自転車との別れ話

アパートの小さな駐輪場の端っこに、さびれた深緑の自転車が首をかしげてとまってから、何か月経っただろう。

こちらは高校生の頃にお父さんに買ってもらった自転車で、実家暮らしの頃は毎日この自転車に乗って隣街の駅まで向かっていた。タイヤが小さいお洒落なタイプの自転車で、お父さんには「これスピードでないぞ、ママチャリのほうが早いぞ」と言われたけれど、どうしても形がかわいいっていうのと川辺に生えた苔のような深緑色に惚れてしまって、買ってもらった。しばらく使ってみて、たしかに進みは遅いかなと少し後悔した。でもカラクリが得意なお父さんが早く進むように改造してくれたのでひゅんひゅんとお世話になった。

毎日、毎日、漕いだ。

制服を着て、お気に入りのワンピースを着て、新しい教科書を詰めて、ギターを背負って、部屋着で急いで、レインコートで雨に打たれて、バイト着を持って、ぎこちない就活スーツを着て、旅用のボストンバックを前カゴに詰めて、ほぼ、365日。

何度かぶつけてしまったこともある。阿呆な私は飛び出して自転車のお兄さんにぶつかった。幸い大事にはならず、すみませんで終わった。何度か転んだこともある。なぞに曲がるのがへたくそで一人で何もないところでひっくり返った。

パンクして、ぶつけて、ギアチェンジが効かなくなって、ぼろぼろの自転車は「キュエッ、キュエッ」っと鳴き声を上げて走っていた。庭の木の下に駐輪していたので朝起きたら鳥の糞まみれになっていたこともあった。

なんとも、大変な主に買われてしまった自転車。

ところがある日ひょっこり引っ越すことになり、自転車も一緒に連れて行った。自転車の後輪には引っ越し先のアパートの名前が書かれたシールを貼り、綺麗に拭いて、「これからはここでよろしくね」と言った。

しかし、アパートは駅の近くなうえに、坂道だ。自転車はあまり必要ない。長年毎日一緒にいた自転車は、徐々に使われなくなっていき、タイヤの空気が抜けて、漕げなくなった。変な方向に首を傾げ、寂れて、一番出しにくい隅っこに佇んでいる。

あんなに毎日一緒にいたのにね。と、なんだか長年付き合った恋人と別れたような気分になった。やっぱり変わらない毎日なんてないね。毎日少しずつ、もしくは、何かの拍子にぴょんと「あんなに~だったのにね」サイドにまわる。

季節は巡るけど、自転車で感じる秋と歩いて感じる秋は違う。今何かのサイクルに押しつぶされそうになっても、今何かのサイクルが調子に乗っていても、すべてはタイヤのすり合わせだから、どこにでもいってしまうから、どうにもならないし、どうにでもなると思うんだ。

大雑把で注意散漫で阿呆な私を乗せて、6年くらい。いままで、こき使ってしまってごめんね、毎日一緒にいてくれて、ありがとう。

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さて、

悲しく佇む自転車をみてそんなことを考えたわけですが、タイヤは空気入れを買えばいいだけの話だし、たまには坂道のぼってちょっと遠くまで行ってみればいい。別にさようならをする必要はないのだ。

まわれ、まわれ、毎日。

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