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動物学的人間像 裸のサル

デズモンド・モリス「裸のサル」は叔父の日高敏隆が訳した著作で、昔実家にあったと思うのですが、活字中毒の私が何故か未読のままでした。
最近になってやっと読んだのですが、人間社会で通常行われている様々な行動の源がどこにあるのか、ということが分かって興味深かったので、自分自身のメモとして要約しておくことにしました。

第一章 起源

ある生物の種について調べる時、まずその種を特徴により名付けることから始める。
そしてその種が近縁種とどう違っていて、どう似ているかを調べねばならない。
そうすれば、なぜその種が固有の特徴を獲得したのかが分かってくる。

霊長類の新しい種である人間を前にしてその特徴を挙げると、直立した体形、そして皮膚が事実上裸だということだ。
哺乳類において、無毛の生物はごく一部に過ぎない。
そこでこの論文中では、人間を「裸のサル」と命名することにする。

われわれの属する霊長目というグループは、初め原始的な食虫目の系統から生じた。
森林の中に棲み、八千万年前から五千万年前の期間に、新しい場所に広がっていった。
霊長類に進化していくにつれ、果実や葉がその食物となり、樹上がその住処となり、目が顔の前面に並び、手は食物を掴めるようになっていった。

三千五百万年前から二千五百万年前のどこかで、これらの前猿類はサルへの進化を始めていた。
バランスを取る為の長い尾を持ち、大型化し、多種の食物を採った。
そのうちに樹上生活には重くなりすぎ、地上に降りることも恐れないようになった。
とはいえ、森林を離れたら草食獣や肉食獣との競争をしなくてはならない。

気候が変わり、森林が縮小した為、彼らの一部、つまり裸のサルの祖先は、そこから飛び出すこととなった。
森林には動物性のタンパク質が豊富にあった。
昆虫、小さな爬虫類、卵や雛鳥。
森林を出ても、地上にはいろいろな動物がいたが、格好の獲物となる有蹄類らの肢は恐ろしく速く、あっという間に逃げ去ってしまう。
爪や牙が発達するという進化の試みはあったのかもしれないが、その証拠は残っていない。恐らく失敗に終わったのだろう。
そして裸のサルが成功させたのは、自然の武器の代わりに人工の武器を用いるという、完全に新しいスタイルであった。

彼らはすでに、社会組織を持っていた。
コミュニケーションと協力により、彼らの集団的な狩猟方法はさらに改良されていった。
メスは子どもの世話に忙しかったので、狩猟集団はオスによって形成された。
オスはなわばりを持ち、基地としての家に獲物を持ち帰るようになった。

第二章 セックス

裸のサルの性行動は多様性を持つので、そのサンプルは、生物学的にもっとも大きな(成功した)社会である、北アメリカの文化から取ることとする。
かれらの性行動は、三つの段階を経過する。
すなわち、つがいの形成、交尾前の活動、および交尾である。

つがい形成段階は求愛と呼ばれるが、動物の基準よりいちじるしく長く、数週間から数か月も続く。
それは恐怖と攻撃と性的誘引の葛藤を含む、試行的な相反感情的行動によって特徴づけられる。

視覚的、音声的誇示の最初の段階ののち、体の接触がなされる。
つがい形成期の行動の大部分は公の場所で行われるが、交尾前段階に入ると、プライバシーが求められ、他のメンバーから隔離されて行われる。
交尾前期の性的刺激は、水平な姿勢をとることが多い。
音声的・視覚的信号はあまり重要ではなくなり、触覚的信号が頻繁になってくる。
皮膚と皮膚の触覚の刺激を広範囲に与えるため、衣服は脱ぎ捨てられる。

他の霊長類では、長い求愛期は存在しない。
交尾自体も極めて短く(ヒヒのオスでは七~八秒)、メスは通常クライマックスを経験しない。
オスを受け入れる期間は、一月ごとの性周期のうち一週間ばかりだが、それでも排卵時のみに限定される下等哺乳類の性的受容期よりは長い。
裸のサルでは、メスは事実上いつでも(妊娠期、授乳期でさえも)オスを受け入れることができる。
交尾が本当に制限されるのは、分娩の直前直後の短い期間だけである。

裸のサルの性行動の謎を探るために、もう一度かれらの起源を遡ってみよう。

1 かれは、生きるために狩りをせねばならない。
2 かれは狩人としては貧弱な体を、発達した脳で補わなければならない。
3 大きな脳を育て、教育するためには長い子ども時代を持たねばならない。
4 メスはオスが狩りに出ている間、巣に留まり、赤ん坊を養わねばならない。
5 オスは狩りの時は互いに協同せなばならない。
6 直立し、武器を使わなければならない。

これらの要求を満たすために、彼らは強固なつがい結合を形成する必要があった。
また、長期にわたる結合を保ち続けるために、彼らは恋におちるだけでなく、恋しつづけなければならないのである。
生殖の機能を持ちえない交尾が行われるわけは、互いに報酬を与えあうことでつがいの結合を固めるためである。

われわれは全動物中でもっとも微妙で複雑な顔の表情のシステムを持っている。
耳たぶ、突き出た鼻、唇などは、視覚的性信号を発信するのに都合がよいように発達してきた。
メスの乳房の丸い膨らみは、霊長類においてはユニークな形である。
霊長類の交尾ではオスがメスの後ろから近づき、メスが尻を持ち上げ、オスが体に乗りかかる。
だが、裸のサルでは、基本的に交尾は前向きの姿勢で行われる。
したがって、性的信号を発信する部分は、すべて体の前面に集中している。
かつて背面にあった性的信号の発信装置の自己模倣。
それが半球形の尻と赤い大陰唇を模した、メスの乳房および赤い唇なのである。

交尾そのものは、オスはわざと遅らせるという技巧を用いない場合、二、三分で射精という終局的行為に達する。
メスは、交尾開始から平均して十~二十分で、射精という特異な点を除けばオスと生理的に同一の、オルガスムの体験に達する。

古い霊長類のオスは、射精した直後以外は常に性的に活発である。
オルガスムの後、精子の供給が元に戻るまでの間は、性衝動は下火となる。
一方メスは、排卵時を中心とする限られた期間の間、性的な活性を示す。
交尾経験が増えるほど、受精の可能性が高まるため、この期間中メスはオルガスムを経験することなく、交尾し続ける。

一方裸のサルでは、オスが一匹なので、オスが性的に消費しつくした時点でメスが性的感受性を残していても利益がない。
しかも、メスがオルガスムを経験することは両性による性的協力関係に莫大な報酬をもたらす。
さらに、オルガスムの存在は、受精のチャンスを大幅に増すことになる。
膣路の角度が垂直であるため、交尾後に他のサルのようにすぐに起き上がって歩き出したとすれば、精液の大部分が失われてしまうであろう。
そこで、オスが射精をやめた時、メスが体の姿勢を水平に保っておくようなオルガスムの反応が、利点を持つのである。

つがい形成の基本パターンをうまく進化させるために、あらゆることがなされてきた。
古い霊長類の行動パターンが残っていれば、成体のオスはまもなく息子を追い払い、若いメスすなわち娘たちとつがうだろう。
変更は、息子も娘もそれぞれの配偶者を見出すため、追い出されるという形で加えられた。
この変更はエクソガミー(異系交配)と呼ばれる。
メスの処女膜は、この過程でユニークな役割を果たす。
最初の交尾が困難を伴うものであるため、メスは最後のステップの前で踏みとどまることができ、つがい形成なしで妊娠して親になるという状況を防げるのだ。

近代以降、大都会において、われわれは何百人という他人とまじりあっている。
つがいを維持するために高められた性的信号は、つがいが離れている時には第三者を過剰に刺激しないように、抑えられなければならない。
寒さを防ぐため以上に、性器を覆い隠すということが、衣服の役割として重要である。
他人との接触は禁止されるべきものとなり、極端に混雑した条件下や、社会的に接触の許可が与えられている医者、仕立屋、床屋などに限られる。
体の姿勢からも性的要素は除かれ、オスはあごひげや口ひげ、メスは脇の下の毛を剃り、全身の匂いは取り除かれる。

このようなコントロールが行われているにもかかわらず、生物学的本質が反逆を起こすので、矛盾した状況がしばしば生じる。
メスはブラジャーで乳房を覆って隠す一方で、パットを入れて乳房の形を強調する。
口紅や頬紅で性的な紅潮の信号を強め、体の匂いを落としておいて商業的な香水をつける。

性的刺激を強調する理由の一つとして、性が地位を確認する手段としても利用されるということがある。
メスのサルが攻撃的なオスに性的な誇示をする時、それはかれと交尾をしたいからではなく、かれの性衝動を掻き立て攻撃性を抑えるためでなのである。
同性同士でも、この手段が取られることがある。
劣位のオスやメスが、メスの性的な誘いの姿勢を取り、優位のオスやメスに乗ってもらう、ということがある。(マウンティング)

僧侶や尼を含む独身者や同性愛者は、生殖という意味では異常だが、人口過剰の場合は原則が逆となる。
われわれの種はこの状態に向かって突進しつつある。
社会構造全体が破壊される前に繁殖率を下げる必要があり、その為の調節が必要になるだろう。

第三章 育児

裸のサルの育児の負担は、他のあらゆる動物よりも重い。
メスが受胎し、だいたい266日の妊娠期間の後、出産が行われるが、通常は他の成人が手助けをする。
乳が出始めると母親は赤ん坊に給餌し、、正式には二年間にわたって行う。
だが現在の慣習としては、この期間は六か月から九か月に短縮される。
二年間みっちり授乳したとすれば約10人の子どもを生産する能力があることになる。
授乳期間を短縮した場合は、理論的にはこの数字は30まで上昇する。

乳を吸う行動は、一部の赤ん坊にとって窒息の危険性を持つものとなる。
これは、乳房が授乳装置であるよりも、性的な信号装置の役割を多く担っているためと思われる。

母親の80%は赤ん坊を左腕で支え、自分の体の左側に押し付ける。
これは、母親の利き腕とは無関係である。
母親の心臓の拍動が安らぎを与えるので、赤ん坊が安心して眠っていられるのだ。

新生児は一日の大部分を眠って過ごす。
最初の三日間の平均睡眠時間は16.6時間、もっとも長い個体で23時間、短い個体で10.5時間である。
睡眠は24時間中、分散して取られる。
数週間のうちに夜間の睡眠期の一つが伸びて、夜の大部分を占めるようになる。
生後六か月の赤ん坊では睡眠時間は約14時間、二年目には13時間、五年目には12時間、13歳では9時間となる。

赤ん坊がうつぶせの状態で手助けなしに床から頭を話せるようになるまでには、一か月もかかる。
四か月で支えてもらって座れるようになり、八か月で支えてもらって立ち上がれるようになる。
10か月で手と膝で這うようになり、14か月で一人で立ち上がれるようになり、15か月でとうとう一人で歩けるようになる。
それと同時に、言葉を発することができるようになる。
2歳で300語、4歳で1600語、5歳で2100語をマスターする。
チンパンジーに言葉を教えても、6歳で語彙は7語を越えなかった。

泣く反応は赤ん坊が生まれた時から持ち合わせているが、ほほえみが現れるのは約5週間である。
笑いと癇癪は三か月または四か月まで現れない。
笑いの反応は、泣く反応から二次的な信号として進化したと思われる。
笑いの発生は、自分の母親を識別できるようになる時と一致している。
同時に、赤ん坊は他の大人に恐れを抱くようになる。

母親が子供を驚かせる時、母親は自分は怖いのだということと、自分は保護者なのだから安心していいのだ、という二重の信号を送っている。
その結果として、赤ん坊は泣く反応と、母親を認識したことによる喉を鳴らす反応の混在したものを発する。
この組み合わせが、笑いを生じるのである。

母親を識別できるようになるまで、絶え間なく泣き続ける赤ん坊がいる。
母親の行動を見てみると、泣き続ける赤ん坊の母親はおどおどしていて不安げであり、おとなしい赤ん坊の母親は落ち着いていて平静である。
この時期の赤ん坊は触覚的に「安心・安全」と「不安・危険」を感じ取るので、不安を感じ取った赤ん坊は泣き叫ぶのだが、それによって悩まされる母親は、さらに赤ん坊を刺激してしまう。
母親を認識してからは、彼女は保護者であるから、たとえ不安の信号を受け取っても、赤ん坊は警戒することはなくなる。

泣き声は他の多くの種と共通であるが、ほほえみと笑いは、人間に独特の信号である。
他の霊長類がこの信号なしにやってきたのに、われわれがこの信号を必要としたのは何故だろうか。
サルの赤ん坊は生まれてすぐに母親にしっかりしがみつくことができるが、われわれにはそれができない。
叫び声によって母親の注意を引くことはできるが、その後も母親の注意を維持するために、母親にとっての報酬となりえるもの。
それがほほえみという信号なのである。

母親がいらいらしていたり不安を抱えているとき、それを隠そうと無理にほほえむと、赤ん坊は矛盾したメッセージを受け取ることになり、混乱してしまう。
このようなことが何回も繰り返されると、成人してから社会に適応する上で、困難を引き起こすことがある。

第四章 探索

裸のサルは抜きん出た便宜主義者である。
次の食事がどこからやってくるのか分からない為、われわれは常に探索し続けなければならない。
われわれは高度な好奇心を保たなければならないのである。

特殊化していないことは非能率的だと思われるかも知れない。
しかし、特殊化した動物は、環境の変化に耐えられない。
もしユーカリの森が一掃されたら、コアラは滅びるであろう。

新奇なものに惹かれるという衝動は、絶えずわれわれを駆り立てている。
鉛筆と紙を与えると、チンパンジーも人間の子どもと同じように、紙の上に線が引けることを発見して、なぐり書きに夢中になる。
人間の子どもでは、3歳になるとなぐり書きを単純化し始め、十字、円、四角、三角などの図形が現れる。
そして3歳の後半から4歳になると、絵画的描写が現れる。
チンパンジーでは、このことは起こらない。十字や円、点のある円。そこで終わりである。

絵画、彫刻、音楽、歌、踊り、ゲーム、スポーツ、書くこと、話すこと、これら全ての領域で、われわれは複雑で特殊な形の探求を、生涯の間続けることができる。
これらは生物学的には、幼児期の遊びのパターンが、大人の生活にまで延長したものといえる。
これらの規則は次のように述べられる。

1 見慣れぬものは、見慣れるまで探求すること。
2 探求をリズミカルに繰り返すこと。
3 この繰り返しはできるだけ多くの方法で行うこと。
4 これらのバリエーションのうちから、もっとも満足のいくものを選んで発展させること。
5 これらのバリエーションを互いに何度も結びつけること。
6 これらすべてはそれ自身の為に、それ自身を目的として行うこと。

科学と工芸は、ここからは除外される。
何故ならそれは、基本的な生存の目的を達成する為の方法が、改善されていくことと関係しているからである。

第五章 闘い

動物が闘う理由は二つある。
順位制のもとで自分の優位を確立するためか、ある一定の地域に自分のなわばりを確立するためか、である。
霊長類の大部分は順位制社会を持っており、一匹の優位のオスが群れに君臨し、かれが年を取り弱くなると若くたくましいオスがかれを倒し、後継者となる。
採集者から狩人へと変わった際、狩りは協力的なものであったので、順位制からなわばり制への修正が行われたが、順位制が完全に廃止されることはなかった。
群には強い複数のメンバーとトップ・リーダーを持つ、弱い順位制が採用された。
また、つがい結合を中心とした家族が形成されるため、どのオスも群の根拠地内に自分の個人的な根拠地を作り、それを守ることになった。

哺乳類の自律神経系は、交感神経と副交感神経から成っている。
前者は激しい活動に備えて体の準備をし、後者は回復するのが仕事である。
正常な状態では、両者は適切なバランスを保っているが、強度の攻撃性が引き起こされると、体は交感神経の声だけを聞くようになる。
アドレナリンが血液中に注がれ、心臓の鼓動は速くなり、血圧は上昇し、血液は脳と筋肉に向けて勢いよく送り込まれる。
胃腸の働きは抑制され、呼吸活動は増大し、体温調節機能が活性化され、毛は直立し、汗が多量に分泌される。
攻撃の衝動は動物を駆り立てるが、同時に重大な損害をこうむるかもしれない、という恐怖が動物を引き戻す。
激しい内部葛藤の状態が生じる。

闘いに出ようとする動物は、まず威嚇を行う。
高等動物では、威嚇による闘争の儀式化が行われる傾向が見られる。
威嚇の儀式には意図運動、転移活動等が含まれるが、それらの信号が問題を解決してしまい、実際の攻撃に至ることは稀である。
このようにして、メンバー間の殺し合いを防ぐのである。
敗北者は逃げ去ることができない場合、うずくまったり、縮こまったりして自分を小さく見せ、もう闘う意志がないことを示す。
また、相手をなだめる行動に出る。
その行動は主に、子どもが餌をねだる姿勢をとる、メスの性的姿勢をとる、毛づくろいをしたりされたりする気分を引き起こす方法をとる、の三つである。
仲間同士の闘いは、獲物を攻撃する行動とはまったく区別されるべきものなのである。

われわれの場合にも、他の動物と同様な生理学上の変化が起こる。
われわれは「激白したら白く」「立腹したら赤く」「恐怖の時は青く」なる。
白い顔はすぐに攻撃に移れる状態であるので、非常に危険である。
赤い顔の場合は、危険はそこまでではない。副交感神経が平衡を取り戻そうとしているからである。

意図運動の例を見てみよう。
握りしめたこぶしを上げる行動は、儀式化された身振りである。これは相手に打撃を与えるには至らない距離で行われる。
攻撃の刺激を誘発している対象があまりにも恐ろしい場合、攻撃の動作は他のより脅威の少ない相手、見物人や無生物に向けられる。

あいさつの様式は、服従の姿勢の様式化である。
どのようなあいさつも、頭を下げる要素が残っている。
睨むことは攻撃に典型的な行動であるから、多くの種は眼状紋が発達している。
われわれの種では、商業製品が同様の意匠を用いている。(例えば自動車のヘッドライト)

転移行動は、動揺している状態で感情のはけ口として利用される。
タバコに火をつける、眼鏡を拭く、腕時計を見る、何かを飲んだり食べたりする、これらは正常な機能上の要求から行われるというよりは、緊張を和らげる為に行われる。
社交的な集まりにおいて、握手と微笑みのなだめあいの儀式が終わると、これらの転位行動が見られる。
緊張がもっと強度である時、転位行動ももっと原始的となる。
頭を掻き、爪を噛み、あごひげや口ひげを引っぱり、髪形をなおし、鼻をこすったり唇を舐めたり手を揉んだりする。
優位の個体はこのような行動をほとんど行わないので、群の中で劣位の個体を見分けることができる。

宗教活動は行動的な意味から言えば、優位個体をなだめるために服従の儀式を何度も行うということである。
この優位個体はふつう「神」と呼ばれる。

第六章 食事

裸のサルの摂食行動には、果実の採集から協力しての狩りという行動パターンの変化がある。
食物のうち肉の占める割合が増え、食物の貯蔵と分配が行われるようになった。
一回の食事の量は多くなり、食事と食事の間隔は伸びた。
現在、狩猟は労働に取って代わられているが、それでも狩りの基本的な特徴の多くは残っている。
オスだけの社交場があり、組織への忠誠が見られ、識別の表示が身につけられ、入会の儀式が行われる。
この「ユニセクシュアリティー(単一性により成り立つこと)」は、ホモセクシュアリティー(同性愛)とは関係がない。

霊長類の食事法に従うなら、少量ずつの食事を絶え間なく行なっていることになるが、われわれの食事は食肉類のパターンに従っている。
すなわち、時間的な間隔をおいて、大量の食物を一度にたらふく食べる。
霊長類の食事法に戻ることはできるはずだが、われわれの生物学的欲求は、それでは満足できなくなっているのだ。
食物に熱を加え、それを温かいうちに食べるのはなぜだろうか。
その答えたとしては、獲物の温度を再現すること、歯が弱いために柔らかくすること、温度を上げることによって味を良くすること、の三つが考えられている。
食肉類は肉をただ貪り食うだけだが、霊長類は味の変化に極めて敏感である。
われわれの舌は酸っぱさ、塩辛さ、苦さ、甘さの四種類の味に反応する。
もっと微妙で変化に富んだ「風味」は、実は味わっているのではなく、嗅いでいるのである。
われわれの好みは圧倒的に、甘さに偏る。
霊長類の自然の食物は、熟すにつれて甘みを増してくる。
自然状態では甘さと栄養価は上手く組み合わさっているが、人工的に作られた食物は、これらが分離されることがある。
そこで、栄養的には価値のない食物が魅力あるものとなる、という危険性が生じる。

裸のサルの食べている食物の種類は、大変広範囲にわたっている。
栄養価の高い肉を献立に加えてからも、古くからの雑食性も捨てなかった。
肉に頼れば量的に、穀物に頼れば質的に困難を生じる。
現在のもっとも健康で進んだ社会は、動物質と植物質のバランスがよく保たれた食物をとっている。

第七章 慰安

小鳥にとって、羽毛の手入れは生死に関わる問題である。
かれらは長い時間をかけて、水を浴び、羽毛を整え、いざという時に素早く飛び立てるようにしておく。
哺乳類もやはり、毛づくろいをし、汚れによって病気の危険性が増したりしないように清潔に保つ。
高等霊長類では、社会的毛づくろいという、相互援助体系が発達していった。
サルではリッピングという唇の信号により、相手を毛づくろいに誘う。

裸のサルでは、社会的毛づくろいに代わるものとして、何が見出されるだろうか。
われわれでは、ほほえみがリッピングの代わりをつとめる。
それに続く行動パターンとしては、言語的な発声が観察される。

話すという行動パターンを分類してみよう。
まず「情報談話」と呼ぶべきものがある。
そして、「気分談話」。
これは、唸り声や悲鳴などの気分信号に「痛い」というような言語的信号が続く。
つぎに「探索談話」がある。
これは話すために話すことで、美的な談話、もしくは遊びの談話と言ってよい。
第四の型が、「毛づくろい談話」とも呼ぶべきもので、社交的な場で交わされる、意味のない、愛想のよいおしゃべりである。
その機能は、あいさつのほほえみを強化し、社会的に一緒にいることを維持することにある。

われわれの皮膚は裸であるが、毛づくろいしたいという欲求は残っているため、ふわふわした衣服や敷物、家具などは、しばしば強い毛づくろい反応を引き起こす。
ペットの動物はさらに誘引的で、ネコの毛皮を撫でたり、イヌの耳の後ろを掻いてやろうという誘惑に抵抗できる裸のサルはごく少ない。
調髪が毛づくろいの対象とならなかったのは、何故だろうか。
それは、毛髪の性的な意味にあると思われる。
頭の毛の整え方が両性の間でいちじるしく異なるため、頭の毛は性行動のパターンに組み入れられた。
理髪店で異性から毛髪が整えられる場合、性的な要素を除去するため、毛づくろいを行う側のオスはメス的に、メスはオス的に振る舞うことになる。

裸のサルがとりわけ発達させたものに、医学的な手入れがある。
ちょっとした病気に対して医薬品を与えることは、毛づくろい行動の代わりなのである。

第八章 動物たち

あらゆる動物は、他の種の動物と次の五つのうちどれかの形で関連を持っている。
獲物として、共生者として、競争者として、寄生者として、捕食者として、のいずれかである。
裸のサルの探索好きで、便宜主義的な性質から、ほとんどすべての動物が、かれの獲物となってきた。
かれは、その獲物のうちいくつかの種を選んで家畜化してきた。
ブタやウシ、ウサギ、ニワトリ、アヒル、などである。

共生者に対しては、相互の利益が歪められ、ひどくわれわれの側に偏る。
イヌは狩りの仲間として古くから共生関係にあり、やがてさまざまに特殊化された品種が作られていった。
タカやウなど、ごく僅かな種もこの型の共生関係にある。
もう一つの古くから行なわれた共生関係は、小型食肉類を害獣の駆除に用いることである。
ネコ、フェレット、マングースがわれわれを助ける種となった。
われわれにとってもっとも重要な共生関係は、荷物を運ぶ大型動物の利用であろう。
ウマ、ロバ、ウシ、トナカイ、ラクダ、ゾウなどが、この目的で大量に利用されてきた。
製品の原料を供給するものとしても、多くの種が家畜化されている。
ウシとヤギからは乳、ヒツジとアルパカからは毛、ニワトリとアヒルからは卵、ミツバチからは蜜、カイコからは絹が取られる。

競争者は、すべて容赦無く排除されてきた。
ヨーロッパでは、事実上すべての大型食肉類を失っている。
寄生者はさらに厳しい扱いを受ける。
ノミや寄生虫の力が衰えるに連れ、すべての種に対する脅威は増す。
ある寄生虫が絶滅し、われわれの健康が増進すれば、われわれの人口はさらに増大し、他の競争者をも除去する必要が強まるからである。
捕食者は、やはり消滅しかかっている。
歴史の全過程を通して、われわれの個体数が捕食によってひどく減少したことはなかった。
寄生者を除き、もっとも数多くの裸のサルを死に至らしめた動物は、その死体の栄養を利用できない毒ヘビである。

上記五つの関係性は、ほかの動物間にも見られるが、われわれの種独自の関連の仕方としては、科学的、美的、象徴的なものがある。
意識的に象徴とみなすのとは別に、他の種の動物を人間のカリカチュアとしてみようとする働きがある。
子どもたちへのアンケートで、好きな動物のベストテンは、チンパンジー、サル、ウマ、ブッシュベビー、パンダ、クマ、ゾウ、ライオン、イヌ、ジラフである。
これらの動物に共通の特徴を挙げると、以下となる。
すべて羽毛や鱗ではなく、毛を持っている。
丸みを帯びた外形、平らな顔、表情を持っている、小さな物体をいじることができる、姿勢が直立的である。
反対に、嫌いな動物のベストテンは、ヘビ、クモ、ワニ、ライオン、ネズミ、スカンク、ゴリラ、サイ、カバ、トラである。
これらの動物に共通する重要な特徴は、危険なことである。
また、好まれる動物のベストテンに典型的に見られた、擬人的な特徴を欠いている。

他の種に対する種間反応性には、七つの年齢があるというように、まとめることができる
幼児期、幼児親期、客観的前成体期、初期成体期、成体親期、後親期、老衰期である。
幼児期にわれわれは、親の象徴を意味する大型の動物に反応する。
幼児親期には、子どもの代用として扱うことのできる、小さな動物に強く反応する。
客観的前成体期は科学的、美的な探索の興味の時期であり、昆虫採集や蝶のコレクション、アクアリウムに興味を抱く。
初期成体期には、もっとも重要となるのは自分の種の異性である。
成体親期には、再び象徴的な動物が生活に入り込んでくる。それは、われわれの子どものペットとしてである。
後親期にわれわれは子どもを失い、子どもの代用として、動物をペットとして使用する。
老衰期は滅びゆく自分自身の象徴として、絶滅の危険のある種の保護へと関心が向く。

17世紀の終わりには、裸のサルの個体数はわずか五億であった。
今やそれは三十億に上昇し、24時間ごとに15万ずつ増えている。
この増加率が続けば、260年の間に、地表には四千億の裸のサルの群れが出現することになる。
そうなる前に、われわれは生物学的な性質を支配している法則の大部分を破らざるを得なくなり、優占種としての地位を失うだろう。

しかしわれわれはまだ、動物行動の基本的なすべての法則に従っている動物である。
われわれの便宜主義の限界の本質を認識し、従うことで、われわれは生存のチャンスを増大することができる。
われわれが質的な改良を行うことができるなら、進化によって獲得した遺伝を否定することなく、技術の進歩を続けることができるだろう。

画像は、飯田市立動物園のサルたち

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