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「自分」は探しても出てこない

「自分探し」という言葉がある。

一般的には、自分を探しに旅に出る、みたいな意味で捉えられていることが多い。

たしかに、自分のやりたいことが分からない時や自分の将来の方向性を見失った時などは、どうしようもない不安に駆られて「何か行動せねば!」という気持ちになるもの。

だけど、自分自身は今そこにいて、旅先や出かけ先に別の自分がいるわけではない。自分を探さないと、と思ってキョロキョロ見渡したっているわけがない。

自分を探すのではなく
自分に気づかないといけない。

自分に気づくとは

自分の思考に敏感になることだと思う。
美味しい、面白い、美しい、嫌い。
物事に対する自分の意見というのかな。
その事柄について、自分は今どう思ったか。
そこに敏感になれば、自ずと自分がどういう者か見えてくるのではないだろうか。

でも、これは「さあ今から自分の思考に敏感になろう」と言ってすぐに出来るものではないと思う。
そもそも自分が分からないという人は、自分に鈍感ということだ。
鈍感だった感覚を敏感にするには、怪我と一緒でリハビリが必要不可欠だろう。

どんなリハビリがいいかと言うと、
私は「どんなことにも自分の意見を常に持つ」というのをとにかく続けてみた。
これは主張しろというのではなく、頭に思い浮かべるだけでもいい。
例えばSNSで見た記事について、自分はどう思ったのかちゃんと整理してみたり、
本を読んで自分が共感したところをいっぱい書き出してみたり。
もちろん、旅に出るのもいいと思う。
知らない土地で出会う人や風景、それぞれに対して自分はどう感じたか、というところに視点を向ければ、随分良いリハビリになるだろう。

そんなことを繰り返しているうちに、
自然と自分の価値観とか考え方が私はどんどん見えてきた。

そしてある日、自分に気づいた。

「灯台下暗し」
まさにこれだった。

「あ、自分はここにいた」そう思った。

自分がやりたいことを見つけた時もそうだった。
無心になって自分のやりたいことを紙に書いたり、こんなコラムみたいなことをひたすら書き続けていた。
そんなとき、
「やりたいことって、そもそも今やってることじゃない?」
そう気づいた。
いま書きたくて書いてる。
文字を綴りたくてたまらないからこうしてる。
これが今の自分のやりたいことだ。

私は何回も遠回りして、ようやく気づいた。
でもこれは自分の思考に鈍感なままだったら、ずっと気づくことが出来なかったかもしれない。

自分をどれだけ探そうとしても見つからなかった。
なぜなら、自分は自分から見えないから。
なら気づくしかない。
自分はここにいるということに。

#日記 #コラム #エッセイ #自分 #人生 #自己啓発

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