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私が美容整形をする理由 女の子になりたかった

自己紹介

私は現在30歳になる独身女性である。

30歳になるまでに二重瞼にする埋没法を2回、切開法を一回、目頭切開、目尻切開、鼻尖形成、耳介軟骨移植、細かいものを含めるとまだまだあるのだが整形を繰り返してきた。そして美容クリニックの医師とのトラブルも経験してきた。もちろん現在も顔に対する悩みは尽きず、鼻の手術結果が思わしくなかった事で修正手術をこれからしなくてはいけないという状況である。

美容整形をしようという意識が芽生え出したのは小学校低学年の頃からだ。

整形に手を出した理由を先に言ってしまえば、それは親戚や家族から言われた言葉に傷つき顔に執着するようになってしまった事と少し特殊な育ち方をした事が原因と思っている。

家族、親戚の事

私の家族は父母兄私の4人家族である。私の家系は従姉妹などの親戚も含めて私と私の父以外は何故か皆、外国人とのハーフのような顔立ちをしている。私は一重瞼に近い奥二重に団子鼻、面長に癖毛と一般的に可愛いと言われる要素はなく幼い頃からよく従姉妹達と顔を比べられていた。唯一救いだったのは肌が白く肌荒れ知らずだった為、「色白は七難を隠すって言うからねぇ」と親戚達から嫌味とも慰めともとれる励ましの言葉を貰っていた。

美形とも言える血統であるのに1人不細工に生まれてしまった私は母に嫌われていた自覚があるし、実際に家族や親戚の中でも浮いた存在だった。

とりわけ母や母方の祖父からは嫌われており、顔を合わせれば「目鼻が小さくて白くてウジ虫みたい」、「お前は団子鼻だな」、「顔を見るだけでイライラする」、食事の時であれば「飯がまずいのか?不味そうな顔して食べて!」と文句をつけられたり「ハーフの子が欲しい」、「こんな子は産みたくなかった」と母が泣きながら怒鳴り散らす事さえあった。 私には兄がいるのだが兄は私とは違い母親溺愛されていた。

可愛がられている兄が羨ましかったが兄もまた自分の意思を母に奪われているように見えた。現在では兄はアラフォーに差し掛かっているが立派な引きこもりへ成長した。

幼い自分は母に対して本当にこのような顔で生まれてきた事を申し訳無く思っていたし、愛されたくて母に嫌いにならないで欲しくて毎日のように「あきらちゃん(私の名前)の事嫌いじゃない?好き?」としつこく問いかけていた。

母は私の顔がただ嫌いで貶し続けていたのでは無いと今では思える。お腹を痛めて産んだ娘が不細工だった事で気がおかしくなってしまったのか精一杯正気を保とうとしたのか理由は定かではないが、私の性別を否定し続け男の子として育てようとしたのである。

最初から女として育てる気がなかったのか、どういった意図で付けられたかは分からないが私の名前は男女とも通用する名であり体が女性的になるまでは男の子によく間違われていた。

母の私に対しての育成方針はヘアスタイルは絶対に短髪であること(襟足はいつもジョリジョリ)、スカートは着用禁止、男児の着る服を着用させられいたが小学校の高学年の頃くらいになると服を買ってもらう事さえなく殆ど学校の体育着で過ごした。筆記用具やランドセルとは別に持ち歩くナップサックでさえ兄のお下がりで男物であった。  

こんな事を書くとすごく貧乏な家庭のイメージが湧くと思うが、父は大学病院勤めであり母は専業主婦と小金持ちくらいの経済力はあったと思う。 私に対しては必要なものであってもお金は出さないのだ。

 長い髪の毛、三つ編み、ワンピース、スカート、フルーツの飾りがついたピンクや赤色のキラキラしたビニールでできたサンダル、少しミルキーな色合いのペン、カラフルな筆箱、花のついたヘアピン、可愛いイラストが散りばめられたプロフィール帳…

全てがキラキラとして見えて憧れだった。

私も他の女の子のように可愛い筆箱を持ち、体育着以外の服を着て髪を伸ばしてみたかった、そんな想いを持ちながらも私のような顔で女の子の真似などしてはいけないという母の教えから逃げることはできず母の思う通りの男の子であるかのように振る舞う女の子になった。ちなみに一人称はワタシという事が恥ずかしく感じられ、「ワシ」でした。

父の本音

 ここまで父の話がまったくと言っていいほど出て来ていないが、父は母や祖父に逆らえないと言った様子でいつも声が小さく、ボソボソと話す人であった。父の独身時代の写真アルバムを見れば最近の言葉で言う「陽キャラ」であり写真には大学生の頃に所属していたバスケットボール部時代の写真や仲の良さそうな男女グループでスキーを楽しんでいる写真、ツーリングだろうか?バイク仲間と綺麗な景色の中でバイクに跨り楽しそうにしている父が写っていた。そんな父はアルバムの中でしか見たことがなく私が目にしている父は毎日職場と自宅の往復、タバコも酒も嗜まず、母の罵声にも抵抗せず、ただただ静かに過ごす父であったが母がおかしくなって夫婦の仲が悪くなったのはお前のせいと言われたので私が生まれる前まではアルバムの中の父のように笑っていたかもしれないし幸せな家庭だったのかもしれない。

父は私の顔についてふとした瞬間に本音を漏らす事があった。

スノーホワイトという白雪姫を実写化した映画があるのだが、私はこのスノーホワイトにでてくる白雪姫役の女優の美しさに夢中になり、録画したビデオを母に見つからないように隠れて観てはテレビの中のお姫様に憧れを抱いた。

父は私が何を観ていようが構わない人であったので父のいるリビングでいつものようにスノーホワイトを観ていると、ふと…こう言ったのだ。

「お前がこうなるには瞼を二重にして鼻を高くしないと。」

そして続けて自らの妹達の話を私に聞かせた。

「父さんの妹たちはみんなスラっとしていて美人だから良い職業にもつける、あきらとは違う。」

父は三兄弟の長男で下に二人の妹がいる。子どもの目で見ても明らかな美人であり顔だけでなく身長も高くスタイルが良かった。一人は化粧品の販売業をしておりもう一方は某高級百貨店のエレベーターガールをしていたそうだ。現在は彼女達が何をしているのかは分からないがこの妹たちの娘、つまり私の従姉妹も美人であった。

思いがけず父の本音を聞いた時、「顔に文句あるなら整形するお金出してよ。」と心の中で思っていた言葉が口に出てしまった。

小学校5年生頃の時の発言であるが11歳にしては現実を直視している返事だなとちょっぴり関心。

中学生時代 イジメと不登校

中学生になると生理が始まり胸が大きくなり始め、髪型は相変わらずベリーショートであったが制服でスカートを履く機会もあり戸惑いを覚えた。

母は以前から情緒が不安定であったが私が女性としての成長をするにつれ不安定さは爆発的に増し毎日のように罵られた。

「汚い茶色い乳首が服から透けてる!みっともない」

「大根みたいな足」、「白くて気持ち悪い」

「生理なんか始まって、臭いくさい!」

生理ナプキンやブラジャーは買ってもらえなかった。パンツは母のお古であったり可愛いパンツを履く機会もなかった。ある日、同級生にブラジャー代わりに乳首を隠すようにティッシュペーパーをセロテープで貼り付けている事がバレてしまう。

その頃の自分は何故かトイレットペーパーとティッシュペーパーに厚い信頼をおいておりナプキンもトイレットペーパーかティッシュペーパーを折りたたみ代用していた。たまに血だらけのティッシュペーパーがパンツから落ちてしまいクラスの中でちょっとした騒ぎになったこともあり事情を察した教師とスクールカウンセラーが自宅へブラジャーの着用とナプキンの購入の話をしたいと訪問した事があった。

先生とカウンセラーが帰ったあと母に「一丁前に色づきやがって!」と言われた。

母にとって私が女としてのものを身につけること、成長、女であることの全てが憎らしいように見えた。

この頃からイジメにあい私は不登校になった。

不登校とはいえ、自宅には母がいるため家にいることもできず朝はこっそりと兄の部屋にある電話の子機を片手に母のふりをして学校へ休む趣旨の電話し、登校時間になれば家をでて公園のトイレに閉じこもったり自宅から近い駅まで行きひたすら彷徨ったりした。連続して休み続けているために学校側に不審に思われないよう喘息の持病があり悪化してしまい長期の休みが必要と嘘をついたのだが、入学時に健康に関する書類を提出してあるようで、書類に喘息の記載がないから通院している病院を教えてくださいと言われた時にはヒヤヒヤした。

不登校の時に一番辛かった事といえば学校行事で林間学校があった時だ。学校へも行けず、家にもいられない私は二日間どこかへ姿を消さなければならなかった。

考えに考えて自宅の二階の部屋にある天袋に隠れることにしたのだが、低い天井に暗く狭い空間、そして蒸し暑い。ずっと同じ姿勢でいなくてはならないため手足の感覚はなくなり汗が噴き出した。頭がクラクラしながらも見つかれば母に殺されると思った私は二日間半という時間、天袋で息を潜め続けたのだった。よく死ななかったなと思う、中学生の頃の根性恐るべし。

そんな不登校生活は自宅へ担任が訪問した事でバレてしまい半年で幕を閉じた。

虐められている事を母に話すと「お前が悪い」と言われ髪を引っ張られ殴られ廊下を引きずらたり頭をグリグリ(クレヨンしんちゃんでみさえがしんのすけにやるやつ、本気でやられると結構痛い)された。

このような虐待めいた事は昔からあって母に針山(針を刺す道具)を握れといわれ握ると、中から針が出てきて手に刺さった事があった。

針が刺さった様子を見た母は「針が刺さると先が折れて、それが血液にのって心臓まで達して死ぬ。」と笑いながら言った。

私は死ななかったが母の言う事を信じてしまい本当に心臓がドキドキと苦しくなった。

なんだか話しが逸れてしまったのだが、頭をグリグリとされている間、母に今までされて来た事や悲しい思い、悔しい思い、怒りが一気に噴き出した。

気がつけば母を押しのけて玄関先へ走り兄の野球のバッドを手に持ち母に襲いかかろうとしていた。

私は運が悪いもので丁度、仕事が終わり帰宅した父とその現場で鉢合わせしてしまった。

父は私を殴り倒して髪を掴み、家の外へ引きづり出した。外は雨が降っていて私は奇声を発しながら今までの怒りを父と母にぶつけた。

これから母から話されるであろう私が半年間不登校だった事、母を殺そうとした現場を見られた事。この日は家の外に放り出されたまま庭の駐輪用の簡易テントの中でビショビショになりながら泣き続けた。

私が家の外にも聞こえる大きな声で奇声を発して暴れた事は世間体を第一に考え外面の良い両親にとってはものすごいダメージだったようだった。

この日以来、母からの暴力は減り外見に対しての文句を付けるだけになった。

高校生時代 女の子デビュー?

そんなこんなで時が過ぎ、私は高校生になった。

高校生になってから私は母からの文句や暴力があればすべてやり返し跳ね除けた。

地元から少し離れた高校へ進学した事で友達もできた。中学生までは遊ぶ事が禁止されていたし友達もいなかったが、高校生になってからは学校帰りに友達と買い食いしたり若者向けのアパレルショップの入ったお店へ服を見に行ったり、女性向けの雑誌や漫画を見せてもらったり一気に世界が広がった気がした。女の子向けの本やお店はなんだか自分が見てはいけない世界を見てしまったようで慣れるまではずっと赤面していた。

そして天パのショートヘアに指定されていた頭は髪を伸ばし始めて友達と一緒にストレートパーマを美容室でかけてもらった。

今までは兄と同じ床屋に連れていかれていたから初めての美容室はドキドキして、「ここに私が立ち入ってしまってごめんなさい。」と罪悪感でいっぱいだった。

まぶたはアイプチをして二重まぶたに。

相変わらず下着は母に指定されたものでダサかったが女の子としての人生の一歩を、そして美容整形への入り口へと踏み出したのである。

私が整形をする理由、目的

女性という性別を抑圧されてきた事で女性として堂々と生きるには整形をして容姿を変えなくてはという気持ちがずっとありました。

けれどやはり1番の理由は私自身が私を好きになりたいからだと思います。

情報の取捨選択

現代はSNS全盛期でありビジネスを含め自己利益の為に美容整形を安易に勧めたり負の部分を見せないように真実を捻じ曲げた情報が氾濫しています。

美容整形が浸透してきた今の時代だからこそ満足の行く美容整形をする為には負の部分も知り情報を得ることが必要だと思っています。

noteではこうした私と同じような生い立ちの方や自分の顔、美容整形に悩まれている人達の力に少しでもなれるような情報を自分の体験も踏まえて書いていけたらと思っています。

そして最後に…

両親や祖父、親戚から顔の事について幼い頃からはっきりと「ブサイク」だと気づかせてくれた事に今では感謝しています。

最後までお読み頂き、ありがとうございました。

























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