出会いの数だけ、自分が見える

「連日、まりかの失恋話を聞いてくれてありがとう」
「まりちゃんにはまた、元気に男をバッサバッサ切ってほしいからね」

まりちゃん、という響きにまりかはうっとりしていた。
何だか小さな子どもにかえって、頭をよしよししてもらっている気分になる。
次に親しくなる殿方には、まりちゃんと呼んでもらおうと決めた。
なぜだか、子どものころからまりちゃんと呼んでくれる人はいなかった。

失恋の痛手が生々しい中、まりかは飲み友だちのシイナを話し相手に招聘した。
同い年のシイナは、何年かに一度、何人かで飲みにゆく程度の仲だ。
最後に飲んだのは、もう1年以上前だろうか。
彼が婚外恋愛中と聞いたことをふと、思い出してのことだった。
それにしてもいったい、いつどのタイミングで、シイナはまりかをまりちゃんと呼ぶようになったのだろうか。
いつもはさくらさん、だった気がするのに。

薄曇りの晩秋の午後、まりかは全力で仕事しているふりをして、シイナとLINEをやりとりしていた。


「コウイチさんさ、わかんないけど、何となく奥さんとまだ別れていないんじゃないかって思った」
「やっぱりそう思う?
まりかも、コウイチが連絡を絶った大元はこれだと思うの。
離婚届、書いてハンコを押して、(元)妻に渡した、っていうから、まだ提出していなかったことが発覚したのかな、って」
「僕的には、限りなくクロ判定だな」


こないだ会ったとき、離婚したばかりというコウイチに、実はまりかは三度ほど、本当に離婚は成立しているの? とたずねていた。
もしこのタイミングで、実はまだ別れていない、と言われても、まりかの気持ちは変わらなかっただろう。
だって、好きになってしまったのだから。

「私ね、既婚者に興味はないけれども、好きになっちゃえば妻がいるかどうかは実は関係ないの。
モラルの問題というより、訴訟や慰謝料のリスクを抱えてまで恋をしたいとは思わないけれども、恋は落ちるものでしょ?
既婚と知る前に落っこっちゃったものは、もうどうにもならないから」
「既婚者の立場から言うとさ、離婚してるって嘘をついていると、どんどん苦しくなるんだよね。
そういう意味では、彼、苦しかったのかもしれないね」


おや、シイナは独身と偽って婚外恋愛に走っていたのか。
お酒が進むと、真面目な顔してくすりと笑わせる冗談を言う、ちょっとニヒルな彼の横顔を思い浮かべると、意外だった。


「最初はさ、バツイチってことにしたけど、やっぱり苦しかったよ」
「へえ、殿方側も辛いんだ。自分でついた嘘なのに?」
「最初は出来心だったからね。
それが、どんどん大きくなるの。
で、実は妻がいますとか言えないじゃん。
自分でついた嘘なのに、抱えきれなくなってくるんだよね」

婚外男子、もっと都合よく考えていると漠然と思っていたから、まりかは少し驚いた。
妻がいて恋をして何が悪い? くらいにふてぶてしいのかと思っていたから。

「だから、コウイチさんの苦しみの半分くらいはそこだったのかなって。
もちろん、彼の離婚が成立していなかったら、という前提でね」
「パニックのトリガーをまりかが引いた、というだけではなく、という意味ね」
「そう。だとしたら、少しはまりちゃん、楽にならない?」

恋は対等だ。
どちらか一方だけが悪いということはない。
しかし、対等だとしても、まりかの出現が彼にとってのアレルゲンとなり、電話で、文字で、もちろん会って時間を重ねるごとに彼の中に蓄積されていって、アレルギー反応を起こしたのだとしたら、とても辛い。
それをシイナは、コウイチの苦しみは、まりかという外因だけではなく、コウイチの中にも原因があるのだから、まりかだけが苦しむ必要がない、というのだ。

「そうね、彼が既婚者であると故意に隠したにせよ、(元)妻が離婚届を出していなくて結果的に欺いたことになったにせよ、コウイチの内なる苦しみが半分なら、まりか由来は半分だもんね。
だからといって、好きな気持ちが半分になるわけではないのが、恋の厄介なところ」
「好きな気持ちは半分にならんけど、わかるはずもない彼の苦しみの正体は、そこまで大きくなさそうでしょ。
たぶん、まりちゃんの方がずっと苦しんでいる。僕はそう思うけどね」

ふと出たお国ことばに、いつだか彼が帰省のおみやげに買ってきてくれたのは、もみじ饅頭だったか、きびだんごだったか、ぼんやりと考えた。
そんなどうでもいいことを考えている自分が、まりかはたまらなくおかしくなった。
ほんの数十分前までは、地動説のように、陸地の端っこに立って、いまにも海に落っこちそうに感じていたのに。

「辛いときには辛いって言っていいんよ。
コウイチさんは、まりちゃんの優しさを利用しただけなのだから。
自分のことだけを悪者にしなくてもいい」
「私は自罰的だから。何かあるとみんな、まりかが悪いって、思っちゃう」
「あんなふうに連絡を断つやつだよ。
きちんとまりちゃんに向き合えなかった彼が、100%悪い」

それもそうなのだ。
彼がまだ婚姻状態にあったかどうかは別として、彼は初めてまりかに会った夜にパニックの発作を起こしたことを、伝えてくれなかったのだ。
二度目に会う前、まりかが躁うつ病だと告白したときに、彼も実は自分も、と言ってくれていたらどうだっただろう。
言えないのは、彼の弱さだと思う。そして、まりかはその弱さが好きだ。

「こんなことするやつ、最低。自分でもわかっているの。
でもね、コウイチとは感性がぴったり合ったの。
話していてすごく安らいだことは、事実だから。厄介だわ」
「本当に相性が合っていたんだろうね。
でも、彼のような人でなくてもいいんじゃないかな。
むしろ、もっと違う観点が開けるかもよ。
僕もいろいろな人に会って、いろいろなことが起こったから」

出会いの数だけ、恋の形はある。
出会いの数だけ、自分が見える。
ひとりとひとり、ふたりの間に浮かび上がるのは、相手だけではなくて自分の形しかり。
コウイチがまりかが好きなまりかを映し出してくれたように、別のまりかを映し出してくれる殿方が、もしかしたらこの世にいるかもしれない。


「連日、まりかの失恋話を聞いてくれてありがとう」
「まりちゃんにはまた、元気に男をバッサバッサ切ってほしいからね」
「えっ、まりかには平穏な日々は来ないってこと?」
「それくらいまりちゃんに元気になってほしいってこと」

サポートしてくださった軍資金は、マッチングアプリ仲間の取材費、恋活のための遠征費、および恋活の武装費に使わせていただきます。 50歳、バツ2のまりかの恋、応援どうぞよろしくお願いいたします。