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フジロックが最高なのは「客がきびしい」からである

「苗場 天気」

毎年7月末になると検索するワードだ。期待する結果は「雨」。さっきやってみたら、どうやら今年は降るらしい。それを知って、ちょっとホッとしている自分がいる。フジロックに行かないと決めた自分を、どんな角度からでもいいからで肯定したいのだ。最後にフジロックに行ったのは2011年なので、こんなあさましい行為を、かれこれ6年続けていることになる。

大学4年生の2007年、冬に音楽フェスの代表をやらせてもらうことになり、「その勉強のため」というかなり強引な理由で親から借金をして、夏休み中にフジロック、サマソニ、ロック・イン・ジャパン、ライジングサンの日本4大フェスをまわった。サマソニの都心部ゆえの快適さ、ロック・イン・ジャパンの若さからくる一体感、ライジングサンののんびりした雰囲気。どれもすばらしかったが、学生ながらに「モノが違う」と思ったのがフジロックだった。

なぜフジロックだけが別格なのか。大自然がもたらす開放感だろうか。日本中の名店が集まる屋台メシの質のよさだろうか。世界一と言われるゴミのなさもすごい。そもそも、ブッキングのセンスのよさもわすれちゃいけない。フジロックは、知らなかったアーティストのファンになって帰ってくるフェスなのだ——これらはフジロックを語る上で外せない要素だけど、あくまで「肉づけ」の部分だと思っている。大切な要素ではあるが、その本質ではない。

フジロックの魅力、その「骨」とは何か。それは、来場客のきびしさがもたらす緊張感にある。

学生時代に限らずいくつかのフェスをまわって実感したのは、客をなめた状態でステージに立つミュージシャンというのが存在するということだった(もちろん海外のミュージシャンに多い)。彼らがなぜそんな態度をとるのかと言えば、それをやっても気づく客が少ないと思っているからだ。普段のチケットのとれない大好きなミュージシャンを一目見れただけで、誰もが知るあの大ヒット曲が聴けただけで大満足という人はたくさんいるし気持ちはむちゃくちゃわかるが、その感動を一旦横に置き、その日その時の演奏の質と向き合わなければ、互いに高め合う健全な関係性は築けない。

その点フジロックの客はいい意味で「こわい」。都心部から遠くチケットも高いフジロックはそもそも参加すること自体が手間であり、それなりに音楽が好きでなければなかなか行く気にならないフェスだからだ。他のフェスと比べて、年齢も所得も高く、耳の肥えた人が多い。また、運営を見る目も厳しい。実際フジロックで人気ミュージシャンが「スベって」いるのを何度か見たし、会場オペレーションに対する的を射た指摘も見かけたことがある。どちらも、他のフェスでは見られない光景だった。

こうした客のもたらす緊張感こそが、有名無名を問わない伝説のライブをいくつもつくりだし、「フジロッカー」と呼ばれるフジロックを中心に人生をおくるような熱狂的リピーターの心をとらえて離さないのだ。毎年毎年きびしい客を集め、その期待にきっちり応えるフジロックはほんとうにすごい。そして行けないのがくやしい……。

——フジロックフジロックって何度も書いちゃったもんだから、途中からビール開けて、忌野清志郎の『田舎へ行こう!』を流しながら書いてしまったじゃないか。今年参加されるみなさん、ちょっとでも晴れるといいですね! 忘れ物がないといいですね! ヘブンがぐちょぐちょにならないといいですね! ゴリラズにエイフェックス・ツイン?クーラーきいた屋根のある部屋で快適に聴いてやるわ!! とにかくお気を付けてーーーー!!!!

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