トラウマを作ったのは誰?

私は、小学生中学生高校生…とあまり少女漫画含む、女性向けの雑誌に連載されている漫画をほとんど読んだことがありません。
それというのも、幼い頃に読んだ、ある一編の短編による強烈な衝撃を与えられて、少女雑誌を読むことに恐怖を覚えてしまったからなのでした。

当時、大きな通りから少し入り組んだ道の奥に住んでいた私は、大通りに出る角のお店にある「I商店」さんでいつも漫画雑誌を買ってもらっていました。
今ではもうあまり見ない、個人コンビニのような品揃えの小さな商店です。
御近所さんということもあって、店番をしていたおじさんおばさんには割と可愛がってもらっていて、何も買わずに学校帰りに挨拶に寄ったり、トイレを借りたり、大変お世話になったものでした。
そのI商店の入り口脇には、一通りのいろいろな雑誌が、毎月ずらりと棚に並べられているという、マンガが好きな私には夢のような空間でした。
今思えば、コンビニの雑誌スペースよりも遥かに小さい棚だったと思いますが、当時の私はいつかここにある雑誌を全部いっぺんに読みたいなと思っていたのを昨日のことのように覚えています。

幼稚園児の頃からひらがな漢字をそこそこ読めた私は、セーラームーンのためになかよしを「I商店」で一年ほど毎月購読していました。
当時、普段であれば月に買ってもらえる雑誌は「なかよし」だけ。
ただ、おじいちゃんの家へ行くときや、親が留守にして居ないときだけ、お駄賃として、新しい雑誌を買ってもらえることもあったので、漫画に飢えていた私は、常にその機会を狙っていました。

というのも、当時、なかよしを隅から隅まで読んでいた私は、「なかよしのお姉さん雑誌!」という触れ込みで宣伝されていた「Amie」という雑誌の広告が妙に気になっていました。
まだ小学校に上がる前後だったはずですが、弟がいた私は、もう大人の人の漫画を読める!という謎の自負があったのです。

ある日、何かの用事で両親が私を置いて少し長めに日中出かけるというチャンスが訪れました。私が漫画雑誌を買いたいというと、母親はお駄賃に500円玉を渡し、出かけていきました。
(よし!!Amieを買おう!)
私は両親が出かけてから、妙にドキドキした気持ちでI商店へ行ってみると、Amieの創刊号の次の号が売っていました。あ〜、最初のは売り切れちゃったんだ…と思って、がっかりしつつ店番をしていたおばさんに雑誌を差し出すと
「これはまだ、早いんじゃない?」
と、聞かれました。
今思えば、それをきいてやめていればよかったのですが、「大丈夫!」と答えて、それを小脇にかかえて家に帰り、いそいで畳の上でそれを開きました。

最初の方から、なかよしにはない大人のマンガがたくさん載っていて、私のテンションは最高潮。
(これを読める大人の私カッコイイ…!)
などと自分に酔いつつ、次のページを開くと、なんだかさらりとした絵柄のマンガのページに到達しました。
大学生の子供が母親からの依存から抜けきれない、といったような話で、まだ小さかった自分には「…??」という内容。
よくわからないままページをめくっていくと、依存に耐えきれなくなった子供が留学をする、と母親に告げると、母親がその子供を「愛しているの」と刺して殺してしまいました。

「………!!!!!!!!!!!」
そのページを見た瞬間、まだ幼く、両親からぶたれたこともないような家庭で育った私はあまりの衝撃に恐怖で震えが止まらなくなりました。
親が子供を殺すということ、また、愛している相手を殺してしまうということ。
それまでの自分(幼稚園児か小学生かの頃です)が当たり前のように思っていた、家庭は自分を守ってくれるという幼い価値観が、そのマンガですべて打ち砕かれてしまったのです。
頭は混乱を極め、その先のマンガは一切読めなくなってしまいました。
また、こんな怖いマンガが載っていたらどうしよう…!?

両親が不在だったこともあり、その恐ろしいマンガを自分の家の中に存在させることが恐怖すぎて、泣きながらAmieをI商店へ返品しに行きました。
「これ、返せますか?」
「読んじゃったの?本当はだめだけど、どうしたの?」
「お願いします…」
私がおかしな様子で訴えたからか、おばさんは返品に対応してくれて、私は帰ってきたお金でコロコロコミックを買いました。
それから、コロコロには長い間お世話になりました。
その後読んだレツゴー、安心したなぁ…!ありがとう…コロコロ!!

あの一編の短編のせいで、無邪気だった私の中に、親に殺されるかもしれない…という恐怖が植え付けられてしまいました。
今にして思えば、いたって平穏で、両親ともそこそこ子供に優しく、愉快な私の家では、基本的にそんなことが起こるような気配は微塵もなかったのです。
それでも、目をつぶればあのマンガが脳裏に浮かび、夜もしばらくうまく眠れず、思い出しては恐怖で動悸が止まらなくなり……よもや、親にも「親に殺される子供話を読んだ」とも告白できず、友達にも話せないまま、それから何年も少女漫画雑誌を恐怖で開けなくなってしまいました。

それから、小学生の間はコロコロコミックや週刊少年ジャンプという少年雑誌を読むようになり、親の影響で昔のガロの作品を読んだりするようになりました。
少女漫画はというと、雑誌ではなく友人から単行本を借りて、雑誌を避けて読んでいました。嫌いだったわけではなく、本当にあの一編が恐ろしく、またあのような恐怖体験をするかもしれないと思うと、それだけで少女漫画雑誌に手が伸びなかったのです。


こんな体験があり、私はほとんど同時代の少女漫画を読めていません。
最近、自己分析をする際に自身のマンガの読書体験をふと振り返ることが多く、どの漫画を好んで読んできたかよりも、もしかしたらこの出来事にかなり大きい影響を与えられたのかもしれない、と思うようになりました。
幼少期のことなので記憶も曖昧ですが、ここはあの時の作品を読み返してみたい!

さて、こうして書いていくうえで前提として知っている体で書いてしまいましたが、当初はなかよしの姉妹雑誌「Amie」の名前も記憶になくwikipediaでようやく「あ〜、たしかにこんな名前だったかも」と懐かしく思い出す有様。
あまり息の長くない雑誌だったようですが、それでも短編はかなりたくさんあります。デビュー前後の作家だったらわからないかもしれないなぁ…と思い、「Amie」の執筆陣をぼんやり眺めていると、ふとひっかかった名前。

山岸涼子

いやいや、山岸先生…あの雑誌に描いてたんですか?
自分が幼かったので、なかよしの姉妹雑誌といえども小学高学年くらいの層を想定していたのかなぁ、と勝手に思い込んでいたため、まさか山岸先生がこの雑誌に描いているとは24年組が好きな自分でも想像できませんでした。
いくつか検索する中で、アマゾンのひとつの短編集がヒットしました。

「押入れ」(Amie comics)
(略)母親の、我が子への偏愛がもたらした破滅への道程『メディア』。

これだ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜!!!!!!
一応検索して感想を漁りましたが、これ以外にありえません。
私のトラウマを作った、ある意味マンガ人生をめちゃくちゃにしたのは山岸先生だったのか!!!!!!!
さきほどふと思い立ってこの事実に気づいた時、あまりに面白くて声をあげて笑ってしまいました。
もう数十年も(今読んだら、そんなに怖くないかもしれないのに…あの時読んでしまったから少女マンガから遠ざかってしまったのかも…)などと思っていましたが、幼い頃の私の感性を褒めてあげたいと思います。
だって、絶対今読んでも怖いから。夜中寝れなくなるし!!

逆説的にではありますが、あの漫画が「自分の思う世界だけがこの世の価値観ではなく、人によって価値観は違う」ということを教えてくれたように思います。
自分が思うことがすべてではない、ということを教えてくれた山岸先生ありがとうございました!まぁ、十年くらいずっとトラウマで恐怖だったわけですが…笑
どうにかこの作品を読み返したいので、今売っている作品集のどこかに収録されていないかこれから探したいと思います!

いやーマンガって面白いですね。
ここまで衝撃を与えられても、別に漫画が嫌いにはならなかったので、本当に自分は生まれた時から好きなんだな…と半ば呆れつつ思っています。
備忘録としてウン年来の衝撃だったので、何となく書き残してみました。

おわり

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