カネを殺した

新卒で入った会社は給料がよかった。

忘れもしない初任給は、額面で298,000円。福利厚生が皆無の会社だったとはいえ、大卒初任給としては破格だったと思う。しかもこれは試用期間の給料で、翌年には35万円ぐらいになったと記憶している。スタバに躊躇なく行き、コンビニで値段を気にせず買い物をしていた。終電を逃してタクシーにのることもままあった。

独立して2ヶ月、いまのぼくの収入は親が心配するのでここには書かないけれど、当時より少ない。お金は、おおざっぱに言えばどれだけ社会の役に立っているかのバロメーターだ。31歳のぼくは、24歳のぼくより地球に貢献できていないことになる。世の中とは、きびしく、わかりやすい。

当時もらっていたお金を貯め込み、それこそ運用でもしていたらもう少しいい暮らし向きになったのだろうけど、当時もらったお金はいま、1円も残っていない。「1円も残っていない」はまあ、いい。若かったし、先のことなんてわからないものなのだ。問題は「何に使ったのかわからない」ことである。

「とにかくうまい飯を食った」「手当たり次第に本を買った」「スキがあれば海外に行っていた」「合コンしまくりだった」

こういった記憶が、ない。品の良し悪しはさておき、明確な目的を持って使ったのならそれは「生き銭」になったのだろうけど、ぼくには何もなかった。せっかく今よりヒマで体力もあったのに、得たお金のほとんどを殺してしまったのだ。嗚呼、なんともったいないことか……。

起業というリスクをとった以上、「ひと一倍稼ぐ」とい意志はもちろんある。これから、新卒当時のぼく以上のお金を手にすることもあるだろう(ないと困る)。そのときは、今度こそ用途をはっきりさせたい。できれば「後輩におごりまくった」とかがいいな。「親に使った」もうつくしい。「採用」とか、経営者っぽくてかっこよくない? よくなくなーい?





ひとはこれを、「捕らぬ狸の皮算用」と言う。





はたらこう。