最後の恋

「夕焼けがきれいだったから、一緒に見た空を思い出しました。
夕陽の赤と空の藍がせめぎ合って、だんだんひとつに溶けてゆく。
あんなふたりになりたいな、と思いました。
ねえ、どうしちゃったの?
すべてはイリュージョンだったの?
会いたい、触れたい、声が聞きたい」



コウイチは、まりかの人生から姿を消した。

それは、連絡が途絶えて2週間がすぎた夜のことだった。

コウイチからのそのメールは、まりかが送ったあの夕焼けのお便りの返信に書かれていた。
夕陽の赤と空の藍がせめぎ合い、融け合う空のように、彼もなりたいと思ってくれたのだろうか。
きっとそうだ。
いまとなってはコウイチに確かめるすべもないのだから、そう思うことに決めた。


コウイチからのそのメールには、さる事情で彼がいま非常に困難な状況にあると書かれていた。
過去の経験のトラウマでパニック障害があり、まりかと会った晩にも発作を起こしたとも書かれていた。
新しい人間関係を築くことが怖いと。
いまは自分のことで手一杯だとも。
まりかと約束した旅にゆけないこと、まりかが貸した本を返せないことへの詫びとともに、まりかへの感謝もひとこと添えられていた。


こうしてコウイチは、まりかの人生から姿を消した。


それがまりかだったからなのか、ほかのだれかでも同じだったのか。
とにかく彼は、いまはだれかと親密な関係を持つことができる状態ではないのだろう。
そのまま受け入れる以外、すべがない。

まりかがトリガーとなって発作を起こしたことはショックだったけれども、それ以上に彼の痛みを思うと、アイスピックでグサグサと心臓を刺されるような痛みが全身に走った。
無力だ。まりかは無力だ。
画面の向こうで彼が生死をさまようほどの苦しみに襲われているのに、何をすることもできない。
それどころか、まりかの存在そのものが、彼に苦しみを与えているのだ。


離れなくてはならない、と思った。
ごねるのはやめよう、と思った。
問いただすのはやめよう、と思った。
まりかが身代わりになれないか、と思った。
いえ、まりかがコウイチの前から消えればいい、と思った。

彼をこれ以上、苦しめてはいけない。
すぐに返信しよう。彼を解き放とう。


「コウイチ、生きて。生きていて。
コウイチと出会えてよかった。本当に幸せよ。
コウイチが生きていると思うだけで幸せよ。
御身お大切に。
ゆっくりお待ちします。
最後の恋に感謝を込めて。まりか」

たった二度会っただけ、たった13日間やりとりしただけなのに、なぜこんなに好きなのだろう。
狂おしいまでに愛おしいのだろう。
あの日、並んで座るだけで、指と指をからませるだけで、心がが伝わってきた。
あのとき、一緒にいるだけで、話すことがあふれてきた。気持ちがあふれてきた。
すべて、幻だったのだろうか。偽りだったのだろうか。

いえ、彼にとっても、まりかにとっても、本物だったに違いない。
あの瞬間は少なくとも、本物だった。
夕陽の赤と空の藍のように、溶け合っていた。
コウイチのいうところの、泥のように。



コウイチは、まりかの人生から姿を消した。
でも、まりかはきっと待ち続けるのだろう。
だって、これはまりかの最後の恋だから。

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