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「ハチドリ」のキム・ボラ監督の対談をみて

東京国際映画祭のオンラインイベントで、「ハチドリ」のキム・ボラ監督と橋本愛さんの対談を見た。

「ハチドリ」は、映画館でみたときにうまく言語化できないけれど、素晴らしい映画をみてしまったととても印象に残っていた。静かに中学生の女の子のふつうの日々を描き、悲しいことがおこっても、なぜか明るさと強さを感じるような最後の終わり方が爽やかだと感じていた。

昨日、キム・ボラ監督の話を聞いて、監督が映画作りの際に考えていることを知り、自分がどうして「ハチドリ」を素晴らしいと思ったのかとても納得した。

橋本愛さんも語っていたけれど、「ハチドリ」のテーマは「喪失」だそうだ。主人公のウニをみていると、中学生時代特有の暗さや迷い(大人になればそのほとんどがたいしたことではないと思うのに)や、握った砂が手から少しずつ確実にこぼれ落ちていくように大人にどんどん近づいていて、大人になりたいけれど子供時代を失っていくような切なさがあったことを思い出した。

ウニは、映画の中で小さな喪失を繰り返し、映画の最後のほうでは、韓国の社会的に大きな事件となった橋の崩落によって、とても頼りにしていた先生を失う。

映画で描かれる橋の崩落は、ソンス大橋崩落のことでこれは現実の1994年に実際にあった事件だ。私はこれを映画でみて初めて知ったが、この崩落は、韓国の社会に大きなトラウマを残したような事件だったそうだ。

監督自身、当時は幼かったが、幼心に何か無力感のようなものを感じたことを覚えていると語っていた。身近な人がその事件にまきこまれたわけではないけれど、そのように感じたそうだ。この感覚は、なんとなくわかると思う。東日本大震災のときに日本全体が感じたこともそうだったのではないか。

私が監督の言葉でいちばん心に残ったのは、何か事件のようなもの(大きなことでも小さなことでも)が自分におこったことでなくても、悲しみを感じることが生きていくことだという言葉だった。私はこの言葉に強く共感する。

私にとって、生きていく中で大切なテーマのひとつが「いろいろな感情を知る」ということだと思っていたので、それと近いことだと感じた。でもこの言葉はより周りの人への思いやりがあり、すごく素敵だと思った。こういうことを考えている人が撮った映画だったから、「ハチドリ」をみたときにしっくりきたのだろうと思った。

映画の中でウニは大事な人を失うが、その事件の現場へいき、失った先生への思いをはせ、その人が残した温もりのようなものを感じることがウニの生きる力になっていく。

昨日の対談で、監督は「人との関係性の中でかんじた温もりが、他の人をつくる、人には『柄』があり、どんな柄になるかは、その人がどんな人と関わってきたかをあらわす」と語っていた。この感覚が、「ハチドリ」の最後を明るくしたのだと思った。生きることは失っていくことだけど、それでも人間というものに希望があると感じられる。

ちょうど先日、Kindle Unlimitedでこれを読んだ。

この中には、人の痛みに共感できない人がでてくる(話自体は辛いけれど、姫野カオルコさんの文章でバッサバッサと鋭いツッコミが入るので冷静に読めた)。

人の痛みに共感すること、大きな事件がおこったときなどたとえ自分がなにもできないとしても悲しみを感じることは意味がないことだと思う人もいるのかもしれないが、私はやはりそうは思えない。人は直接的でも、間接的でも関係性の中で生きている。キム・ボラ監督の考え方にすごく共感でき、これからもこの監督の作品を見ていきたいと強く思った。


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