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アラサー編集およびライターを蝕む「いいね!」の病

「今井くんの文章は、自分にしか興味がないし、
カメラも主観ばっかりでつまんないんだよね」

文章における「カメラワーク」の記事
書いているあいだ、頭でリフレインしていたことばです。

1年半ぐらい前、とある先輩に言われたことばでして、
意味はまあ、書いてあるまんまです。

文章をあつかう仕事で食っていく以上は、
直さないといけない欠点だと思って
ここ数年、たびたびこれについて考えてきました。

まだまだ克服にはほど遠いし、
ともすればこの文章も該当してしまうかもなのですが、
最近ようやく、そうなってしまう「原因」が
わかってきたような気がしています。

たぶん同じ悩みというか、課題を抱えているアラサー以下の
編集・ライターさんはこの「原因」となる経験をお持ちの方が
多いのではないかと推測しているのですが、それは


「はじめて文章を書いた場所が、
実名(あるいは準実名)のSNSだった」


という経験です。
(これは、学校での作文や小論文、
レポートなどを除いた、私的な文章のお話しです)

ぼくの場合はmixi日記がそうだったのですが、
リアルの友だちとしかつながっていなかったので
読んでくれるのも、コメントしれくれるのも知ってる人でした。
そして、当時の大学生にとってのmixiは(今のFacebook以上に)
「じぶんのこと」を書く場であり、
それが推奨される場であったように思います。
ポエムやバトンなどの文化は、その象徴だったと
言えるのではないでしょうか。

身内に向けてじぶんのことだけを発信してきたぼくは、
しだいにそれがわるい癖となり、
Facebookでいいね!はもらえるけど、
じぶんのことを知らない人にとってはつまらないものしか、
発信できなくなっているのかもしれません。

書いてみて、商売がら相当やばいことだと再認識しました。
もっと本を読む! 映画を観る! 精進する……!

■よかったら合わせてお読みください。
[文章にも「カメラワーク」がある! 『嫌われる勇気』はなぜスラスラ読めるのか - エディターズダイアリー | ジセダイ]
(http://ji-sedai.jp/editor/blog/post_196.html)