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変わりゆくことも「あなたらしいね」と言い続けたい

日々の繰り返しの中で、人は少しずつ変化している。迷ったり、悩んだり、手に取っては置いてみたり。大なり小なり様々な選択をしながら私たちは生きている。その繰り返しを経て、大人に近づいてみたり、時には子どもに返ってみたりと、細かい小さな揺れ動きの中で心は形成されていく。

「タイミング」の直感を大切にすること

昨年末は様々な選択をした。正社員で勤務していた会社を退職することを決意しフリーランスへの道を志したのは実は数ヶ月前のことだったし、所属していた大好きなコミュニティも退会してしまった。本音を言うと、どちらも辞めずにもう少し継続したかったのだけど、色々と問題点はある中でも大きかったのが、どの場でも「私がいないといけない」という周りからの大きすぎる期待と責任を強く感じたことであり、知らない間に苦しくなってしまった。期待をされることは本来はとても幸せなことだとはわかっていても、受け止めきれない重さと数の多さで人は潰れてしまうことだってあることを身にしみて感じた。そうして私はひっそりと会社を辞め、さらりとコミュニティからは離れた。ストレスで身体を壊したのは、「本当は誰かを頼ったりしたい」という本心を置き去りにしてきた今までのつけだ。自分を大切にしたくて、わたしは「今だ」というタイミングで自分が変わることを選んだ。

少しずつ選んでいって、少しずつ変わっていくこと

人は簡単に流される。ほとんどの人はその「瞬間」には気づいていない。情報を取捨選択する過程で、流行りや誰かの強い思想に影響を受け、いつの間にか価値観がアップデートされることもある。働くことも、暮らすことも、生きていくことも、全てだ。

変わらないね、と言われることも、変わったね、と言われることも、どちらも幸せなのかもしれない

今まで続けていたことを辞めることも、離れることも、変えることも全て勇気がいる。転職をすること、移住をすること。働くも暮らすも多様化するこの時代だからこそ、「変化へのハードル」は様々な場面において今後はさらに下がると私は予測している。それにより、自分自身も、貴方も、少しずつこれからも変わっていくのかもしれない。

人は勝手に期待をし、勝手に失望する生き物

生きづらさを緩和させる方法の一つとして、他人に基本的に期待をしないことが挙げられると思う。ああ言ってくれると思ってたのに、こうであってくれると期待していたのに、などと知らない間に自分勝手な解釈をし、思い込んで期待をしてしまうのは仕方のないことでもある。しかしそれはとても危険だ。「相手を分かった気にならない」ことが大切だということは以前の記事にも多く書いているが、相手の意向やストーリーを知る由もないまま、予想に反する相手の選択を「こうだと思っていたのに」と切り落とすことで人間関係には溝が生まれてしまう。

互いに変わらないなんて保証はきっとないけど、変わったとしても貴方を好きだ、と言えるか

どんなに日頃は素敵に見える人にも、その人にしかない痛みや弱さや迷いはある。続けることにも辞めることにもリスクのある人生だからこそ、何かしらの選択をした人に関しては、私はいつだって「その人の選んだ道ならば」と応援をしていたい。それが仮に失敗に終わったとしても、容易な道ではなくとも、「貴方らしいね」と笑っていたい。選んだ道にも選ばなかった道にも、愛おしさを抱きながら歩いていけるか、そんなことを考える日々だ。


人ごみに流されて変わってゆくわたし、そして変わろうとしているわたしのそばに、淡々と変わらずにこれからもいてくれる人の顔を一人でも思い出せたなら、それはとても幸せなことなのだろう。



いただいたサポートで、明日も優しい気持ちで過ごせそうです。