DANCE OLYMPIA 第1幕は無駄なのか?

DANCE OLYMPIAとは
宝塚歌劇団の花組 新トップスターの柚香光さんのプレお披露目公演(大劇場ではない劇場でのお披露目公演をこう言うらしい)として、2020年の1月に国際フォーラムで上演された演目です。
お芝居とダンスがメインの第Ⅰ幕と休憩をはさんでダンスがメインの第Ⅱ幕で構成されていました。4月16日からBD/DVDが発売中。
Ⅱ幕はすごくよかった〜!けど、Ⅰ幕はよくわからなかった…。
と公演当初から言われているのをよく見かけました。

これは、いや、Ⅰ幕もよかったよ!!!という、内容のnoteです。

第Ⅰ幕 アキレウスグレートジャーニー

ダンスオリンピアのⅠ幕目には「アキレウスグレートジャーニー」という副題がついています。

こんなあらすじ(ネタバレ)
古代ギリシャの英雄アキレウスが嫁とイチャついたり戦ったりしてたら親友が死んでショック(ぴえん)状態で朝日をあびたらタイムスリップした。
気付いたらNY。死んだ親友とそっくりの男がいるダンスグループの仲間に入って踊ったりしてたら、嫁にそっくりのブロードウェイスターといい感じになって、みんなでダンスして楽しくなって夜が開けたら古代ギリシャにまた戻ってた。
みんなのこと忘れないよ…アキレウスがめっちゃ踊る。
踊るって最高!生きてる!

この文章を読めばわかるのですが、アキレウス グレートジャーニーには内容はまったくないのです。
そう…だからいいんだ!アキレウスグレートジャーニー!!

実際に見た時も好きでしたが、今の状況で見るとまた格別ですね。
ダンオリⅠ幕のアキレウス グレートジャーニーには私がエンターティメントに必要だなと思っている姿勢が、ふんだんに詰め込まれているなと思うからです。

意味がなくて無駄なもの

アキレウスグレートジャーニーの内容から一度離れて。
世界的なウイルスの脅威で、今世の中では必要なものと必要でないものの輪郭を明確にするような言動や意見を、今までより多くの人が持つようになっているなぁと感じます。
舞台演劇やスポーツなど、はたまた映画やマンガやアニメ。衣食住に直接関係のないものは、果たして無駄なものでしょうか。
プロになれない人がギターを練習すること、運動神経のない人がスポーツをすること、リズムをとるのが苦手な人がダンスをすること。
忙しい仕事の合間に、金銭的に厳しい中でむりやり、人とごはんを食べに行ったり、映画に行ったり、演劇を見たり、イベントに行ったり、無駄なのでしょうか。
私は、あまりそうは思いません。
無駄なことに打ち込むことこそ、意味があるかわからない人生を有意義にするひとつの方法なのだ、と今の世間の現状を見てさらに感じています。(もちろん、いろんな考え方を持つ方がいらっしゃるので、数あるうちのひとつ、という話ですが)

そもそも、無駄に思える存在というのは美しい。
絶対的必要がない…ということは、それは「わざわざ」誰かが作ったものだということだからです。
誰かの強烈な思いがあってこそ、無駄は存在している、その思いが美しいと思います。

無駄なことの美しさ

ハリウッド黄金時代を支えた、アメリカの配給会社MGMの設立50周年を記念して作られた「That's Entertainment!」(1974)という映画作品があります。
これは、MGMの数あるミュージカル映画の中から名場面を抜粋したアンソロジーのような作品です。
ダンスオリンピアのBDを見る前に、自宅にあるこの作品を見返してからにしようと思い立ち、二つを連続して見てみることにしました。

過去のハリウッドの作品は、豪華絢爛。
セットもすべて配給会社が自前で制作していますし、街をすべて作ったりもしています。
「雨に唄えば」などが有名な例でしょうか。
歌いながら土砂降りの中歩く街、あれはすべてMGMのスタジオ内のセットなんですね。
今であれば、どこかの街を借りてロケハンする方が普通でしょうか。
ネオンサインをたくさん作ったり、セット、衣装、すべてをものすごく作り込んでいます。装飾のためのそれらは、お話のストーリーには関係ないようなものも多いです。
話に関係するかしないかだけに着目すれば、あの頃のハリウッド映画は無駄なことばかりしています。

でも、この無駄は意味のないものではないのです。
美しい映画をつくるため。観客を楽しませるため、その無駄に見えるものは存在しています。
意味のある無駄に労力をかける。
エンターティンメントの本質はここにあるのかなと思っています。

また、フィギュアスケートの荒川静香さんがトリノオリンピックで金メダルを取ったときの演技で、今では有名になったイナバウワーという技を折り込みました。
フィギュアスケートは、それぞれ動きにも点数的に意味があり、その難易度を上げたり積み重ねることで得点を得るスポーツです。
しかし、イナバウワーという技は、当時無得点の技でした。得点を得るスポーツという観点からすれば、イナバウワーは無駄です。
それでも、あの演技のイナバウワーの美しさはみなさんご存知の通りですし、あのあとの彼女の代名詞、それをこえてフィギュアスケートの一番有名ともいえる技にもなっています。
有名な話ではありますが、これは一見無駄なことこそが本質だという、いい一例なのではないでしょうか。

ダンスのための公演

アキレウスグレートジャーニーの話に戻ります。
ダンスオリンピアという名前が示す通り、この演目は「花組のみんなのダンスを見せる公演」です。
個人的には、逆にめちゃくちゃ泣ける芝居、めちゃくちゃ深い芝居、芝居自体が内容があったらダンスの邪魔だったなと思います。
それでも、ちょっとした感情を乗せる方がスパイスになる踊りというのはあるのではないでしょうか。
それが、Ⅰ幕の中に登場するダンスなのかなぁ、と私は思っています。

古代の戦士が戦いに行こうという時に見せる剣と盾を持つ踊り…
若者たちが野心を持って踊るヒップホップダンス…
劇場のスターたちが観客に見せる小粋なジャズダンス…
夜の公園で恋と友情の間で揺れるようなデュエットダンス…
新しい自分を発見して生命の喜びに溢れる踊り…

ダンスオリンピアのⅠ幕には、通しでの内容はありません。
ただ、見た人がどこかのダンスの場面を素敵だと感じたら、前後の芝居に意味は生まれるのです。
私は、観客がそれぞれのダンスをより楽しむために、演者を含めた製作者の方々があえての「無駄」を全力で作って見せてくれたことのその姿勢が本当に嬉しいです。

無駄なことをやる根気

無駄なことを、全力でするのは大変です。意味が見えないと、人はお金をいくらもらってもやる気を出すのが難しい生き物だなぁと自分を含め、周りを見ても思うからです。
でも、その意味がないように思えることの積み重ねこそ、エンターテインメントというものが人々を楽しませるための、最大の誠意なのではないかと思います。
その誠意を、ダンスオリンピアのⅠ幕に見て、私は大好きになりました。

ここまで言っておいてですが、普通に「なんじゃそりゃ!?」が好きなのもあるんですけど!!
セリフとかめっちゃ変だし!(変とかいうな)

ともあれ、私もがんばろう…という、自戒もこめて久々にnoteをかきました。笑
おわり

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