いつだって新しい世界を見れるのは挑戦者だけだ。だから私はミスコンに出た。

先日こんなニュースが飛び込んできた。

ミス・アメリカという歴史ある大会で、容姿の審査を止めるため、水着審査とイブニング・ガウンの審査を廃止としたらしい。

これには大変驚いたし、沢山の賛否両論の意見が目に入った。私はそれはそれで良いと思ったのでそれはさておき、そこで少し気になる批評を見つけた。

その中には「そもそもミスコンなんて価値が無いから辞めてしまえば良いのに」「ミスコンに出る女なんて自意識過剰なだけだ」という意見があった。もしかすると、それは世の中の大多数の素直な意見かもしれない。

本当にそうだろうか。私はこう思っている。

批判するべきはそもそものコンテストの仕組みや目的などであり、出場者の人格そのものを否定するのは違う。というか、別の話だと思っている。


何故ならば私自身がミスコンの経験者だからだ。


しかも自意識過剰どころか自分への自信の無さを自信に変えたくて、もともとは出場を決めた1人だ。過剰ではなくむしろ欠乏していた。マイナスから0に戻すための行動だった。


今までに経験した4つのコンテストを思い出してみた。

①18歳の時・・ミス・ユニバース・ジャパンという大会に出た。歴代の日本代表にはダンサーの森理世さんやモデルの知花くららさん。世界3大ミスコンテスト(ミス・ユニバース/ミス・インターナショナル/ミス・ワールド)の中の1つだ。これは北海道大会のファイナルの8名まで進んだ。当時高校3年生。右も左も分からなかった。
②19歳の時・・同じく上記のミス・ユニバース・ジャパンにもう1度挑戦した。同じく北海道大会のファイナリスト10名止まりだった。
③19歳の時・・規模はとても小さかったが、大学主催のミスコンテストに出た。場慣れしたいのと、当時は他大学との大学間連携や授業改善活動、広報誌のライター等の活動に日々注力していたのもあり、純粋にもっと大学をPR出来る存在になりたくて出た。優勝した。
④19-20歳の時・・ミス・インターナショナルという同じく世界3大ミスコンテストのうちの1つに挑戦した。こちらは書類審査、東京での審査(スピーチ・ドレスウォーキング)、を経て、2500人超の中から最終22人に選ばれ日本大会に出場した。日本代表にはなれなかったが、上記の地方大会とは、規模も意識も格段に違った。


大人になろうとする20歳前後の時期。かなりストイックな日々だった。

大会出場の動機は人それぞれ

私は元々、中高生時代は非常に大人しかった。自分の世界をいつものんびりと愛でていたし、正直なことを言うと、当時は既に別分野で活躍している華やかな同級生に少し嫉妬していた。「いいな、かっこいいな」と純粋に憧れていた。所属していた部活は怪我をしてすぐに辞めてしまったし、なんとなく趣味はあっても、自分の生きる指標が見当たらない日々だった。そんな自信の無い自分を、若干強引にでもどうしても変えたくて出たのが高校3年生の時の①だ。

応援の裏側で見つけた、悲しい出来事

純粋な気持ちで応援してくれる友人が大半だったが、そうではない人も中にはいた。2chで水着姿を貼られ誹謗中傷されたり、Twitterでは高校時代の後輩に「こいつの表向きの3サイズ絶対嘘です」と思い切り書かれた。また、仲良くしていた大好きだったはずの同級生には「急にどうしちゃったのよ」と陰口を叩かれていた。人伝えで知ってしまった。そういったことも踏まえて出場したのだから、仕方がないとは分かっていても正直結構ショックだった。



それでも、私はミスコンに挑戦して本当に良かった

結果から先にいうと、それでも挑戦して良かったと思っている。批判の言葉に傷つき、自分を見つめながら、涙を流した夜は数知れずある。それでも、数多くの周りの素敵な出場者の中から自分らしさを見つけてもらうために努力した経験、そしてそれによって得られたタイトル以上の学びは宝物だ。


トレーニングで学んだ「本当の自分らしさ」

分かりやすいのでミス・ユニバース時代の話をしよう。ファイナリストになるとビューティーキャンプという合宿に参加出来た。そこではトレーナーさんに指導してもらいスピーチ力を磨いたり、週6でスタジオに通って本気で体力作りをしたり、栄養管理をするために以前よりも自炊を頑張ったり、自分に似合うドレスの形や色を研究した。

トレーニングは本当に厳しかった。しかも当時ファイナリストの中では最年少だった。未熟すぎて、何をやっても周りの先輩方には叶わなかった。またしても悔しくて、何度も泣いた。

その代わり、自分の長所や短所をここで早いうちに自覚した。

挑戦する人だけが見られる新しい世界

挑戦することで、新しい世界を見ることが出来た。簡単にざっとあげる。

①傍に居てくれる家族や友人の有難みを初めて知った。
②大きな舞台で物怖じしなくなった。
③世界基準で評価されることで、「本質的な美」に対する視野が広くなる。
④礼儀作法の重要性を知った。あいさつ大事。お礼大事。
⑤自分を好きになれた後の日々は、触れるもの全てがキラキラして見えた。


ミスコン出場後、私は自分らしいキャリアを選んだ

しかしその後私は自立した女性になりたいという一心で、芸能界を選ばず、就職を選んだ。人前で写真を撮られることは嬉しかったし、洋服だって、以前よりも自信を持って着こなせるようになった。

モデルを目指す道も素敵だとは思ったし、ファイナリスト仲間の多数はそういった道に進んだ。しかし客観的に見て、そこまで自分が容姿やタレント性で突き抜けているとは全く思わなかったし、そもそも大会の経験にすっかり感化されてしまい、なりたいと思った女性像が逆に周りと違った。


そこでもこういってくる人がいた。「そんな人生でいいの?せっかくやっと芽が出たのに勿体ないね。仕事する?つまんないじゃん、そんなの」


私は全くそう思わなかった。確かにその当時からのイベントコンパニオンを続けている方がきっと稼げるし、多くの男性にも沢山ちやほやされるだろう。でも私はそれよりも、

例え地味でも良いから働いてしっかりと稼ぎ、本当の意味の輝きをいつまでも絶やさない、知的で聡明な人になりたい、と感じていた。


ちなみに今は社会人4年目で既に2社目だが、やはり社会人になりたての頃はいろいろとしんどかった。当時は今以上に偉そうで、素直に先輩の話を聞けなかったし、当たり前だが、ちやほやされるわけでもないし、給料だってどうしてもイベントコンパニオンやモデルの時の給料のように多く満足は出来なかった。

しかしそれでも自分の道を信じてそこで3年働いた。地道な日々を乗り越え、最近縁があって転職したが、やっと自分らしい仕事に就けていると実感して来たし、毎日の仕事が本当に楽しい。

今は人事・採用広報の仕事をしているが、迷ったり悩んでいる学生たちに「大丈夫だよ」と真剣に向き合える社会人を目指している。今後はどうなるかは分からないが、今はこうなりたいと思っている。

それがミスコンで見つけた「本当の自分らしさ」

大会に出なければ、もしかすると逆に表向きの世界に憧れていたと思う。いつまでも本当のなりたい自分をきっと見つけられなかったし、大人になってからも、周りの輝いている人に沢山嫉妬もしたと思う。

だから私はミスコンに出る女性を全員応援したい。

批判をされることは怖い。私は泣いた。知らない人からの中傷が怖くて、当時は恐くてSNSのアカウントやブログも消したことがある。今はもう無いけど。

でも、勇気ある女性はそれだけで素敵だと思っている。過去の私のように、自分に自信がなかった人も、既に自信がある人も、どんな人だって応援したい。


「誰かに馬鹿にされんのはすごく恐いよ 知らない誰かに笑われるのはすごく恐いよ でも大切なのは自分が何をしたいかだってこと」
「他人を笑い馬鹿にしたいならそれはそれですごくいいんじゃない?僕はそんなんじゃ満足はできない 自分だけの答えを見つければきっとそれが誰かの答えになるだろう」

大好きな歌詞だ。The MirrazNEW WORLDという曲だ。作家の最果タヒさんが原作の「夜空はいつでも最高密度の青色だ」という映画のエンディングロールだ。

この曲が流れて、映画館で静かにガツンと衝撃を受けた。こんなに共感出来る歌詞は今までに無かった。



本当にそうだと思う。他人を馬鹿にしたい人は世の中にいる。それは何かの腹いせかもしれないし、人それぞれ色んな想いを抱えて生きているから、それはしょうがない。

でも、わざわざ「傷つく勇気」を選んだ人には良いことがあると思っている。

それは本人を時に脆くさせる。

その時期を乗り越えた先にある世界はきっと輝いている。


当事者の私だから言える。絶対に無駄じゃない。大丈夫。私は挑戦する貴方の味方だよ。



新しい世界を見よう。



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川口 ゆり

うつくしさの輪郭

「美しさ」について
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コメント1件

自分にとっての"ちょうど良さ"を見つけることが気持ちよく生きることに繋がるんだと思い、そういう選択をしていく最中だから共感!でした。
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