誰かの素材になるということ。
むかーしむかし、小6の私は、やっすいフィルムカメラを誕生日プレゼントでもらった。
青、緑、黄色の、子供用みたいなちゃちな作りのカメラだった。
(今ググったけど出てこなかったくらいありふれたもの)
フィルム代や現像代を、自分のお小遣いで出すのはしんどかったけど、
大事に撮った1枚1枚すべてが宝物だった。
高校生になって、カメラ機能付きケータイを手にした。
だけど、カメラで撮るのとケータイで撮るのとは、私にはこの頃から違った。
高3の文化祭で、当時まだレアだったデジカメを親から借りて一日撮りまくった。ケータイやプリクラ越しのみんなとは違うみんながそこには映っていた。
大学入学時に、PCと同時にデジカメを買ってもらった。
めっちゃくちゃ撮りまくった。
友達を、空を、緑を、花を。
旅行で、授業で、日常で。
写真を撮って何がしたいのか?
考えることはあれどこれという答えは出ず。
でも私が撮った写真が、誰かの心を動かしたり、癒したり。
褒められるとか認められるとか、それももちろん嬉しいけれど、
それよりなにより、みんなに見てほしいんだなって思った。
そしてさらに、それをみんなが好きなように解釈して、使ってくれて、輝かせてくれたら、これ以上の喜びはないなって。
よく水没させたりぶつけたり無くしたり、いろんなトラブルはあったけど、
それも全部、いつも身近にカメラがあった証拠。
今は最初のフィルムカメラから数えたら、7代目のカメラ。
大事にするよ。これからもよろしくね。
私が撮った大事な写真たち、気に入ったらぜひ使ってね。
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