【読了】「不登校」「ひきこもり」の子どもが一歩を踏み出すとき

2 親子の和解と修復のものがたり
子どもの傷と周囲の気づき

1 基本になること
危険な場所には近づかないこと/なぜ、人がこわいのかを知る/二度めの傷は大きな痛みをともなう/傷口を広げないための近道/親子関係の断絶を招くとき/不安をもちつづけたときに起きる症状/ゲームは命の浮き輪/なにか理由があるのではないか、と思いをめぐらせる/こだわりが強くなるとき/親が、日々傷つけ直していることに気づく/親子関係が険悪になったら

2 親が変わるとき
体験を語り伝えあう/父親の理解で改善すること/体験を共有する先に/親の人間的な成長/親自身の不安の実態が明らかになる

3 話を聴くこと、話をすること 
最後まで聴く/親にほんとうの話をするとき/一部始終を話せるようになるには/働きはじめて……過去に負った心の傷の修復/信頼の基本/夫の話をよく聴けるようになる/「なにを迷っているの?」という問いかけを/つらい思い出を語る/だから、話の腰を折らない/傷ついた隣人の話を聴く距離感で/心の傷が回復するということ/専門家に委ねなくても/和解のとき/助け舟はいらない

4 親が心すること
必要なのは、屋根と寝床と食事、そして時間/医療に頼ることで起こるのは/発達障害という誤解/薬を知る/「助けて」をいわない子への注意/「NO」をしっかり受けとめる
目次から

不登校児が家に2人(下の子はフリースクール通学中)いる親としてはどれも納得のいく記述。

親が子どものことを理解することが大事とはどこでも言われることで、わたしも子どもに対して学校に行かせようとか、勉強をさせようとは一切思っていない(不登校初期は無理矢理行かせようとしたこともそりゃあったけれど)。

なんだけど、上の子については本当に理解できているのか?と自問自答する機会となった。

不登校については別に構わない。
ゲーム漬けなのも結構。

なんだけど、ここ数年の下の子に対しての理不尽な暴力は認められていないんだと気づいた。自閉スペクトラム症の診断はついている。とはいえ障害のせいというのもなんだか腑に落ちなく、ただ単に手を挙げられたり、横暴なことをされたり言われたりというのは本当に腹が立つ。

これは一体どうしたらいいんだろうな?

閑話休題。

書籍の後ろの方に掲載されているOha通信。
岡崎先生の「学校は託児所である」という主張、とてもなるほどと思った。

「学校は勉強をするための場所」とよく言われるけれど、子どもたちが自由に過ごすことが基本の場であればこんなに不登校の子が増えることはないのではないだろうか。

勉強したい子はその子のペースで教員に助けを得ながら学べばよい。遊びたい子は遊べばよい。遊びといっても、学びにつながる遊びであれば、教員の手を借りながらやればよい。
お友達とわいわい過ごしたい子、1人でもしくは少人数で静かに過ごしたい子、それぞれの部屋があったらよい。

つまりはこれはきのくに学園や、フリースクール的なかんじなのかもしれないが。

不登校の子が家にいることで、仕事に行けないなどの問題があるのも確か(我が家は幸い留守番ができる子だったけど)。

学校が最低限の見守りをしてくれたら、もっとみんな生きやすくなるだろうな。

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