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自由とは生きていること

「自由とは何か?」について考えていた。

考えて考えて出した答えは、


「自由とは生きていること」


自分でも驚くほど究極の答え。

これが正解なのか分からないけれど、

この答えにたどり着くまでのことを書いていきたいと思う。



「自由になりたい」


いつもそう思っている。


自由になって、

好きなときに好きなことをし、

行きたいときに行きたい所へ行き、

食べたいと思ったときにそれを食べたい。


このように、やりたいことをやりたいときにできる事、

それが私の思っていた自由だし、これが出来たらいいな、と思う。


こうして並べてみると、とても自分勝手でわがままなものに感じられる。

でも、私はそれが欲しかったし、今も欲しいと思っている。

そんな私が自由について考え、その答えを見つけた。


自由について考えることになったきっかけ


そのきっかけは、自分のことだけではない。


「世の中には辛そうにしている人が多いな」と感じていることも理由の一つにある。


・辛いことがあっても自分を押し殺して我慢している

・苦しくてもその環境の中にとどまってしまう


そんな人たちを見るたび、逃げ出してしまえば自由になれるのに、そう思っている。


逃げ出してはいけないと思っているのか、逃げるという選択肢がある事を忘れてしまっているのか。


よくわからないけれど、辛いことを我慢している人が多いように感じる。


そして、我慢して逃げずにいた結果、心の病気になったり自分を傷つけたりしてしまう。

そんな人がたくさんいるな、と思う。


早くそこから逃げ出して、もっとみんな自由になれたらいいのに。

でも、それはなかなかできないし多くの人がそうしようとしない。


・・・では、私も含めてなぜそうすることができないのか

・否定されることが怖いから?

・現状を変えるのが怖いから?

・お金が無くなるのが怖いから?

・逃げた先のことが不安だから?

どれもあてはまるような気がする・・・


少し勇気を出して行動すれば何かが変わるのに、そうしないのは私の甘えなのかもしれない。

結局変化するのが怖いということなのだろう。


・・・でも、やっぱり自由になりたい


世の中の人たちが自由になれたら幸せだと思うし、

苦しむことも少なくなる、そんな気がしている。


そのことが「自由とはなにか?」を考えるきっかけとなった。



自由を深掘りしてみる


・・・では、自由をどのようにして探したか?


まず、自分の思いつく限りすべての自由を書き出してみた。

考えて考えて、私の中にある私の思う自由を書きつくす。

そしたら、面白いもので私の思う「自由」がスラスラと30個以上並んだ。

でも、もっともっとたくさんあると思っていた自由は、30を超えたあたりで出てこなくなってしまった。


「あれ、おかしい、自由ってこんなものなのか?
もっとたくさんあると思うんだけど…」


そう思いながら、そこに並ぶ「私の思う自由」を眺めていた。


そしたら・・・

ふっと、ある疑問が湧いてきた。


・好きな人と話題のスイーツをめぐる旅をしたり

・太陽の暖かさを感じながら広がる青空を見つめたり

・お気に入りのアーティストのライブを楽しんだり

・自転車で風を切りながら大切な人に会いに行ったり


「この全てが叶えば自由なんだろうか?」


・・・そう考えると、何か違うような気がする


全てが叶ったとしても、自由とは違うかもしれない、という気持ちにしかならなかった。


「じゃあ、私の求めている本当の自由ってなんなんだ?」


ますますわからなくなってしまった。


視点を変えて考えてみる~不自由の裏側にあるもの~


自由が何なのかわからなくなって悶々としている時、ある人から「逆に不自由について考えたらどうか?」というアドバイスをもらった。


「そうか!不自由の裏側にあるものが自由なんだ!」

これで自由が何なのかわかる・・・!


それまで思考が停止していたことを忘れるくらい心が動いた。


「不自由とはなにか?を考えよう」

「これで答えが見つかる」


そう思いながら、

自由のときと同じように、思いつく限りの不自由を書き出していく。

すると、自由のときとは違い次々と出てくる不自由のあれこれ。

100以上の「私の思う不自由」があっという間に並んだ。


こうして不自由を書きだしている間、不思議というか当然というか、自由の時とは全く別の感情が襲ってきた。

書き始める前に期待していたのとは違うもの。


・・・それは、つらい、という感情だった


なんか、つらい

不自由ってつらい


書きながら涙が溢れてきた


 あの笑顔を見ることがことが出来ない

 明るい笑い声を聞くことが出来ない

 この手でやわらかい肌に触れることが出来ない


どれもこれも、辛いことだ

不自由は辛いんだ


書き進めるほど涙は止まらなくなった。


それでも涙を流しながら、これ以上出てこなくなるまで書き出した。

そして、心が落ち着いたところで、そこに並べられた「私の思う不自由」を眺めてみる。


「不自由の裏側に自由はあるのか?」


そこに自由の答えがあるはず、そう思いながら何度も眺めた。


でも、そこから見えてきたものは自由の時と同じで、この裏側だから自由だ、とは言い切れない、そういったものばかり並んでいた。


・楽しめるのは自由とは違う

・感動も自由とは違う

・嬉しかったとしても、それも自由とは違う


「なんだろう?これ」


不自由がわかれば自由が見つかると思ったのに・・・

全く見つからない

ますますわからなくなる。



当たり前のことに気付く


再び途方に暮れながら、そこに並ぶ不自由をながめていた。


その時、


「あー、生きていないと不自由は感じられないな」


と言う思いが湧き起こってきた。


今ここにいないあの人は、不自由を感じないんだ。


・守ってくれる人がいなくても

・感情がなくなっても

・痛みがわからなくなっても

・生きられなくなっても


何も感じない


そんな、あたり前のことに気付いた。


生きていること


こうして、自由と不自由を考えた結果見えて来たもの。

それは、


「生きていなければ自由も不自由も感じることができない」


ということ

だから、正解かどうかわからないけれど


自由とは生きていること


これが私の答え

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