自己啓発セミナー、辞めれました。

前々回の記事で、教会を抜けてもマルチと自己啓発セミナーにハマったというか、はまりかけた話をしたが、これではずっと辞めれないという危機感から消費者センターに連絡した後、セミナー担当者に毅然とした態度で、今回はやりません。ありがとうございましたと伝えるとすんなりと辞めることができてよかった。みんなも気をつけてください。

私は依存していることとして、「買い物依存」があるが、人との関わりが少ない、寂しい時に物を買うことで一時的に寂しさを埋めるということをしているということによく気づいた。
(これ、自分が買い物依存だって気づくまでに結構時間かかったんですよ。まぁ買い物依存の話はまた別の記事に書こうと思いますが)

ここで、パートナーがいたら違うんじゃないかとかそういうことを思うけど、こういう状態で現れても依存になるのだろうか。MLM(マルチ)とか自己啓発のセミナーの、お金払えばすぐ手に入れられる人間関係が欲しかったのかもしれない。

前のカルト化教会では人間関係には、一見恵まれていたように見えた。そこにいた人たちはすごくキラキラしていた。見た目も容姿端麗な人が多かった。自分もそのキラキラしたものの、一部になれたような恍惚感というか、そういうものに酔いしれていたというか。

教会を出ることになって、そういったものは一切なくなった。だけど、出たその後私が得たものを考えてみると本当に価値のあるものを得たと言える。

第一には私のことを本当に大切にしてくれる友人が誰なのかということがわかった。カルト化教会を出た後でも連絡を取り続けてくれる兄弟姉妹、気にかけて1年に数回手紙を送ってきてくれたりとか、一緒に会う会うことができる人もいるし、あともともと身近にもう良い人たちがたくさんいることに気づいた。

リーダーたちは私のことを利用していたけど、私も彼らが構築したキラキラしたメンバーを彼らを通して知り合うということに依存をしていたし、利用していたと言うこともわかった。あとやっぱりカルト化教会でもすごく孤独を感じていた。だってみんなキラキラしてたけどぶっちゃけ信仰のこととか諸々深くまで話せる人もほとんどいなかったし、何か世間話とか、普段の話で浅いところで色々と繋がれる部分もあったかもしれないけどね。それはそれで大事ではあるけど虚しかったなって、それも分かるんですよ。
でも気づくとまたあの時こうしてればよかったんじゃないかとかっていうのをまだやっちゃっている。でも前に比べればやらなくなったかな。そこまで大きいことがなかったら私はあの教会を出ることができなかったし。今、人生はとても充実している。
このモヤモヤした感情を抱えながらずっと生きていくことがすごく辛すぎてどうしようもない。でも自分も自分から謝りに行くのも何か違う気がするし、そこまで許せない位嫌なことされたのに、自分から謝りに行くのも違うと思っている。そういう彼らと和解と称して、自分が下から出て、我慢して、表面上だけの和解しかできないと思った。

悔い改めてないから、和解する必要なくね?と向こうも思ってるのかもしれないけど、あの人たちも私が行ってるクリスチャンコミュニティーには絶対に来ないし、何かあえて意識してるんだと思いますけど。やましい事があるんじゃないかと思ったりする。

今だったら対面しても大丈夫かな。今ここにエネルギーを注ぐのほんとに疲れるし辞めたいけど気づくとこれをやってしまう。

神様助けてください。

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