教会に行けるようになってビックリした

長い長い喪のような期間が明け、
また、信じられないようなことがいくつか起こり、
状況が変わってきた。

4月から、ある意味新生活となるということもあり、今年度最初の礼拝には行きたい、という思いが湧いてきた。

しかし相変わらず発作予防薬は飲んだし、心と格闘し、なかなか家を出れず、遅れては行ったものの、

説教はまだ途中だった、そしてわりと集中していられたし、
みことばにより、魂の渇きにたしかに潤いが足された感じがした。
また、賛美もよかった。しみた。聖餐式もあった。久しぶりだった。これもまたよかった。


礼拝後、
誰よりも先に帰ろうかと思ったが、結局少し居ることに。
接触を試みようと近づいてきて、距離感が近すぎるひとには申し訳ないけど、自分に余裕がないので塩対応させてもらい(苦笑)、

その状況を察したか、友人がその方を引き取って別の部屋へ行ってくれた。
助かった。

比較的高齢の方が多い教会で、私くらいの年代の人を見たら、金づるとしか思っていないのかな、と思うような言葉掛けや対応をされることもある。しかしこの教会はいい意味でも悪い意味でも割とドライだ。そこが今の私には心地良い部分でもある。

中には詮索好きで、全然信仰と関係ないゴシップ的な話が好きな婦人もいるが、
いつもどきどきしながら、
不必要なことを言わないようにしている。
しかし、と同時に、某カルト化教会のヤバさをポロっと言ったとして、
この噂話好きの婦人が、拡散でもしてくれたらどうなるだろうか、
なんて想像したら、なんだかちょっとワクワクしてしまう自分もいた。

そこまで回復したということでもあるんだろう。

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