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「心配」を「信頼」に

きのう、古賀さんのオフィスにお邪魔した。

古賀さんはふらっとオフィスに遊びに行くといつも、いま取り組んでいる仕事の話をおもしろおかしく聴かせてくれる。ぼくは自分自身や、共通の知人についての近況をややスベりながら話す。それがひと通り終わると、だいたいごはんにさそってくれて、ごちそうになる。きっと忙しいはずなのに「また今度ね」と追い払われたことはほとんどない。

気楽だけどおいしいお店でビールを飲みながら話すのは、バカ話が半分とド直球の編集論が半分。どっちも、めちゃくちゃおもしろいのは言うまでもない。そしていつも古賀さんは、宴もたけなわというころ、ぼくがちょっとはマシになったかどうか試すように「○○についていまいくんはどう思ってんの?」、「いまいくんは何が得意だと思ってるの?」という、これまたド直球の問いを投げてくる。もう3年ぐらいこのかたちでお世話になっているけど、綺麗に打ち返せたことはまだない……。

帰りみちはだいたい、ひとり反省会。渋谷でごちそうになることがほとんどなので、スクランブル交差点のスタバで行うことが多い。きのうもそうだった。

想定できた問いかけだったのにうまく返せなかったな。こう言ってればもうちょっとうまく伝えられたかな。いや、「うまく」とか言ってる時点で違うんだよきっと。深いところまでふだんから考えてたら自然と切れ味出てくんだよ。いつか認めてもらいたいなあ。なんでおれはこんなにダメなんだ。ちくしょう。どうすりゃいいんだ。やるしかねえだろ。なにをだよ!仕事だよ!——はたらこう。

なんてことを考えたあと、ブルーハーツやMOROHAを聞きながら、ちょっと鋭い目をして帰るのだ。そのまま朝まで仕事をしたこともあった。

こんなことをくり返してもらっていると、自分のなかに「リトル古賀さん」が住むようになる。noteをはじめとしたSNSでの投稿も、毎度「古賀さんならどう思うだろうか……」と(これでも)考えながらアップしている。ぼくの頭の右ななめ後ろぐらいのところに、腕を組んでジッとぼくのモニターを見つめる古賀さんがぼーっと浮いているイメージだ。これを書いている今もそう。リトル古賀さんの表情は、今日もさえない。

「後輩キャラが通用するのも、30までだからね」と言われてはや数年。ぼくは間もなく、32になる。もういい加減、諸先輩方からもらう心配を「信頼」に変えていかないとマズい。もうとっくにロスタイムなのだ。

リトル古賀さんに安心して見守ってもらえるように、リアル古賀さんにちっとはマシになったと言ってもらえるようにサボらずやっていきますので、またダンボールが溜まったころにお邪魔させてください。いつも本当にありがとうございます。