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死んだおばあちゃんのことを思い出した

母さんから電話があった。
「おばあちゃんの義姉さん、亡くなったらしいよ」

俺は悲しいとか切ないとかの前に「あぁ、会っておいてよかったな」と思った。

俺は23歳の時、バイクに乗って日本一周をした。
その道中、鹿児島の津貫という小さな町に行った。
それは、おばあちゃんの実家がそこにあるという情報を知ってなんとなく行った。

その日の事は動画にしたから、見たほうが早いし、知っている人もいるかもしれない。
とにかく俺は、見たこともない町で、見たこともないおばあちゃんの実家を探した。

津貫というのは小さな村で、人もほとんど歩いていなかった。
道行く人に「島津」という家は知りませんか?と聞いて周った。

夕焼けに照らされた俺とバイクの影が、畑にゴウゴウと映った。
それを見ながら俺は
「今日の事は一生忘れないだろうな。忘れちゃいけないな」と思って上の動画を作るに至った。

そして俺はおばあちゃんの実家にたどり着いた。
その時はとにかく、来れたことに感動したものだ。


おばあちゃんの実家の横には、おばあちゃんの義姉がいた。
かなり高齢なので会話も成り立たなかったのが正直だったけど、俺は挨拶した。

おばあちゃんの義姉さん。
かなり高齢で会話はギクシャクしてたけど、笑っていた。


この方が先日亡くなられた。

やはり人の死は悲しい。でも、俺はこの日会えていたから、良かったんだと思う。
きっと会えずに諦めて帰っていたら、後悔になっていただろう。

その日は泊まる場所も無かったから、俺は出水市に向かって走り出そうとした。
そしたら誰かに呼び止められた。それが俺のおばあちゃんの旧友の方だった。

二人で腰掛けて語った。俺の知らないおばあちゃんの話をしてくれた。

山口と鹿児島、近そうでなかなか来れない距離のこの場所で、俺のおばあちゃんと繋がりのある方がいる。
その人たちはその人たちの生活があって、
本来ならば会うこともなく死んでいった自分達が、こうして偶然を重ねて会えたことに感動を覚えた。


この方は、別れ際にみかんをくれた。
くしくもみかんは俺とおばあちゃんの思い出でもあった。



バイクに乗って走り出した俺の頭上を、赤とんぼが飛び越えていった。

夕焼け空が向こうからやってきて、山を飲み込むようだった

拓けた畑は赤々と照らされ、その上を赤とんぼが連なって飛んでいた。
俺はその情景を見てあっけにとられていた。

(この曲を作ろう、今日の気持ちを作らないといけない)

そう思ってその場で作った曲が「秋と蜻蛉(かげろう)」だった。

津貫を飛ぶ赤とんぼと、おばあちゃんの実家にこれた喜びで作った曲



ここまでがその日の思い出話と裏話のようなもので、ここからは今俺が思っていることになる。


おばあちゃんの義姉さんが死んだと聞いて、おばあちゃんの事を思い出していた。

俺のおばあちゃんは本当に強い人だった。
若くして夫には先立たれたらしい。いわゆるシングルマザー、未亡人というやつだった。
母さんも父を知らないから、相当若く亡くなったらしい。
女手一人で3人の子供を育てて、貧乏だったからか戦後だからか、近くの海岸で毎日貝を掘っては食べていたらしい。
母さんは昔はじゃがいもがご馳走だったと言っていた。

女手一つで3人育てるおばあちゃん。この写真のうち左下の叔父さんも最近亡くなってしまった。


おばあちゃんは小さかった俺の面倒を見るために、風呂敷を抱えて、1日数本のバスに乗って歩いてきてくれた。
一緒に手を繋いでよく散歩をした 。
俺が「足が痛い。疲れた」と駄々をこねると、困った顔をしても結局おんぶしてくれていた。

俺をおんぶしてくれているおばあちゃん

よく2人で新聞紙を敷いて上に座り、お地蔵様の前でみかんを並んで食べた。おばあちゃんも疲れているだろうに、いつも持ってきたみかんもお茶も俺にだけ食べさせてくれた。
おばあちゃんがしわしわの手で剥いてくれたみかんは本当に美味しかった。

俺とおばあちゃん がっしりと掴んでいる手が「愛」です


2人で手を繋いで歩いた道も、一緒に食べたみかんも、二人で歌ったぽかりの歌も、俺とおばあちゃんだけの思い出なんだ。

母も兄も父も、誰も知らない俺とおばあちゃんだけの思い出が、今でも俺の記憶に生きている。

もし俺が死んだら、この思い出は誰も思い出せなくなってしまうんじゃないだろうか。そうしたら俺はまだ死んじゃ駄目なんじゃないだろうか。


おばあちゃんが死んだあの日、おばあちゃんは俺の思い出の中にしか生きていけなくなってしまった。
それまで外側にあったおばあちゃんが、俺の記憶の中だけになってしまったから悲しかったんだろう。

それはきっとおばあちゃんだけじゃない。
死んでいった人たち、つまり自分の外側で生きていた人達が死んでしまうことで、自分の内側の思い出にだけしか残らなくなってしまったんだろう。

俺は毎日死にたいけど、そうやって積もり積もった自分の中でしか生きていけなくなった思い出まで一緒に死んでしまうということは、とても悲しい事なのかもしれないと思った。

スペインのピレネー山脈を旅している時、水を忘れて死にかけた事がある。
本当に死ぬ寸前だったあの時、無性に死ぬのが怖くなったのは、色々な思い出や記憶ごと一緒に失ってしまうからなのかもしれない。

たまにはおばあちゃんの事を記憶から取り出して、思い出してあげることが記憶の中で一緒に生きていくことなんだろうか。


おばあちゃんとおばあちゃんの義姉さんに黙祷。

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