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「明日 自慢できるバカをやろう」

今日は歯医者の日だったので自転車で外出をし、ついでに好きなお店をささっとまわった。

神楽坂のかもめブックスで本を2冊買い(いいの買えた)、神保町のフォークバーガーでアボガドチーズバーガーと宇宙ブルーイングのIPAを飲み食いし(おいしかった)、蔵前のダンデライオンチョコレートでホットチョコレートを飲んだ(もちろんおいしかった)。

イスが全部片付けられていたり、注文を決めてから入店して欲しいと書かれた看板が出ていたり、ふだんとちょっとだけ違うところはあったけれど、あとはいつも通り。いつもの場所に、いつものスタッフさんたちがいてくれたことがうれしかった。そうだ。きのうテイクアウトした、PIZZA SLICEのピザもおいしかったなあ。オーナーの猿丸さんも元気そうだったし、開発中のピザまんもたのしみ。

道中、早稲田大学の前を通りかかった。早稲田大学の周囲には今でもサークル宣伝の「立て看板」が列挙されており、新入生の争奪戦が行われるこの時期は特に力の入ったものがならぶ。毎年のたのしみだ。

とある企画サークルの看板にこんなメッセージがおどっていた。

「明日 自慢できるバカをやろう」

なるほど。SNSでの承認が大学生にとって至上の価値となる2020年。「○○、こんなバカやっちゃってさ」といった自虐風自慢話のスタイルはこういうかたちで近代化しているのか。○○に入ることばも、学生のころ(今は社会人)→1年生のころ(今は4年生)→きのうと変化していて、いかに短期的なスパンで語れるエピソードを持てるかどうかが、首都圏の学生にとって肝要なんです! つまり、「明日自慢できる」がいまの若者の気分! だから部長、この企画です! ドン!

これができない。

今も昔も変わらず「プレゼン」めいたことをする機会があるが、こういう話し方がいつまでたってもできない。話のうまい人はこれがばつぐんにうまい。いわゆる屁理屈なんだけど、まるで真っ当な論理があり、「ひとつの事例」にとどまらないんだという確信をもち、自説を世紀の大発見のように饒舌に、自信たっぷりに語る。

ぼくは少なくともふたつ、できればみっつの事例がないと「世の中の気分」として語れない。そこは多分一生変わらんなあと、立て看板をみてそう思った。