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ぼくの父は「たぶん」こんな人間です。

いきなりローカルネタで恐縮だが、その昔滋賀県のローカル局では、こんなCMが流れていた。

滋賀県のアラサー以上の人なら30回は見たことがあるであろうこのなんでもないボート免許のCM。このCMで20秒ぐらいから映るボートを運転しているのが、何を隠そうぼくの父である。

当時、父は「ヤンマーマリーナ」というヤンマー社が経営する、琵琶湖用のクルーザーやボート、ジェットスキーを停泊させておくマリーナで働いており、その業務の一環として出演したらしい。

昨日は、そんな父の一周忌だった。

ぼくが高2の正月、父はくも膜下出血で倒れ、以後15年の間、意識のない、いわゆる植物人間(字面すごい)としてその人生をまっとうした。

16歳の冬、野球部の練習の帰りに母から来た「お父さんが倒れました」のメールを見て、自転車で病院まで走った。ふだんは快活な母と、反抗期まっただ中で父に会う度罵声を浴びせていた妹が、待合室でずっと声をあげて泣いていたのをよく覚えている。

蛍光灯が照らしているはずの廊下が薄暗く見え、とっさに「おれまで取り乱したら終わる」と判断したぼくは、それ以後、家族で誰より動じない人間になった。それまで以上に「ノリの悪いやつ」になり、友だちには迷惑をかけたと思う。

ぼくが父のことで泣いたのは、翌朝学校に行く途中にMDでブルーハーツの1stを聴いたときだけだったはずだ。いま調べたけど、これは泣いても仕方ない歌詞だ。当時の心境と重なり過ぎている。

朝の光が 待てなくて 眠れない夜もあった
朝の光が 待てなくて 間違った事もやった
僕が生まれた所が世界の片隅なのか
誰の上にだって お日様は昇るんだ

川の流れの激しさに 足元がふるえている
燃える炎の厳しさに 足元がふるえている
僕が今見ているのが世界の片隅なのか
いくら捜したって そんな所はない

 うまくいかない時 死にたい時もある
世界のまん中で生きてゆくためには
生きるという事に 命をかけてみたい
歴史が始まる前 人はケダモノだった

 世界のまん中/THE BLUE HEARTS

何せ15年もの間、ひと言も発さないまま逝ってしまったので、父がどんな人間だったかをあまり知らない。

キャンプや釣り、スキーにも連れていってくれるし、どちらかというとアウトドア好きで、よく冗談を言うひょうきんな人ではあった。それは確かだ。

けれど、どんな人生を歩み、その過程で何を思ったかというような、自分の話はあまりしてくれなかった。だから、父の人となりを問われると、だいたい「たぶん」が付く。たぶんビートルズが好きで、たぶんビッグ3だとさんま派で、たぶん友人の多い人。たぶん、家族好きで、子どもも好き。

あ、ジャイアンツのことがめちゃくちゃ好きだったのは「確か」だ。巨人が負けると機嫌が悪くなって当たり散らすところは、子供ながらに大人げないなと思っていた。そんな父と一緒に観るのがイヤで、ぼくは次第にプロ野球を観なくなった。今は有料中継サイトに入ってるぐらい好きなのにね。お互い大人になった今なら、東京ドームに一緒に行けていたかもしれない。ぼくはヤクルトファンだから、席はイーブンにネット裏で。喜んだだろうなあ。ビールおごって欲しかったなあ。

生前を知る人の法事や墓参りに行くといつも、その人が今の自分をみてどう思うかを考える。

父には、調子にのるとよく怒られた。上京するとかフリーになるとか会社をつくるとか、関西弁で言うところの「イキった」行為については、いちいち反対されていたかもしれない。

一方、ビートルズやはっぴいえんどの音楽を聴いていること、パタゴニアの服をよく着ていること、ヤクルトの試合だけど時おりプロ野球を観に行っていること、かわいがってくれる先輩がいること、たくさんのかっこいい友だちがいること。このへんは、喜んでくれそうだ。

次は三周忌か、もっと手前の墓参りか。いつになるかはわからないけれど、ひとつでも「ええやん」と思われるおみやげを持って帰れるよう、精進していこうと思う帰省だった。

「船は気持ちええぞ。高校出たら、小型船舶の免許取れよ。金は出したるから」

数少ない父の教えにこれがあるので、そのうちボート免許は取ろうと思ってます。よろこぶ気がする。