ブレインストレージ

 脳の容量は節約したいタチなので、昔のことは定期的に忘れるようにしている。ブレインストレージもただじゃない。全く……あの企業はぼったくりではないだろうか。

「一エクサバイト五九八メガエン! 今なら繰り越しも出来ます!」
 視覚情報に入ったブレインプロバイダーのしょうもない広告。あぁ、嫌だ嫌だ。忘れてしまおう。
「一ギガバイトの情報を消去しました」
 機械合成された声がそう告げる。広告ブロック機能も欲しいが、あれもただじゃないのだ。まったく……。

 ある時代を境に爆発的に科学技術は発達した。生身の人間の脳では処理しきれない情報を処理する羽目になった人類は、補助脳――コプロセッサー的なものを身体に搭載することで前時代とは一線を画する利便性を手に入れた。

 補助脳には、ブレインストレージという補助記憶装置がある。こいつは従量課金なので人によって容量はまちまちだ。先程の広告のように、一エクサバイト辺りの値段は概ね高い。大体の人は三エクサバイトもあれば十分だけど、ヘビーユーザーはもっと大量の容量を使う。他にも処理速度を上げたければ高級なプロセッサーが必要になる。

 かくして文字通り“頭でっかち”になった我らが人類。さぞ高燥なことをしているように思われるが、実はそんなことはない。人間は基本的に怠惰なのだ。大したことが出来る存在なぞほんの一握り。大体はダラダラしている。

「He-20834さんより接続要請がありました。許可しますか?」
 仕事をしていると、ふとブレインネットワークに接続要請が来た。また面倒臭いやつからだ。
「拒否」
「He-20834さんより接続要請がありました。許可しますか?」
「拒否」
「He-20834さんより接続要請がありました。許可しますか?」
「許可」
「あぁ、やっと繋がった。この前はすまなかった。怒っているかい?」
「当たり前でしょ。私がエコ志向なのはわかっているくせにあんなゴミ送りつけてくるなんて信じられない」
「ゴミは酷いな……。君がエコなのも理解している。でも僕の想いを表現するには最低でもあれだけのストレージが必要なんだよ」 
「だからって五百ペタバイトのデータ送りつけてくる? ストリーミングで何ミリ秒かかったと思うの? しかもナルシスト全開のあんなムービー必要ないわ」

 この軟弱な男は、私のエコ志向を全く考えずにドカドカとリソースを消費する様に耐えきれず先日別れたのだ。念のために言っておくと、私のような考えは多数派。彼のように浪費家は嫌われる傾向にある。
「念のため言っておくけど、そんなに浪費していると面倒臭いことになるわよ?」
「君は優しいなぁ。だが、僕がどんな権限を持っているか知っているだろう。こいつを持っていれば……」
 耳障りなノイズと共に更に不快な声が消える。あぁ、だから言ったのに……。

「Ad-30631さんより接続要請がありました。許可しますか?」
「許可」
「こちらは管理局です。Sh-25243さんですね?」
「はい。彼はどうなったのですか?」
「リソース私的流用の罪により削除されました。あなたのデータにその痕跡はありませんので安心して下さい。ただ、He-20834に関するデータは消去させて貰います」
「ええ、問題ありません。善良な市民ですので」

 この後のデータ削除手続きの説明をして管理者は帰っていった。全ての説明にナノ秒かからないあたりプロである。
 テータ削除――存在や記憶を抹消するのは厳格な手続きが必要である。全てが脳だけで完結する世界では、データとは非常に大切なもの。それを無くすもの大変なのだ。
「管理者より補助脳リブート要請が来ています。許可しますか?」
「はい」

 削除手続きにサインした私は、ナノ秒で管理局に提出する。すると、更に短い時間でリブート要請が来た。再起動には少々時間がかかる。終わるまでにどれだけの出来事が起きているのか想像も出来ない。

 カウントダウンが始まり、ふと彼のことが頭をよぎる。データを浪費する男ではあったけれど、悪い奴ではなかった。だから短い間とはいえ付き合ったのだ。哀れにも消去された存在は過去になる。いや、出会ったこと、付き合ったこと、別れたという出来事を過去と認識できるのもあと七ミリ秒だけ。再起動が終われば、彼は存在しなかった世界になるのだ。そう思うと少し物悲しい。

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