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2019年の台風15号停電体験まとめ(備えといてよかったものとか反省点とか)

普段は音楽のことを書いてるんですけど、今回は2019年9月8日の台風15号の停電について書きます。
人生で初めて「被災」と言っていいレベルの台風災害の当事者になってみてどんなことに直面したか、普段の備えがどう役に立ったか、もっとこうしておけばよかったなと思うことをまとめてみました。
日頃の備えを見直すきっかけになればと思います。

1.【我が家の基本情報】


住んでる場所:千葉県千葉市南部、緑豊かな住宅地の戸建
交通網:夫婦ともに電車通勤(最寄はJR外房線某駅)、基本的に移動・買い物は車
家族構成:自分(30代前半)、旦那(同い年)、子供(もうすぐ4歳)
台風の被害:庭の木が1本折れるも家自体は無事。住んでる地域の最大瞬間風速は57メートルだったらしい。近所は倒木による電線の寸断、古い家屋の屋根・塀の倒壊など多数。


2.【状況タイムライン】


●9月8日(日)
21時頃:自宅周辺でも雨が降りはじめる。玄関周辺や庭のものを片付けたり固定したりして飛ばないように対処。閉められる雨戸シャッターは全て閉め、万が一窓ガラスが割れた時の飛散を防ぐためにカーテンも閉める。

0時頃:翌日のJRの運転計画をチェックし、「少なくとも8時まで動かないなら寝坊できるねHAHAHA」と余裕をぶっこきながら就寝。

●9月9日(月)
深夜:雨戸のない窓を雨が叩くバチバチという音、風の唸る音、そして大風のたびに家が揺れて眠れない。細切れ睡眠。

3時頃:停電発生。冷房が止まる。暑くて寝苦しいなと思いつつもまあ台風が過ぎて東電さんが動き出せばそのうち直るだろ、と思いながら浅く寝たり起きたりを繰り返す。

7時頃:起床。まだ電気が来ていないことを確認。家電類は死んでいるが携帯は通じた・断水は起きていないので、ひとまず常温保存のパンなどで朝食。幼稚園は臨時休園の知らせ。スマホで情報収集すると電車の運転再開見込みが立たないため出社は諦め、可能なら自宅作業にする旨を勤務先に報告。とりあえず家の周りの被害を確認したり飛来物を片付けたりする。近所の家の植木鉢が我が家の駐車スペースに飛んできてた。NHKの気象予報士がが植木鉢は片付けろってあれほどry

12時頃:千葉県東部にいる義両親や埼玉の両親の無事を確認。暑さに耐えながら停電の復旧を待ちつつ情報収集をしていたが、12時を境にスマホからもネットが通じなくなる。電話は3G電波がかろうじて。ここで情報収集能力がガクンと落ち、「これってやばいのでは?」と感じ始める

14時頃:自宅屋根に載せているソーラーパネルを売電モードから自家使用モードに切り替えてスマホの充電、扇風機に使用する。途中で「固定のネット回線のルーターを起動できれば自宅のWi-Fiが復活するのでは?」と思い試してみると成功する。しかし暑くてつらい。とにかく息子を熱中症にさせないよう注意するが、すでに汗疹ができて痒そう。

17時頃:無事である埼玉の実家への避難を相談。停電復旧見通し→本日無理/電車の運行状況→終日運休決定/高速道路→最寄りのICは倒木で閉鎖、通過必須のジャンクションまで通行止/一般道は停電で信号ダウン、数キロに渡り大渋滞と、いずれも絶望的。まず子供を連れて千葉市から安全かつ速やかに出ることが困難であると判断し、このまま自宅に留まる決意をする。電気給湯が機能しないので、明るいうちに水シャワーで入浴。息子は冷たがって絶叫。ごめんよ。気温は30度近かったけど大人でも水シャワーはそこそこつらかったです……。入れないよりは全然マシだけど。

19時頃:冷蔵庫の中の傷みやすい食材をカセットコンロで調理し、ロウソク一本で夕食(トップの写真がその様子)。息子が怖がらないよう、状況を簡潔に説明した上で「でも大丈夫だからね」と安心させる。やることがないので21時半には寝るものの、28度の熱帯夜だったので寝苦しくてあまり眠れず

●9月10日(火)
6時頃:日昇とともにソーラー発電が動くので起きて早速情報収集。夜間のうちに高速道路の通行止がほぼ解除され、今日も暑くなる&停電の復旧見通しは立たない&電車もろくに動いてないことがわかったので、車で埼玉の実家への避難を決める。

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9時頃:荷造りをしてブレーカーを落としてから(これ大事。通電火災は怖いぞ!)自宅を出発。遅刻で出社する旦那を京葉線の駅まで車で送っていく。街中は倒木多数(上の写真)、信号も点いていたり消えていたり。手信号の警官が配置されていたのは片側二車線の大きな交差点1箇所だけで、それ以外に通過した15くらいの信号は全部ドライバーの判断任せのため渋滞もひどい。普段だったら20分の道のりが1時間かかった。旦那はそこから出社。

12時頃:息子を連れて埼玉の実家に到着。千葉の惨状が嘘みたいに草加市は日常だった。冷凍庫・冷蔵庫から救出してきた食材を入れさせてもらい、溶けてしまったものはその日の昼食・夕食で使ってもらった。父に息子の面倒を任せて持参したノートPCで仕事をする。

夜:旦那も仕事から私の実家に帰宅。お互い暑さで疲弊していたのでさっさと寝る。冷房の効いた涼しい部屋でぐっすりと眠れる嬉しさよ……!

●9月11日(水)
夫婦とも私実家から出社し実家に帰宅。息子の幼稚園は再開したが、給食センターが機能しないのでお弁当持参でとのこと。お弁当を作る電力もないし、お弁当やお惣菜が手に入るスーパーは閉店しているか商品が入荷できていないということで幼稚園にも行けない。

●9月12日(木)
朝起きてツイッターで情報収集したところ、同じ地域に住んでいる人が「夜中に停電が復旧した」とつぶやいているのを発見。しかし東電の停電している場所リストからは町名が消えていない。また、停電が復旧した場所でも電気使用量が一気に上がって再び停電になるケースがあり不安定、という情報も目にしたので、この日は念のためもう一日実家に留まり夫婦とも仕事に行く。息子はジジババに甘やかしてもらいご機嫌。

●9月13日(金)
この日も実家から出勤。ツイッターで自宅周辺の電気供給が安定しており周辺のスーパーも営業を再開しているという情報を得たので、帰宅を決める。旦那が職場から先に自宅に戻って通電を確認したので、私も息子を車に乗せ高速を飛ばして自宅に帰った。こうして3泊4日の避難生活は終了。
停電時間は9日3時頃〜12日1時頃と、約3日間でした。でも家の周りまだ倒木だらけで、これが全部片付くのはいつのことやら。「緑豊かな場所=台風の時の障害物だらけ」という認識を新たにしました。

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●9月14日(土)
冷蔵庫と冷凍庫を清掃して再始動。「開封後は要冷蔵」と書かれた調味料や避難前に食べきれなかった冷蔵食料を廃棄し、捨てたものを書き出して買い出し。冷蔵が基本の液体の調味料など(ケチャップ、ドレッシング、めんつゆ、白だし、味噌、オイスターソース、チューブの香味野菜ペースト)を大量買いしたので死ぬほど重いし出費も痛い。

あと、3泊4日の避難生活は私には勝手知ったる実家でしたが、旦那と息子はあくまで「他人の家」。実家は狭いマンションでプライベートなスペースもなく、義両親もいて旦那には緊張の解けない空間だったと思います。その点も帰宅してから言葉で労いました。逆に私が義実家に転がり込む嫁だったらやっぱり気は遣うと思うし。


3.【あってよかったもの、やっといてよかったこと】

次に、今回の体験を切り抜けるに当たってプラスに働いた要因を挙げてみます。正直「運」が作用した部分も多いのですが、それも含めて今後の備えを考える材料になればと思います。

☆ラッキーだったこと
▼断水はしなかったこと。トイレが流せた、水でもシャワーが浴びられた、食器が洗えたのは衛生環境の維持に非常に重要でした。ただし停電発生からしばらくは水が出たけど、水道局が非常用電源を使い切った後に断水した地域もありました(義実家のある千葉県東金市がまさにこれだった)。

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▼避難できる家があったこと。埼玉の実家の両親が元気で「大変ならこっちにおいで」と言ってもらえたのと、車で移動可能な距離であったことは幸いでした。正直みんなが大変な環境からさっさと一抜けするのは申し訳ない気もしましたが、私が地元にいてできることも特にないし、限られた食料や飲料水の販売に人が殺到する状況でそれを必要とする人数が減らせるならそれに越したことはないです。とっとと避難して経済を回しましょう。

▼ガソリンの残量が偶然にも充分あったこと。9月10日午前の段階で千葉市南部はまだ停電しているところが多く、ガソリンスタンドは多くが閉店。非常用電源を持っている災害対応ガソリンスタンドは十数台が並ぶ混雑でした。夜間はカーナビのテレビ機能やラジオも活用して情報収集していましたが、ガソリンの残量に不安があったらできなかったです。
私はいつも全20目盛りあるメーターが4を切ったらそろそろ給油かな〜と思ってガソリンスタンドへ行くんですが、時間がなくて後回しにした結果残り1とか2でスタンドに駆け込むことも結構あり……今回もしその状況だったら埼玉への避難もできなかったと思います。これを機に、メーターが半分切ったら給油する癖をつけようと旦那と確認しました

☆あってよかったもの
▼防災備蓄食料(飲料水2リットルペットボトル×12本、野菜ジュース200ccパック×12本、アルファ米の炊き込みご飯等バラエティセット12食分、パンの缶詰6個、果物の缶詰4本)
今回、ツイッターでも水と食料がないという切実な声が多かったですね。我が家ではこの中から手をつけたのはパンの缶詰だけでしたが、スーパー/コンビニも停電で営業できないという状況下でもこの備えと冷蔵庫・冷凍庫の食材を組み合わせれば丸3日くらいは保つと思います。子供もいるのでいざという時飢えさせるわけにはいかぬと災害備蓄はしっかりしておいたので、食料は不安なく過ごせました。

ちなみに私は結婚して旦那と暮らし始めるまで8年間一人暮らしでしたが、防災用の備蓄食料なんて買ったことなかったです。会社勤めで忙しかったし、その時食べるものをコンビニで買うか、まあ土日で余裕があれば一食二食は作るか……って程度。でもこのライフスタイルでは今回のような停電災害に遭った時、真っ先に食料が尽きて飢えます。コンビニやスーパーはほぼ開かないし、開いたとしても常温・調理しなくていい・幼児やお年寄りでも食べやすいものからどんどん売れていきます。次にいつ入荷があるかもわからないまま並ぶ人がたくさんいます。家族がいれば交代で並べますが、一人暮らしはそれを一人で切り抜けなければなりません。無理ゲーです。なので一人暮らしの人も、長期間常温保存できて調理不要で食べられるものの備えとかしておこうね、切実にね……。

▼光源(でっかいロウソク3個、アウトドア用ライト、懐中電灯、キングブレード、ペンライト類)
日没後、周囲が真っ暗になるのはもちろん、日中でも窓のないトイレは暗いので光源が必要です。人からお土産でもらったアロマキャンドルなんかは太くて安定しており燃焼時間も長いので安心感ありました。でも地震で余震が続いてる時や火の危険性がわからない乳児がいる家はオススメできない。乾電池式ライトにしておきましょう。

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あとフジロック用に買ったライト類とか、オタクの必需品キンブレとかイベントグッズのペンラも大活躍します。推しの色や楽しかったフェスの思い出で心が和むというリラックス作用もある(大事)。スマホのライトはバッテリーセーブのために極力使わないようにしました。

▼カセットコンロとガス
我が家はキッチンがIHで土鍋が使えないため、冬の鍋料理のためにカセットコンロとガスを常備してたのが幸いしました。お陰で冷蔵庫の死にゆく食材を加熱調理して食べることができました。
今回は30度を超える暑さだったので水風呂でも耐えられましたが、これが真冬だったら身体を拭くのもお湯がないときついです。そんな時もカセットコンロがあればお湯が沸かせるわけですから、キッチンがIHの人は絶対カセットコンロを持っておくべし。買い置きのガスも最低3本はキープできてれば数日のサバイバルはできると思います。

▼汗拭きシート
通勤時に汗をかくので数十枚入ってるひんやりタイプの汗拭きシートを常備してましたが、冷房がなくじんわり汗をかき続ける環境下では非常に助けられました。仮に断水でお風呂に入れなくてもかなりこれで楽になると思います。ただ真冬の被災や乳幼児にはひんやりタイプはきついので、冷感じゃないやつも買っとくといいです。スースーしなくて赤ちゃんも使えるやつはビオレが出してます

▼ソーラーパネル
我が家の場合、今回の停電で一番威力を発揮したのはソーラーパネルです。ライフラインの状況や避難するための情報収集も結局ネットがないとどうにもならないのが現状です(防災無線は二度ほど流れたが遠すぎて何言ってるのかほぼ聞こえなかった)。
うちは建売住宅を購入した時に最初から屋根にソーラーパネルがついていました。普段は売電モードにしてるんですが、今回は自家使用モードに切り替えて日照時間中に限り最低限の電気を得ることができました。
売電モードから自家使用モードへの切り替え方や注意点は取扱説明書に書いてありますので、取説を非常用持ち出し袋の中に入れておくとか、今一度読んで使い方を頭に入れておくのがオススメです。もし地震で部屋がしっちゃかめっちゃかになったら探すの大変だし。

今回、携帯各社の通信障害でネットにも繋がらなくなったわけですが、TVとインターネットをセットで契約しているニフティの固定回線は生きてました。「もしかして無線LANのルーターを起動できれば自宅のWi-Fiが復活してネットに繋がるのでは?」と思い試してみたところ、ビンゴ。太陽が出ている間だけでもネットに繋いで情報を集めたり、友人知人に無事を知らせることができたのは本当によかったです。この方法は覚えておいて損はないと思います。

あとはソーラーの電力は扇風機と携帯の充電などに使ってました。クーラーを動かせるほどのパワーはないので暑さは我慢です。

▼使ってない保冷剤
これは怪我の功名なんですけど、ケーキとかお惣菜買った時にもらう保冷剤を捨てずにどんどん冷凍庫に溜めてしまう悪癖がありまして、停電した当日も冷凍庫の中身の3割くらいが保冷剤でした。ところがこれのお陰で冷凍庫の中身は1日半経ってもほぼ無傷でした(さすがに溶けやすいアイスクリームは発生から12時間後に柔らかくなり始めたのでおやつに食べた)。なので、もし冷凍庫に隙間があるならば、もらった保冷剤を放り込んでおきましょう。万が一の時に冷凍庫の中身を延命してくれます


4.【あったらよかったもの、反省点など】


▼お風呂に水を溜めておくべきだった

住んでる地区が断水しなかったのはラッキーだっただけで、もし断水してたらトイレや生活用水にマジで困っただろうなと思います。油断せず風呂に水を溜めとくのはやっとけばよかったです。無事何事もなく過ぎ去って余ったら洗濯とかに使えばいいんだし。

▼ネット以外の災害情報収集ツールを持っておくべきだった
今回、停電でテレビが死に、通信障害で携帯が繋がらなくなって情報収集も発信も全くできない数時間がありました。千葉市はYahoo!の防災速報アプリに避難所や給水所の情報などをこまめに配信していたのですが、まずネットに接続できてないとそれすら受け取れないわけです。で、防災無線はろくに聞こえないし、新聞も取ってない。自宅ルーターを復活させるまでの数時間は八方塞がりでした。ネットが復活してからはツイッターなどにも大いに助けられましたが、ネット以外の情報収集ツールの必要性を痛感しました。

▼ポータブルラジオを買っておくべきだった
車でもラジオは聞けたんですが、ガソリンの入手も困難になると消費量を抑えないといけないのでポータブルラジオがあればよかったなと思いました。乾電池式、手回し充電式、ソーラー充電式なんかがあるけどいつでもどこでも聴けることを考えると乾電池式か手回し充電かな。

▼災害備蓄食料の賞味期限確認をしておくべきだった
今回食べたパンの缶詰は2年弱前に買ったものですがよく見たら賞味期限が4ヶ月前に切れてました。開けて大丈夫そうだったから食べたけど。買って安心しちゃうとダメですね。時々確認して在庫を入れ替える作業をするようにカレンダーに書き込みました。ちなみにパンの缶詰、今回初めて食べましたが美味しかったです。次もこれ買う。

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5.最後に

この数日間を振り返って書いてみましたが、34年弱生きてて今回が一番「自然災害に巻き込まれた」という実感の大きい体験でした。
自分の家が直接的な被害に遭っていなくても、真夏と言える気温の日々に電気が来ないだけでこんなにも厳しいものかと、電気のありがたみを感じる契機になりました。

実際、千葉では熱中症で亡くなった方が2名、救急搬送された方は50人を超えるということで、電気と水の不足、そして暑さにじわじわと苦しめられるという未知の災害であったと思います。
台風はまだこの先もやってきます。毎年必ずやってきます。地震だっていつ来るかわかりません。皆さんもぜひ、防災備蓄の点検や緊急時の対応の確認など、今一度してみてください。

普段は「この記事が良かったと思ったら以下のボタンから投げ銭を」とお願いしているのですが、今回は災害募金の方に回っていただけたらと思います。被災している市町村へのふるさと納税ができますので、以下にリンクを置いておきます。

あと、千葉の南の方は楽しいレジャー施設もいっぱいあります。
市原ぞうの国、鴨川シーワールド、東京ドイツ村、マザー牧場……みんな今回で長期間停電した地域にありますので、復旧して落ち着いたらぜひ遊びに行ってみてください。そして楽しく金を落としてくれ(言い方)

市原ぞうの国は象がかわいい。普通の動物園より距離がめちゃ近い。象以外にも動物いろいろいます。
鴨シーは関東でシャチが見られる唯一の水族館です。みんな超芸達者でかわいいよ。
東京ドイツ村は冬のイルミがマジかって規模で超ヤバい(語彙力)。あと売店のバウムクーヘンがめっちゃ美味しいのでぜひ。
マザー牧場はジンギスカンが最高。ソフトクリームも美味しい。牧羊犬がかわいい。ミニ遊園地もある。バンジージャンプもできるぞ。

まだ停電続いてる地域もありますが、一日も早く千葉が日常に戻れますように!

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