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Childhood's Event

お久しぶりです。
実は思い掛けず執筆活動に身を投じてしまい、しばらくそちらに掛かり切りでした。
しかも、まさかの戦国ものです。
私日本史に暗いんですよ。
でも、知らなきゃ話になりません。
時代小説を読んだり大河ドラマを見たりあれこれ取材しつつ、ぽつぽつ書き始めております。
もうちょっと形になってきたら、ここでも告知しようかな。

でもまあ、そればかりやってると行き詰るので、息抜きにnoteを開いてみました。
私のブログやSNSを見てくれている友人が、前に挙げたnoteのお題の中では幼少期の話を読んでみたい、と言ってくれたので、書いてみようかなと思います。
SFについての記事だと思われた方、すみません。

と言っても、今までも子供の頃の話はちょくちょく書いてますし、子供の頃と言っても大分範囲が広いので、今回は幼稚園くらいまでの、ほんとに一番幼い頃の記憶を掘り起こしてみようと思います。

私の覚えている最も古い記憶は、3つ下の妹が生まれた時のことでしょうか。
母が、私に妹の洗礼名を相談したのです。
アグネスと、もう一つは忘れてしまいましたが、どちらがいい?と聞かれ、「子羊」の意味を持つことは知らないながら、何となく柔らかい響きが素敵だなと思って、「アグネス」と答えました。
私の本名が「玲子」で洗礼名が聖マリア・テレジア、妹が「朝子」で聖アグネスなので、名前と洗礼名との照応も良いようです。

あと印象に残っているのは、幼稚園を探して父の車であちこち回ったこと。
半地下の建物の幼稚園に入った時は、ここは息苦しくて嫌だなあ、なんて思いました。
結局カトリック教会付属の幼稚園に決まり、路線バスで通うことになりました。
家から徒歩で15分くらいのバス停からバスに乗って30分弱、降りたバス停から5分ほど歩いてようやく到着です。
今思うと幼稚園児がよく毎朝バスで通園してたなあ、と我ながら感心します。
当時は当たり前ですが夜型ではなかったので、特に起きるのが辛かった記憶もありません。
日曜は、父の車で同じ教会のミサに行くことになりました。
教会の帰りは家族で生協のスーパーに行って、買い物するのが楽しみでした。

幼稚園の園長先生は、ラソンド神父というフランス人の神父様でした。
「ボンジュール モンペール ブーゼット ビエブニュ オージャポン」という、呪文みたいな文句を教えてもらいました。
”Bonsoir, mon père. Vous etes bienvenue au Japon.”でしょうか。
意味は「こんにちは、私たちの教父様。日本にようこそいらっしゃいました」ですね。
フランス語は大人になってから少しだけ習いましたが、残念ながらあまりものにはならず仕舞いです。

幼稚園では、聖書に出てくる出来事を絵や貼り絵で冊子にまとめたものを作ったり、絵本を作ったりしました。
当時の私は、ものすごく引っ込み思案でした。
自分の意見を言うことすら、恥ずかしくてなりませんでした。
絵本を作るのに、皆それぞれお話を決めることになったのですが、「何にするの?」と聞かれても、もじもじして答えられません。
お友達二人が「シンデレラ」にするというので、私もそれにしよう、そうすれば自分の意見を言わなくてすむ!と思い、やっとの思いで「シンデレラ」と答えました。
すると「なんで真似するの」と、その二人から顰蹙を買ってしまいました・・・。

文化祭のような発表会のようなものをやったのですが、そこで親に自分の作った絵本を見られるのが、また恥ずかしくてなりません。
それで誤魔化そうと、園児たちがダンボールで作った飛行機の中に入って、外に出ようとしませんでした。
ほんと子供だったなあ。(実際子供ですが)

クリスマスには、イエス様の聖誕劇をします。
もちろん主役は、マリア様とヨセフ様です。
イエス様はお人形を使いました。
他に三人の博士や羊飼いなどの登場人物がいて、その他大勢は天使とか、星とかです。
幼稚園でも主役を張るようなスターは確かに居て、誰が言い出すでもなく、マリア様とヨセフ様をやる子は自然に決まっていました。
私は当然のように「星」でした。
一言のセリフですら、緊張して気が重くてなりませんでした。
今どうして役者なんてやっているのか、人生とは実に数奇なものだと思わざるを得ません。

小学校以降の話は、また機会がありましたら。


画像は実家。

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