リンキン・パークのチェスター・ベニントン没後1年に寄せて

 リンキン・パークのヴォーカリスト、チェスター・ベニントンの死から間もなく1年が経とうとしている。その節目に合わせ、改めて追悼の意をこめて、チェスターの死について自分が考えたことを整理すべく、記事を書いてみた。

 彼の死を知った朝、たくさん泣いた。1週間経っても2週間経っても、ふと彼のことを思い出しては泣いた。彼の死の背景が少しずつ明らかになってネットニュースに流れるたび、知りたい気持ちと知りたくない気持ちを抱えながらもクリックしてしまう自分が嫌だった。テレビやラジオから流れてくるリンキンの曲、チェスターの声を聴くのはすごく辛かった。もう彼はいないんだと何度も思い知らされる度に胸が痛かった。

 そして私は一つの罪悪感に苛まれた。それは、私が彼を絶望させてしまった【メディア側の人間】だったのではないかという想いだ。

 私は2007年から2012年まで、洋楽専門誌「CROSSBEAT」の編集部に在籍し、編集者やライターとして月刊誌を作っていた。中学生の頃から洋楽、特にロックが好きで、「Hybrid Theory」や「Meteora」はリリースされた当時「これこそが今一番カッコいい音楽だ!」と思いながら夢中になって聴いた。そんな自分が幸運にも洋楽専門誌の編集部に入り、彼らに直接取材できるチャンスまでもらえるようになった。夢が叶った瞬間だった。

 「CROSSBEAT」はリンキンが新作を出せば表紙・巻頭特集を組んだし、夏フェスのヘッドライナーになれば表紙にしたし、一冊丸ごとリンキン・パークだけで構成したスペシャル・ムックも出していた。編集部在籍中は私もそれらの本に必ずと言っていいほど関わっていた。言うなれば、リンキンに飯を食わせてもらっていたのだ。

 だが2012年に「Living Things」をリリースした時、リンキンは表紙を飾らなかった。理由はシンプルで、彼らを表紙にしたところで売上部数が見込めなくなっていたからだ。バンド自体の固定ファンが減っていたことに加えて、インターネットの発達によりアーティストの発言を雑誌で買って読みたいと思う層の縮小も理由としてあったと思う。以前ならばリンキンが新作を出すとなれば編集長がロサンゼルスまで現地取材に飛んでいたが、そういうことがこの時を境になくなったように記憶している。

 リンキンの長年のファンならご存知だと思うが、彼らはバンドを取り巻くビジネスについてとても敏感であり、明確なヴィジョンを持っていて、それをコントロールすべくしっかりハンドルを握っている。だから段々と自分たちがかつてのようにメディアにもてはやされなくなってきたこともわかっていた。取材のオファー数、メディアの中で自分たちが扱われる大きさや尺、レーベルがプロモーションに用意する予算、ライヴ会場の規模。そういうものが徐々に小さくなっていっていることを、彼らは理解していた。ただ、チェスターはそれについて不満を隠さなかったし、自分たちの渾身のニュー・アルバムはどうしてファンに受け入れられないのだろうかという疑問を常に抱いていた。

 チェスターが抱えていた不満について一つ、忘れられないことがある。彼が2009年、別プロジェクトのデッド・バイ・サンライズでアルバムを発表した後、個人のTwitterでこう書いたのだ。
「デッド・バイ・サンライズのアルバムが売れないのはみんな違法ダウンロードしたからなのか? それともアルバムの内容がクソだったから? 正直に教えてくれ」
 2017年、「One More Light」がリリースされ、その内容に不満を持ったファンたちがFacebookに心無いコメントを書き込んだり、ライヴで「昔の曲をやれ」と野次を飛ばしたり、というニュースが聞こえてきた。他のメンバーに比べ、他者からの評価に執着が強かったチェスターにとってはつらい出来事だっただろうと思う。

 私はといえば、2012年に編集部を離れてからはフリーのライターとなったこともあって、自分の力で彼らを何かの表紙に推したり、別のメディアで大々的な特集を企画するような機会を失っていた。ただ、リンキンが次にどんなことをするんだろうということは常に気になっていたし、2014年に「The Hunting Party」をリリースした時には当時住んでいたテキサス州ヒューストンでの公演を観に行き、BARKSでそのレポートを書かせていただいたりもした。その後、子供が生まれたりしてなかなか気軽にライヴに行くことはできなくなっていたが、2017年11月に予定されていたONE OK ROCKとの日本ツアーには絶対行くつもりで本当に楽しみにしていた。

 自分にとって、最初の2枚のアルバムはやっぱり心の中の特別な棚に入っている作品だ。でも、最初の2作の焼き直しみたいなアルバムは絶対作らないというプライドのもと、次はどんなことをするんだろうといつも楽しみにしていた。それがパーフェクトな作品でなくても、挑戦者であり続けるバンドのことを尊敬していた。だって世の中には安全牌みたいなアルバムを作ってしまうバンドがたくさんいることを知っているから。

 その気持ちを、もっと表に出していたら何か違っただろうか。バンドに、チェスターに、伝える努力をしていたら何かを変えることができていたんじゃないか。時にジャーナリストの声は、ファンの声よりも少し強く、大きく、アーティストに届くことがある。自分の声を、そういうことに使えばよかったという後悔が消えなかった。

 人気が衰えたとは言ってもリンキンだし、私が一生懸命にならなくても誰か他の人がやるだろう。そんな風に思っていたのかもしれない。実際、私は天邪鬼なところがあって、「レディオヘッドのことは私より大好きで詳しいライターさんがいくらでもいるんだから、わざわざ私が書かなくてもいいだろう」みたいに考えているところがある。でもリンキンの功績について書くべきだったのは、彼らをグランジの次に出てきたムーヴメントとジャッジしたような世代のライターではなく、ティーンとしてあの時代を謳歌したまさに私達世代のライターではなかったのか?と、今更になって気付いた。本当に今更だ。

 もちろんチェスターの死は彼が生前から抱えていたメンタル・ヘルスやアルコールといった問題や、親友クリス・コーネルの死など、いくつかの要因が重なっていることはわかっている。チェスターの奥さん、タリンダさんの言うように、誰のせいでもなかった。私も、新作について辛辣なコメントを言ったファンのせいだなんて思わない。私なんか、彼らがこれまで何千と接したメディアの人間の中の一人に過ぎず、彼らと私の人生が直接交差したのなんてほんの数分のことだ。自分の存在が彼らの何かを変えることができたとは思わない。それでも。自分は他者からの評価を渇望していたチェスターを失望させた「メディア」という巨大な集合体の一要素だったのではないかという気持ちが、どうしても拭えなかった。

 客観的に見ればずいぶんと自分勝手で自己憐憫に近い感情だが、本当に去年の7月から10月までは、毎日毎日このことばかりを考えていた。それを少し軽くしてくれたのは、音楽ライター仲間の宮原亜矢さんだ。
 私は2017年10月、ミュートマスのUSツアーを観るため、ロサンゼルスに飛んだ。そこで現地にお住いの宮原さんと再会し、ライヴの開演までレストランでいろいろなことについて話し、リンキンへの想いについても語り合った。
 彼女は私の話をじっと聞いてくれた後、彼女が春に行なったリンキンとの取材について話してくれた。宮原さんは「One More Light」はリンキンの最高傑作ではないけれど、バンド史上一番ビューティフルなアルバムだと感じたということを、その時のインタビュー相手だったロブとハーンに伝えたそうだ。それを聞いた2人はわざわざ席から立ち上がり(この時ロブは松葉杖をついていた)、彼女をハグしたという。
 私はそれを聞いてまず、すごいと思った。あのロブとハーンから、ジャーナリストとして最敬礼を受け取れるなんて、と。リンキンの面々はとてもフレンドリーで紳士だが、同時にすごく取材慣れしていて勘が鋭く、上っ面だけの賛辞や中身のない質問には全然乗ってきてくれない。インタビューする側としては、かなり難易度の高い相手なのだ。私は2011年、幕張メッセでの来日公演の際に楽屋でロブにインタビューしたが、面白いと思ってもらえなかった質問は全く話が膨らまず、冷や汗をかきまくったのを覚えている。
 そして、リンキンを愛する一人のジャーナリストが誠実にその想いをバンドに伝えてくれていたことに、勝手に感謝した。もしその場にチェスターも同席して宮原さんの言葉を聞いていたら、さぞかし喜んだだろうと思う。その機会がなかったのが残念でならない。

 チェスターの相棒であるマイク・シノダが、チェスターの死後に制作した初のソロ・アルバム「Post Traumatic」を発表した。まだ歌詞をじっくり読むことはできていないが、マイクが歌うコーラスの向こうにチェスターがいて、それだけで涙が出た。
 このメロディ、チェスターが歌ったらこんな風に聴こえただろう。チェスターとマイクがハモったらあんな感じになっただろう。リンキンの曲において、チェスターの歌うメロディをマイクが一緒に作っていることはよくあった。だからマイクのメロディはチェスターのメロディなのだ。チェスターはもういない。でもマイクの歌の向こうにチェスターの気配がする。なんと嬉しくて、つらいアルバムだろう。

 今年のサマーソニックにマイク・シノダはソロ名義で出演予定だが、観に行かなければという使命感と、観るのが怖いという気持ちの間でずっと揺れている。当日、その時間になるまで迷っていると思う。もう散々チェスターは死んだという事実を突きつけられているのに、マイクの口から改めてチェスターについて語られるのが怖い。
 でもきっと、同じ気持ちのファンがたくさん集まってくるだろう。みんなと一緒に泣き、そのステージのレポートを書くことで、音楽ライターとしてリンキン・パークに、そしてチェスターに何かしら恩返しができたらいいなと思っている。それが今、自分にできることだと思うから。

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