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知らない人とつながら「ない」から、居やすい

雨が続いた土曜日の午後。洗濯かごからあふれ、洗濯機からもイソギンチャクのように飛び出している洗濯ものをふたまわしする。もはやただの天気予報機になっているAlexaに天候を尋ねると、今日も雨。明日から京都・滋賀に出かける予定があり、コインランドリーに行く決意をした。

家を出て左に行っても右に行っても、30秒も経たないうちにコインランドリーにあたる我が家だけれど、IKEAの大袋いっぱいに湿って重くなった洗濯物を詰め込み、自転車に乗って、気になっていた場所までやってきた。

1年ぐらい前に見つけたそこは、「コインランドリーなのにコインが要らない!?」とキャッチコピーが貼り出してあり、窓際には上向きのコンセントが等間隔に三つ並んだ木製の長机があり、二段になった乾燥機と向かい合う壁面には、教会にありそうな、背もたれが垂直のコンクリート製の長椅子が完備されている。そしてその足元にも、等間隔にコンセントがある。

「コインが要らない!?」というのは本当だった。洗濯機・乾燥機それぞれにコインの投入口はなく、代わりに、タイムズをはじめとした無人駐車場のような「集合精算機」があり、そこでは電子マネーが使え、領収書も発行できる。これだけでも充分便利なのだけれど、電話番号を入れると「あと5分で洗濯が終わりますよ」と携帯に電話まで入れてくれるというからすばらしい。

家から少し遠かったので、乾燥している間ずっと施設内にいたのだけど、個人的にはたいへん居心地がよかった。先述した通り椅子が壁際と窓際にしかないので、誰とも目を合わせる必要がない。人の出入りはあるけど、ずっと「ひとり」で居られるのだ。

少し前に「コミュニティ化するコインランドリー」みたいなのがちょっと流行って、それはそれですばらしいことだと思いつつも、ぼくみたいな人見知りで、知らない人と話すのが苦手な人間がコインランドリーに行きにくくなったらイヤだな。機能だけ突き詰めたものもどんどん出来て欲しいな。なんて思っていた。そういう意味でここは、理想的な場所だ。

東京のことを「隣人の顔も知らない」なんて揶揄する人がいるけど、だからいいんじゃないかと思うこともたくさんある。地元の滋賀のコインランドリーに1時間もいたら、十中八九知り合いに会うし、愛想良くあいさつしないと何言われるかわからないし、こうしてパソコン広げてnoteなんて書いてたら変わった人あつかいをされてしまうだろう。それはぼくには、めんどくさい。

「つながってる」こと、「あつまってる」こと、「寄り合う」ことなんかがひたすら褒めそやされる時代だけど、「分断されてる」こと、「ひとりでいる」こと、「内省する」ことにも、「いいじゃない」と言っていける時代であって欲しいし、少なくとも自分はそうありたいなと思う。災害時の危機管理とかとは、また別の話として。

というわけでとってもいいコインランドリーを見つけたのですが、窓際の席の椅子が机に対して高すぎて、机の下に足を入れることができないレベルなのは要改善! 長居されすぎても困るんだろうけど。