一番そばで信じ続けられる「家族」であるという喜び


「おお、やっぱりワシのいう通りじゃったなあ」


妙に納得された。最近仕事はどうなのか、と問われ「いい感じだよ。大変だけど、楽しい」と箸をひとまず置いてから答えた。「名刺とかないのか」いや、あるけどちょっと待って。今はおせちを食べているから後でもいいじゃない、と思いながらもかばんの中を探した。あった。

私は今、二種類の名刺を持っている。一つは本業のIT企業の採用広報としての名刺と、最近作ったばかりのフリーランス用の名刺だ。実は今年からフリーランスになることは今日の今日まで父親にすら言ってなかったので、さすがに二枚同時に渡すのはこの場では驚かれると思い躊躇した。本業の名刺だけを先に渡した。


ちょうど1年前、2018年の2月から今の会社にいる。しかしながら人事という職業についてや採用広報としては日頃いったい何をやっているのかを詳しく話したことがなかったので少し丁寧に説明した。「採用戦略について考えたり、求職者の対応に追われたり、社員のケアや広報記事を書いたり色々あるけど、一番は教授や学生との関係性作りをしているんだよね、これは本当に大変なんだけど、日々、様々な人とコミュニケーションを取れるのは嬉しい」と答えた。「そうか、いい職業だな」と彼は頷いた。


祖父はあと3年もしたら90歳になる。優しくていつも冷静な祖父だ。最近少し背が縮んだようだけど、それでも元気な方だと思う。私は幼い頃から「おじいちゃん娘」だった。両親や祖母には少し申し訳ないけれど、人生で大切なことは幼い頃からいつも祖父が教えてくれたし、大人になってからもどうしても解決したい悩み事がある時は両親ではなくこっそり祖父に相談している。「最近辛いことがあって」などとショートメールを打ったりする。本当に緊急の時はわざわざ車を走らせて駆けつけてくれたこともある。


「ところで、文章はもう書いていないのか」と彼は茶をすすった。ああ、これはちゃんと言った方がいいな、と思った。関係性作りをしているならば、相手と会話を交わすことが多いのだろう、つまりそのことについて言葉を紡ぎたくならないのか、そういうことを彼は言いたかったのだろう。「実は、最近になってライティングの仕事もし始めたんだ」と二枚目の名刺を渡した。彼は喜んだ。


私は幼い頃から純粋に文章を書くことが好きだ。小学5年生、6年生の時には校内の作文コンクールで大賞を取った。さすがに小説やエッセイは書いていなかったけど、感想文や作文を書くことは好きだったし、手作りの絵本を作って下級生の教室にいつも読み聞かせに行っていた。そして当時から祖父にはよく手紙を書いていた。その頃から彼にはよく言われていた。「文章を書く仕事が向いているよ、記者とか。ぜひそうなった方がいい」。嬉しかったけど、別にそれを職業にしたいなんて1ミリも思わなかった。出版社や新聞社に入りたいと思ったことは過去一度もないし、ライターや作家1本で食べていこうと思えるほど自分の文章に自信があった訳でもなかった。ただただ好き、それだけだった。


「最近になって改めてやっぱり書くことが好きになってさ、これからは好きで得意なことを中心に仕事を作っていくつもりなんだ。自分の名前でね」と私はフリーランスに移行していくことを勇気を出して話した。人事と採用広報だってしばらく続ける。それでも、私の場合はそれだけではなんとなく自分の能力を最大限に生かすことはできないと最近気づいていた。なので自分がどこまでいけるかの挑戦と覚悟としての道だ。彼は驚いたと同時に納得した。「それが一番いい、ゆりちゃんはそれでいい」と続けた。


思えば一度や二度の話じゃない。祖父だけは何年もそう言い続けてくれていた。小学生の頃からだからもう13年間だ。「言葉を紡ぐ」を職業にすること。私は自分への自信の無さを言い訳にして、近くにいる大切な人の想いをなんとなく無視していたのだろう。貴方だけは私のことをずっとずっと信じていてくれたのに。ごめんね、ありがとう。


一番そばで大切な人の可能性を応援できるということは家族であることの特権だ。友人や先生、仕事仲間や上司との距離感とは全然違う。私は気付くのが遅かったけれど、いつも信じてくれて、そして愛されていたのだとやっと感じた。家族っていいな。


ライティングで食べていく、言ったからにはやるしかない。なんとなくやる気が出てきた。祖父はなぜだか毎日取っている新聞での連載を楽しみにしているようだけど、さすがにそこまでまだ自信ないよ、と思った。でもいつか、新聞でもコラムを書けるようにしたい。いつになるのかなんて分からない。自分がどうということではなく、彼を喜ばせたい、その一心だ。


私は帰り際、なんとなく家族の在り方や関係性について考えた。相手の可能性を応援する。それはどんな関係性であってもできることだ。それでも、家族としての距離感で「そばにいることができる」こと、その喜びは他に代えがたいことである。私の場合はそれを知ったきっかけは血の繋がりのある祖父の存在だけど、例えば今後はこれが将来の旦那さんだったりするのだろう。この人の可能性を一番近い距離で応援したい、そんな人とゆっくりと共に生きていけるならば、それは何にも代え難い幸せであるのだと思う。そんな温かい1年の始まりだった。



家族の風景/ハナレグミ



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川口 ゆり

「ひとを想う」短編エッセイ

誰かを想う優しい気持ちを淡々と
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