V系生まれパンク/エモ育ちの私がフジロックにケンドリック・ラマーを観に行く理由

俺はV系生まれパンク/エモ育ち
暗そうな奴はだいたい友達
暗そうな奴とだいたい同じ(以下略)

今でこそ洋楽を主フィールドに文章を書いている私だが、音楽ファンとしての出発点は、小学生の時に4つ上の姉が友達から借りてきたヴィジュアル系のCDだった。
お陰で小学校高学年から中学生まではV系にどっぷり。
LUNA SEA、GLAY、ラルク、その他90年代後半から00年代初めに人気があったバンドは一通り聴いたと思う。

その後洋楽に興味が移って10代後半から20代半ばまではポップ・パンクやエモ/スクリーモなどの音楽に耽溺。
音楽雑誌の編集者/ライターとして洋楽シーンに携わるようになっても、自分が一番得意な分野として掲げていたのはエモだった。

そんな自分が2018年、ヒップホップにハマって「今年のフジロックはケンドリック・ラマーを観ることに全力をかける!」とか言ってるんだから、人生というのはわからないものだ。
かつてエモっ子だった自分はなぜ今ケンドリック・ラマーに夢中なのか。
そしてなぜたった90分のパフォーマンスのために、安くはないチケットを買い何時間も車を飛ばして苗場まで行こうとしているのか。
その理由を、ここに考察してみたい。



2000年代前半、ポップパンクやエモは非モテ/非リア充のための音楽として若者から圧倒的な支持を集めていた。自分もご多分に漏れず、学校に居心地の悪さを感じるティーンとしてこのジャンルには大きな信頼と共感を寄せていた。

対してヒップホップといえば、自分にとっては“強者”の音楽だった。アングラなシーンでは違ったのかもしれないが、少なくともメインストリーム・ヒットを飛ばす大抵のラッパーはムキムキで、ダイヤのピアスやゴールドのネックレスをジャラジャラつけていて、物腰も怖い。一緒に歌えるような曲も多くないし、自分とコネクトする音楽だとは思えなかった。

ただ、自分の人生がこれまでヒップホップと完全に無縁だったというわけではない。
ちょうど私が高校生の時にエミネムの「The EMINEM Show」が出て、自分もアルバムを買ったし、主演映画『8マイル』も観た。来日公演にも行った。
他にもミッシー・エリオットのアルバムはお気に入りの一枚だったし、その時々で自分が気に入ったものをつまみ食い的に聴いていた。

洋楽雑誌で仕事をするようになってからはヒップホップの歴史上マストなアーティストと作品名は一通り覚えたし、カニエ・ウェストやケンドリック・ラマーの名前や代表曲も押さえていた。

ただしこれらは全て、メインストリーム・ヒットの域に達したものを表層的に掬いとってきただけに過ぎない。
特に2010年代のヒップホップについては、「仕事上、常識として知っていないとまずいもの」として聴き、分析してきたものも多い。
ヒップホップやブラック・カルチャーの精神とその歴史は、日本で生まれ育ったアジア人である自分が理解するには難しいと思っていたのかもしれない。

そんな自分にとって映画『ブラックパンサー』と出会ったことは、2018年上半期最もブレイクスルーな出来事だった。
マーベル史上初の黒人ヒーローを主役とした映画で、全米歴代興行収入第3位を叩き出したヒット作だ。
この映画のエンディング曲と、それを含むインスパイア・アルバム「Black Panther: The Album」の監修を担当したのがケンドリック・ラマーだ。
彼のラッパーとしてのスキルやリリックの特異さについては、このジャンルに詳しいライターの文章がネットでいくらでも読めるので、ここでは贅言を避ける。

まず、映画のエンディングと完璧にマッチしたケンドリックと女性シンガーのSZAによるエンディング曲"All The Stars"が素晴らしかった。
この曲を聴きたさに「Black Panther: The Album」を手に入れたのだが、これによって私はすっかりケンドリックの魅力の虜になってしまった。
彼はアルバムの中で主人公ティチャラにもなるし、ティチャラの宿敵キルモンガーにもなる。同じ人間が曲の中で全く違うキャラクターになり、物語の語り部になる。ケンドリックはこのアルバムのリリックを、公開前に本編を観るチャンスを得て書き上げたという。たった一度の試写でここまで映画の本質を掴んで表現したそのストーリーテリング力は、自分でも評論や一次創作を書く人間の視点からすると、信じられないほどハイレベルなものである。

そして『ブラックパンサー』と「Black Panther: The Album」を経たことによって、2010年代のヒップホップが表現する怒りや内省表現、葛藤、未来の世代へのメッセージが“視える”ようになった。
ケンドリックの言わんとしていることに、突然自分がコネクトできるようになったという感じだ。
この時の目の前の壁がいきなりなくなった感覚は、ちょっと言葉では説明し難い。

振り返ってみれば、自分の中にもブラック・カルチャーに親しむための下地はあったのだと思う。
中学や高校の英語の授業で学んだキング牧師や公民権運動。図書室で読んだマルコムXの自伝。自分が2年半のアメリカ生活で見聞きしたBlack Lives Matterの動き。黒人と白人のエンターテインメントが分けられていると感じたTVドラマの構成。アカデミー賞で『それでも夜は明ける』や『ムーンライト』が評価されることがなぜ画期的なのか。そしてケンドリック・ラマーはなぜアメリカでこんなにも愛されるのか。
そういったことを32歳の自分は今やっと、一つの線として繋げて、視ることができるようになった。

もっと早くケンドリックの素晴らしさに気付けていたら、と惜しく思う気持ちはある。
2013年夏にテキサスに引っ越した時に彼はすでにもう大スターで、音楽チャンネルでは1時間に1回は"Bitch Don't Kill My Vibe"のビデオが流れていたし、MTVやグラミーといった音楽賞の授賞式でも彼はよくパフォーマンスに登場した。
今ケンドリックにハマっているこの気持ちであの当時を過ごせたら、もっと多くのことを吸収できたと思うと実にもったいないことをした。

だが物事には出会うべくして出会うタイミングがある。だからケンドリックのことを知って6年目の今、ようやく彼が表現していることの本質に手が届くようになったのも、ある種の必然なのだろう。「遅すぎでしょ」と言われれば、「すみません」と言うしかないが。


話をフジロックのことに戻そう。
ケンドリックの来日は2013年のフジロック以来5年ぶり2回目だ(ちなみに私はこの年のフジは欠席)。
2回目の出演にしてメインステージのヘッドライナーという抜擢だが、彼の人気と実力、グラミー賞にピューリッツァー賞まで獲得という輝かしい功績を考えれば、もちろん彼が苗場で立つべきステージはここ以外にはありえない。
もう何年もヘッドライナー級のアクトに目新しさがなかった(カニエ・ウェストが2014年にブッキングされていたがキャンセル)フジロックに、今年はNERDとケンドリックを呼んだフジロックの気概に、まずは喝采を送りたい。

好きな曲を生で聴きたい。
年に一度しかないフジロックの空気を楽しみに行きたい。
私が今年のフジロックに足を運ぶ理由は色々あるが、もっとも大きな動機は、ケンドリック・ラマーというカリスマティックな存在に圧倒されたいという渇望だ。
ケンドリックが色々な授賞式に出てきてはパフォーマンスするのを何度も観てきたが、その時にいつも感心していたことがある。
それはどんなに茶番めいたステージに出てきても彼の存在は絶対に陳腐にならないという点だ。

例えば2018年グラミー賞でのパフォーマンス。
彼は大勢のダンサーを引き連れて、自分の曲のメドレーを披露した。
途中で司会者のスキットが入ったりしたが、絶対的な世界観を一切崩さず最後まで演じきった。
グラミーはポップスやロックだけではなくジャズやクラシック、ワールド・ミュージックまでが評価対象であり、授賞式会場にはセレブだけではなく老若男女いろんなジャンルの権威や有位者が集まっているし、“格式”が重んじられる場でもある。
そんな空気の中で若者から支持されるアーティストがパフォーマンスすると、妙に行儀がよくなってしまったり、またはいつも通りの自分のノリを突き通して空回りし、微妙な空気になってしまうこともある。
NHK紅白歌合戦にヴィジュアル系バンドが出た時の会場の空気、と言ったらわかるだろうか?

そんな中で、ケンドリック・ラマーはいつも場を支配する。
観客全員をステージの上から音楽によって圧倒し、鼓舞し、魅了する存在をスターと呼ぶのなら、ケンドリック・ラマーこそが2018年最高のスターだ。
私たちはきっと苗場で、一生忘れられない何かを観ることになる。そんな予感がする。

だから私は今年、万難を排してでも苗場に行かなければならないのである。


ケンドリックのお陰でヒップホップにコネクトできるようになった私は、最近ラジオで気になる音楽の比率もヒップホップばかりになってきた。

特にJuice WRLDやBrockhamptonのような、アップデートされた柔軟な価値観や方向性を持っているアーティストの存在はとても気になる。
彼らから見えてくる「2018年若者のための音楽は何か」という話はまた今度改めて。


ちなみにフジでのケンドリック・ラマーのレポートはどこに書くか決めていないので、買いたいという媒体さんがいらっしゃいましたらご連絡ください。連絡先はプロフィールからどうぞ。

ただいま中嶋友理の記事は無料公開しています。楽しんでいただけましたらご支援をいただけると嬉しいです。ご支援をいただくと、私が回転寿司で躊躇なくイクラが食えます。