝から目がさめたのは、まだ夜明け前だった。いつの間にか電気は消され、部屋の様子も少し落ち着いていた。腕には抗生剤の点滴が繋がれている。来たときには満員だった6つあるベッドは、いつのまにかわたしと隣の老人の2人だけになっていた。みんな病棟に移るか、帰るかして行ったのだろう。フラフラの状態で点滴スタンドを転がしながらトイレに行き、再びベッドに戻るが、静かで暗いのに眠れない。確かに眠れなかったはずなのに、救急室から一般病棟へ移されたまでの記憶がない。

翌日移った一般病棟の部屋は4階の6人部屋だった。ベッドは全部埋まっていた。救急は男女混合だったが、この部屋は女性のみらしい。どんな人がどんな症状で入院しているのかはわからない。というか今は己がそれどころではない。ぼんやりとした意識のまま運ばれてきて(たぶん車椅子で?)身長と体重を聞かれた気もするけどきちんと言えたのだろうか?何にも覚えていない。当たり前だが救急室に比べて、ここは圧倒的に静かだ。同室の人が立てる小さな生活音を心地いい。入院も初めてだし大部屋も初めてだ。そんなことを思っていたが、ここから三日三晩、高熱、痛み、痛み止めの副作用による吐き気に苦しみ続けることになる。

毎日1日3回の抗生剤の点滴に加え、1日3回の痛み止めの点滴。その合間に、痛み止めの副作用による吐き気を抑える点滴。常に何かの点滴を繋がれている状態。とにかく炎症の進行をこれ以上進めないためにも、使えるだけの抗生剤を入れていく。途中、採血とレントゲンで経過を見るが、変わらず白い影が映っているし、CRPの値は20から13で、少しは下がったもののまだまだ2桁。(しつこいようだが平常値は0.3)状態は良くない。肺炎や胸膜炎のような臓器の炎症は、風邪のような速度では回復しないらしい。そしてしっかり治さないと再発しやすいそうだ。これは時間がかかるな…。退院時期が見えない。金曜日に入院し、週末には退院できるだろうなどと思っていたが、少なくともあと1週間は退院できそうにない。

それでも入院して4日目辺りから、ようやく峠を越えた、と感じるようになってきた。夜は多少眠れるし、目覚めたときに「昨日と違う」と思える。少しづつ余裕も出てきて、同室にどういう人たちがいるのかもわかってきた。わかってきたというか、それぞれが薄いカーテン一枚で仕切られただけの6人部屋なので、否が応でも聞こえてしまう。名前、病状、家族構成、今お見舞いに来ているのは誰か、だいたいのことがわかる。もちろんわたしのことも同じように聞こえているのだろう。採血のたびに大騒ぎしてすみません。この部屋は癌の手術を受けた人が多いようだった。癌でなくとも何かしらの手術を受けていて、みんな痛みに耐えている。

入院してから7日目の検査。微熱は続いているし、痛みも残るものの、徐々に回復の兆し。痛み止めの点滴も必要なくなった。このまま大きな問題がなければという条件のもと、入院してから2度目の週末の退院が見えてきた。検査結果は、CRPの値が前回の13に比べ4まで下がっていた。が、レントゲンではまだ影が見える。エコーで右肺を見てみると胸水が2センチほど溜まったままだった。もっと増えてくるようなら、再発の原因になり兼ねないので抜かなければいけない、とのこと。肺に針を刺して水を抜くって怖すぎる…。ひとまずその場では経過観察となった。

しかし、入院してから9日目、退院予定日の前日。再検査にて水が全然減っていないことが判明。むしろ若干増えている…。結果、退院前に胸水を抜くことなってしまった。「やりたくない、やらなくて済む方法はないか、自然に水が減る可能性はないのか、どれぐらい痛いか、例えたら何と同じくらい痛いか」など散々ゴネたが「退院するともう抗生剤の点滴はできない。当然飲み薬は点滴より威力は落ちる。胸水が残ったままだとそこから炎症がぶり返す可能性が高い。退院前に抜いておけばその可能性をある程度下げられる」という説得に近い説明を担当医より受け、渋々処置の同意書にサインをした。再発を避けるためだ、仕方ない。これ以上退院は延ばせない。逃げちゃダメだ。サインをした途端、心の準備をする間も無くすぐに処置の準備が始まり、背中に麻酔の針がぶっ刺され、太い注射器で肺の中の水が抜かれてゆく。胸水は赤かった。ブラッドオレンジジュースのような水が次々と吸い出される。痛くはないが臓器を何かしらされている違和感がすごい。そしてその量なんと600cc。少しお得なペットボトル飲料並みの量抜かれてるじゃんよ。床に置かれた容器にじゃーじゃーと捨てて、針を抜いておしまい。麻酔は効いていたけど、麻酔がインフルエンザの予防接種と同じくらい痛かった。ひとまず、一旦これにて全ての処置終了。予定通り次の日の退院の許可が下りた。

入院して10日目、退院の日。朝、ずっと刺さっていた点滴の管を抜く。血管は点滴のしすぎで硬くなってしまい、今でも押すと痛い。でも管に繋がれていないって快適だ。胸の痛みほぼなし。熱も平熱。本調子の6割といったところだ。ここまで戻るのに、初日の発熱から13日、入院してから10日もかかった。風邪をこじらせると肺炎になることまでは知っていたが、さらにその上には胸膜炎というラスボスが存在していた。胸膜炎は風邪と比べて冗談抜きに10倍くらい辛いし、治りが5倍くらい遅い。本当に風邪は万病のもとなんだということを思い知った。病気の人や老人が、風邪から肺炎になりそのまま亡くなってしまうのも納得だ。37歳の体力でもここまでのしんどさがある。今後は風邪をひいても、二度と胸膜炎まで辿り着いてしまわないように注意を払いたい。

そして、この10日間の入院の中で、様々なドラマもあった。病院で働く方々との出会い、同室の愉快な面々、家族とのやりとり。体調はマジでめちゃくちゃ辛かったが、この入院生活自体は決して悪いものではなく、むしろ突然与えられた不思議で興味深い非日常の日々であった。毎日三食のごはんもおいしく、清潔で快適な環境で過ごすことができ、しんどいながらも精神面で大きく救われ支えられた。振り返ってみると、正直結構楽しかった。たまたまベッドが空いていたとは言え、J医大病院に搬送されたのはむちゃくちゃラッキーだったと思う。病院で働く方々には頭が上がらない。しかしそう思えるのも、今こうして無事退院できたからこそである。この辺のエピソードもいつかまたどこかで書きたい。

上京して今年で19年になるけれど、今回の入院は19年の中で一番窮地に立たされた出来事だったし、自分史上最大の大病でもあった。事情も事情だが、本当にいろんな方に助けてもらいました。家族をはじめ、職場の方々、仲良くしてもらっている人たち、みなさんご心配とご迷惑をおかけしました。ありがとうございました。これを読んでいるみなさんも風邪を軽く見ず、このような入院までに達する最悪のケースもあるので大事にするようにしてください。という訳で、平成最後の春は胸膜炎で入院をしていました、という記録でした。おわり

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永田ゆにこ

新宿をこよなく愛す37歳です
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