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ME AND MY GIRLと崖の上のポニョと恩人、キワミシン


行ってきました。2年ぶり2度目の博多座。
1996年12月に、東京宝塚劇場で天海さんのさよなら公演を見て以来、27年ぶりのME AND MY GIRLです。

1996年当時、天海さんのさよなら公演はテレビでも特集されるほどの熱気で、ずっと泊りがけで並んでチケットを求める人がたくさんいました。プレミアすぎるチケットを、ぼんやりした若い子だった私はなぜか3枚もいただいて、せっせと劇場に通っていたのでした。

https://kageki.hankyu.co.jp/revue/2023/meandmygirl/index.html

観始めた直後も溶けなかった、心の中のグレーの塊

正直、博多座じゃなかったら、演目がME AND MY GIRLではなかったら、宝塚歌劇を今は観に行けなかったと思います。

ちょうど一か月前の9月29日に第一報を聞いて、現実なのか妄想なのか、虚言なのか悪夢なのか、わけのわからない一か月を過ごしてきました。自分で思うよりも、メンタルも体もぐっときていたようです。つまり元気じゃありませんでした。

宝塚を見ることが唯一の趣味で生きがいというわけではありません。依存していたとも思いません。が、日本のどこかであのキラキラした舞台にキラキラした人たちが立っているという事実が、多忙な毎日の拠り所というか、雑多な日常の中の支えの一つだったのかもしれないと気が付きました。

今回、とても良い席を譲っていただいていて、たまたま仕事が落ち着いて博多まで遠征できるタイミングにあって、えいやっと行ってきました。少し心の中にグレーの塊みたいなものがあるのがわかっていましたが、それがいつ溶けるのか自分で試してみたい気持ちもありました。

上演していることが、当たり前なのか、当たり前じゃないのか

宙組の大劇場公演は残り全公演中止、花組の東京公演も少しストップしました。月組はインフルエンザ大量罹患で数日間の公演中止と大規模な代役公演。雪組は大劇場公演日程が変更。星組は平常運転です。

公演していることが、当たり前なのか、イレギュラーなのか、なにがなんだかわからないです。真実がわからないから、確固たる意見がまだ持てない。

東京からも、宝塚からも遠く遠く離れた博多で、博多座のスタッフさんたちのあったかいおもてなし、わくわく感にしっかり守られながら、ミーマイは動いていました。いろんな人の守りたい思惑に大事に大事に守られた、奇跡的な異空間のようにも感じました。

震災など有事の際に、事業を続行させるために、東京以外の地方に本社機能を移転する仕組みを持つ企業は多いです。なんかそれに近いものを感じてしまいました。

ある意味、ポニョのようでもありました。「崖の上のポニョ」のラスト、走れなかったおばあさんたちが元気に走って、亡くなったと思われた人たちが生きていて、空気がないはずのところに空気があって、時間も空間も異次元の世界が広がりますよね。あのシーンの意味が分かったときの感情に近かったかもしれない。

とにかく、なくしたかもしれないと思っていた大事な大事なものが、博多座にはしっかりあったんです。胸がいっぱいでした。

恩人キワミシン

開演アナウンスが鳴って、幕が開いて少したっても、今まで感じたことのない動揺?動悸?みたいなものがあって、「心から楽しめていない、どうしよう」と焦り続けていました。

それを打破してくれたのは、極美慎さんのジャッキー(175センチの美女)の弾けるような笑顔でした。生きていることが嬉しくてたまらないのよ、お楽しみはこれからなのよ、というような蠱惑的な笑顔があまりにも輝いていて、やっと我に返って、そこからはミーマイの世界にひたることができました。ありがとうキワミシン。ある意味恩人です。

本当に美しかった。伸びやかな長すぎる足、腕、娘役さん顔負けの細いウエスト。小さな小さなお顔。時々ちょっと意地悪そうな、でも愛されて与えられて育った人独特の笑顔で、舞台の上で輝いて見えました。天真爛漫でこんなにのびのびすくすく大きくなっちゃったのよ、というかんじで実によかった。

今に見てご覧、の歌は、真琴つばさジャッキーを見すぎていて脳内再生が始まって、頭の中でキワミシンと真琴つばさが二人でピンクのワンピでデュエットしていてえらい騒ぎでした。お花がぱっと咲いているようで、本当によかったな。

博多座の女神のような舞空瞳ちゃん

観始めて、まだサリーが出てこないときに、「そういえばまだ、トップスターが出ていないのに、ここまで舞台が進んでいる」と気が付きました。私はトップさん不在の舞台をまだ生観劇したことがないので、余計に感じたのかもしれません。

不安とも不満とも違う、ちょっとした違和感のようなものを感じていたときに、舞空瞳ちゃんが元気よく登場して割れんばかりの拍手があって、ぱあっと舞台が明るくなるような、客席にもほっとした空気が流れるような、あきらかに転換点を感じました。これがトップ娘役の実力か!と妙な説得力がありました。

舞空瞳ちゃんのサリーは、とてもいじらしいサリーでした。元気いっぱいで明るくてかわいくて、ちょっと姉御肌なところもあって(ありちゃんと組むと、舞空瞳ちゃんのなかに母性のような包容力みたいなものが顔を出すのを1789代役公演で知りました)、それでいていじっぱりで愛嬌たっぷりで、実に魅力的な女性でした。

ただはすっぱな下町の女の子ではなくて、ビルのいろんな面を受け止めて、一緒に戦ってきた愛情豊かな女の子というかんじ。一点を見つめながら、目に涙をいっぱいにためて歌うシーンでは、本当に胸に迫るものがありました。

そして、フィナーレのダルマ。なんという華。圧倒される絵にかいたようなスタイル。世が世なら、平民が肉眼で見てはいけないものでした。ひたすら心の中で手を合わせ、ありがてえありがてえ…と唱えました。トップ娘役がダルマで一曲歌い、そのままロケットに合流してくれるって、こんなのありましたっけ?チケット代を倍にしてもいいと思う時間でした。

余談ですが、私は天海さんミーマイの映像、音源をひたすら聞いて生きてきてしまったので、サリーといえば声がかすれているわけです。(わかる人にはわかる)なので、舞空瞳ちゃんの声がかすれていないことがとても新鮮でした。(なんのこっちゃ)

ありちゃんビルのなかに天海さんがいた

前回の観劇が1789代役公演だったので、奇しくもありちゃん主演作品を連続で見たことになります。

ありちゃんと舞空瞳ちゃんが「ミーアンドマイガール」を歌い始めたとき、謎の感情(観劇に集中できるようになった安堵感、博多に一人で来て開演に間に合った安堵感、ありちゃんが見られる嬉しさ、ミーアンドマイガールを肉眼でまた見れた喜び、宝塚をもう一度見れている嬉しさ)が大爆発してしまい、嗚咽するほど泣いてしまいました。(隣の人本当にすみません)

ミーアンドマイガールを聞きながら、ありちゃんを思い、月組の遺伝子のようなものを経由して天海さんがフラッシュバックして天海さんを思い、麻乃佳世ちゃんを思い、久世さんと風花ちゃんを思い、舞空瞳ちゃんを思い、こっちゃんを思い、時空を超えた壮大な旅が始まってしまい、大泣きでした。

ありちゃんは、ロナンのときよりは「知っているありちゃん」でした。きゅるきゅるとした目で愛嬌たっぷり、いろんな人がビルを好きになっていく、応援していく、そしていろんな人が変わっていく。その説得力があって、とてもよかった。

私が思うありちゃんの魅力のひとつは、ちょっとしたときに見える「自信がなさそうな、暗い感じ」です。100%大元気で太陽のような子、というよりは、ちょこっとだけ大人しい内気な女の子が中にいて、それが時々顔を出す。その見え隠れがとても魅力的なんです。

犬みたいにじゃれてサリーに甘える姿や、サリーじゃなきゃダメなんだ!と言い切る姿には、母を亡くしてしまった少年の暗い影のようなものがちらつきました。ビルという人物像が複雑で立体的に見えました。マリアおばさんの教えを吸収してたのもしくなっていく様子には、ありちゃんをずっと見てきた月組の思い出のようなものもちらついて。ここでも感無量の旅です。

お芝居もお歌も安定していて、ダンスは言うまでもなく完璧でスターそのもので、ああ、月組でバブと呼ばれていたありちゃんは確実に大きくなって、真ん中に立つ人になったんだなあとしみじみしました。

ありちゃんのすばらしさの一つとして、もうひとつ大きな声で言いたいのがあのスタイルです。173センチは宝塚の男役としては珍しくないかもしれませんが、腰の位置の高さと、きれいなかたちのきれいなおしり… 後ろ姿がもうお人形のようです。なかなかないと思う…

博多座の天井が喜んでいた、小桜ほのかちゃんの歌声

彼女は前からすごく不思議な存在だなあと思っていました。発声も歌声も鳥肌が立つほど大好物なので前から注目していたのですが、「小桜ほのかちゃんってこうだよね」と言い切れない多面性というか、つかみどころがないというか。

今回マリア侯爵夫人のお役と発表になったときに「こんな若手の娘役さんがやるなんて」と驚いたのですが、彼女がマリアおばさんをやったことで公演自体がものすごく上質になったと思います。

(ここで書くのを中断して、自転車で東京宝塚劇場まで行って、日比谷ミッドタウンで買い物をしてご飯を食べて、また自転車で帰ってきました。これからミーマイの配信 ビル:水美舞斗 を見ます)

絹のようなビロードのような?なんて表現したらよいのか、あの声。気品と迫力と自信と尊厳と高貴さが詰まってるのに、冷たくなりすぎないやわらかさ、あたたかさがあって。すごいです。もうずっと聞いていたい。目を閉じて聞いていたい。ロクモのときも圧巻でしたが、本当に宝塚に入ってくれてありがとうという気持ちです。

そして演技。実年齢からすると上の年齢のお役でしたが、老けメイクなどをするわけでもなく、目や体の動き、声質で見事にマッチさせていました。すげえ。神業です。これからも大注目です。

彼女のマリアおばさんは、みずみずしさとチャーミングさを兼ね備えていて、「枯れてない」かんじ。ここがすごく新鮮でした。ジョン卿との恋愛もとってもリアルでドキドキしました。劇団のなにかしらの賞、あげてほしいなあ。博多座の天井が彼女の声を吸い込んで喜んでいました。

マイティのジョン卿は「男役」を見たぞというかんじ

そしてマイティです。博多座W主演と聞いた時、驚きよりも安堵感がありました。専科移動してもこうして大きな劇場で大きな演目で主演で見られるんだ、という何とも言えない安堵感です。マイティも嬉しかっただろうなあと思ったので、彼女のいろいろなインタビューを見るのが本当に楽しかったです。

宝塚が大変なときだから、マイティのようなからっとした爽やかさ、裏表のない笑顔にほんとに救われました。様々な公演が止まってどんよりしているとき「でも博多ではマイティがミーマイをやってくれてる」と思うと、不思議なくらいに元気がわいて、希望の光というかんじでした。

私は久世さんのジョン卿が好きすぎて好きすぎて、長年愛していたので、正直久世さん以外のジョン卿を見たい、という気持ちがあまり湧いていなかったのですが、マイティのジョン卿、とっても素敵でした!なんというか…リアルに理想の男性!というかんじで。

ダンディでかっこよくて、教養もあってやんちゃなところもあって、茶目っ気たっぷりのジョン卿。見ていて、あーこれこれ!これが見たかったんだ!これが見たくて博多座に来たんだった!と思い出してニヤニヤしてしまいました。

舞台ってやはり、お人柄が出るところだと思います。長年の経験と技術による、リアルな「男役」、とっても素敵でした。またマイティが中央に立つ舞台が見たいなあ。

引き算が素晴らしいジェラルド

これまた大好きなお役。ミーマイのジェラルドといったらどうしても、姿月あさとさんが強烈な印象です。ぼんぼんで、かっこいいのに頼りなくて、いつもジャッキーを追いかけまわしてしょんぼりしていて、耳が大きくて。(最後のは余計)

天華えまちゃんはとても知的な演技をするイメージの方なので、登場人物みんな濃いミーマイのような舞台ではどんな役作りをするのだろうと思っていました。結果、彼女らしいジェラルドだったなあと何度もほっこりさせられました。

ふくれっつらがとってもキュートで、客席から何度も笑い声が起こっていました。少し引き気味で、「されるがまま、ふりまわされるまま」をうまく見せることで、ほかのキャラクターの個性がより際立っているように感じました。ジャッキーとの組み合わせ、とてもよかったです。女性のほうが身長が高いのも、令和のミーマイというかんじがして非常に好きです。

印象的だったのは、「ニュースだみなさん、お聞きなさい」の歌いだしで、隣のお席のおじさま(見知らぬ方)が「うまいっ」と小声で叫んだこと。


書き忘れてしまった。今回のパーチェスターさん、芸達者で本当に素晴らしい。真っ先にランベスウォークするキレッキレのうごき、お屋敷の弁護士のはじけっぷり、かわいくてほほえましくて、でもで過ぎないところが本当に好きです。


…最後は感想になってしまった。

今回の観劇は、天海さんミーマイを思い出したり重ねたり、27年前から今までの宝塚との付き合い方を思い出したり、各キャストのこれからにわくわくしたり、ここ最近の宝塚のかなしいニュースを忘れてタイムトリップした気持ちになったり、とても心に残る時間でした。

たった一泊の旅だったのに、数日いたような不思議な気持ちで飛行機で帰ってきました。帰宅しても「昨日出発した」というのが信じられなくて、浦島太郎のような気持になりました。

またこんなミュージカルが、体験が、博多座でできるといいな。特別な場所、特別な時間でした。

では、これから ビル:水美舞斗 の配信を見ます!

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