モノガタリの物語、1夜目。

1日1つだけでいいから、自分の人生のストーリーを書き出してください。と言われたら、あなたはどうしますか。
毎日、1つでも、書くことのできるような、「やり切った」と言えることはあるでしょうか。それがあったとしても、なかったとしても、書いたとしたらそれは日記と言われるものでしょう。

私は、私にはストーリーがあるはずなんだと信じて疑いません。私が、私というちっぽけな殻を抜け出して、「これこそが私の人生だ」と呼べるものを、私だと呼びたい。

それでは、さっそくですがひとつ、話していきましょう。

私は、読書は好きですが話すことがとても苦手です。そこへ、話すのは得意ですが本を読むことが苦手な彼が現れました。
彼は言います。「どうしたら本が楽しく読めるだろうか。」
でも、私は話すことが苦手なので、彼に上手く伝えることができません。しかし、本が好きな私は彼に、「文字で伝えること」ならできると考えました。
私は、えんぴつを手に取って、紙の上に本のいいところをたくさん書きました。生き生きしながらそれを書き上げました。
それでも彼は「読みたくないのに、また文字を読ませるのかい?」そう言って受け入れてくれませんでした。
私は悲しく思いました。私は「文字で伝えることしかできない」のに。彼みたいにすらすらと、単語が出てくればいいなと思いました。悔しく思いました。

どう思いましたか?何を言いたいのか、正直わからないとは思います。それでも、私は私が今日感じた全てを、「私」という別の自分を通して、見つめているつもりです。
万人が万人、分かり合えなくてもいいと思います。感性が、通じない人などたくさんいます。
それでも、私の感じたものを、具体的に起こせば、きっとなにか生まれるのではないかと信じています。
私たちは、きっと理解できないように作られているから面白いのではないでしょうか。

私にできないことがあれば、それはきっと彼ができるし、彼がやりたくないことは、私がやりたいかもしれない。人生のモヤモヤも、小さなストーリーに書き上げてしまったら、なんと可愛らしく見えるでしょうか。

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