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「なし」にするのは無しにしよう

12回。
私が大学4年生の1年間でアーティストのライブに行った回数。


29回。
私が大学4年生の1年間で行った旅行の回数。


大学4年間、ほぼ実家暮らしで、大学と遊びの予定以外の時間はほぼアルバイトにつぎ込んで、そうやって貯めたお金をすべて使いきって行きたいところに行きつくした。
本当に使い切ってしまったから、新社会人の4月末に初任給が出るまでの1か月間は、会社に通うためのいわゆる”オフィスカジュアル”な洋服を買うことができなくて、リクルートスーツ用のシャツや姉のお古をどうにか着まわしてごまかしたほど。

でも、一切後悔しなかった。
わかっていたから。社会人になれば、自分の思い通りに、行きたい場所へ行きたい人と行くなんて、なかなか叶わないだろうってこと。

2021年2月の今、なぜわざわざ当時の手帳を引っ張り出して、旅行やライブの回数を数えたのかというと、このニュースを目にしたから。

「なし」
2文字。たったの5画。

最後の大会、最後の試合、最後の学祭…ただでさえあらゆることを中止、延期とされてきた学生たちに。
暗中模索の毎日に、どうにか自分の未来の姿を見出したくてもがいてきた人たちに。

「なし」

就活や卒論で忙しい中、一部の大人だけが得をするGoToトラベルは決行されたのに。
半年後のオリンピックは、何が何でも開催すると叫ばれているのに。

彼らの卒業旅行は「なし」。
彼らの卒業式は、謝恩会は、追いコンは「なし」。

私が”彼ら”なら。
控えめに言って 絶望 だ。
上から目線になっているつもりはないが、 可哀想 としか言えない。


「ジャネーの法則」というものがある。

50歳の人間にとっては1年の長さは人生の50分の1だが
10歳の人間にとっては人生の10分の1にしか相当しない

これを利用して、人生を積分した人の記事がこれ。

数年前にこの論理を知って、妙に納得したのを覚えている。

何もかも新鮮で発見ばかりだった小学生の頃の1年。
友人とのいざこざや恋愛のあれこれに忙しかった中学生の頃の1年。
部活に、勉強に打ち込んだ高校生の頃の1年。
なんでもできる気がしてなんでもやってみた大学生の頃の1年。
それらの1年は、社会人として過ごしている今の1年とは比べようもないほど濃密で重厚で鮮明で熱くて眩しい。

私の人生は、もう3分の2が終わってる。それでいいと思っている。
これは、諦めではなくて。これまで生きてきた人生があと2倍、3倍と続くと思うと、正直ぐったりするくらい疲れてしまうから。笑

だけど。
人生これからだっていう若者に。
なんでもかんでも我慢させることしかできないなんて。
それが大人のすることか。ばかげてる。ふざけるな。

2月、3月は大学生限定のGoToトラベルキャンペーンしてやるくらいの器量がないのか。
その間、他の大人は旅行禁止。移動禁止。仕事も完全リモートワーク。そのくらいのこと、言えないのか。

人の命は大切だ。当たり前に大切だ。
だけど、生きるために必要な栄養は、食べ物だけじゃないはずだ。
見たことない景色に感動したり、期待外れの光景に友達と笑い合ったり、そういう思い出のひとつひとつが、今の私を生かしてくれている。

これからの未来を考えるなら。
「なし」にするのは、卒業旅行でも追いコンでもない。

私たち大人世代の、もっと上の世代の、不要不急の楽しみだ。
それが大人の責任ってものだろ。

若者たち、もっと怒っていいよ。
怒って、泣いて、叫んでいいよ。
行きたいところに、行きたい人と、行っていいよ。
国内だけにはなってしまうけど、日本全国面白い場所たくさんあるからさ。
…なんて、こんなこと言ったら怒られるかもしれないけど。


若者たち、心の栄養不足になってはいないかい。
ちゃんと補給するんだよ。
これから先、生きていくために。
注意できることはもちろんして。
4月からの新しい道を歩き出すための栄養を、たっぷり蓄えてね。

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