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親とお金と病気とヤンキー

呪いって信じますか?

霊的なものを使って誰かを不幸にしようとする呪いではなく
親や環境、もしかしたら社会の一般常識のようなものから作られた「〇〇でなくてはならない」といった価値観など......。

「男らしくあらねば。それもまた呪いかもね。」

2021年の「逃げるは恥だが役に立つ」新春SPでは、性別の呪いについてのセリフが話題になっていました。

私たちの周りにもたくさん呪いはある。
そして、自分自身が気づいていないだけで呪いにかかっている可能性もありますよね。

もしかして、読んでいるあなたも———。

根底にある黒い重いもの

人に頼ることができないわたしは自分の不安を言うことはほとんどない。
そして抱えている不安も自分でも理解してなかったりする。

ただ漠然とした不安をひとりで抱えて潰れそうになることがよくある。

幸せなはずなのに、涙が止まらなくなったり
不安でパニックになったり
何もできなくなってベットから動けなくなったり

自分のメンタルが弱いから
精神が子供だから
怠惰だから
と自分に理由を見つけて対処していました。

2021年が始まり、1年ぶりにわたしが勝手にメンターと呼んでいる恩師に会った。数少ない素がだせる人生の先輩です。

近況報告をして話を聞いてもらっていただけなのに、なぜか涙がこみ上げてきてカフェの片隅で泣いてしまった。

決定的な何かを言われてガツンと衝撃がきたとかではなくて

どこかキャラを作っているわたしの本質的な部分をちゃんと見てくれる人が居るんだって理解した時に涙が止まらなくなった。

「ゆりのちゃんの不安には闇深いものがありそうw」

この言葉でずっと隠していたことだけれど相談をしてみようと思った。

家族崩壊

わたしは漠然とした大きな不安がある。
無意識で常に悩んでいること。
まずは書き出してみようと提案さた。

***

わたしは不安と向き合ってこなかった。
これ以上辛い思いをしたくなかったから

わたしは人を頼れなかった
重すぎる話をして負担にさせたくなかったから

わたしはキャラを作った
自分の家族のことがバレないために

わたしはいつも焦っていた
家族を助けるのは自分だと思っていたから

わたしは親の愚痴を話さなかった
他人に家族を否定されるのが嫌だったから

***

ここからは、赤裸々に書こうと思う。
20年間秘密にしていた話

わたし自身がわたしにかけた呪いのお話。
家族問題について......

わたしは弟を除く家族が大好きだ。

父親も母親も祖父母も姉も......

父親

父親とは小さな頃の時の記憶はない。
常に仕事をしていたから。
仕事とアルバイト2つを掛け持ち。年末年始や長期休みはほぼアルバイトに行っていた。

「お金が無い」が口癖の人だった。

小学生の時、連れて行ってもらったイベントで陶芸体験のコーナーがあった。

簡易なもので1500円でろくろでコップが作れる。わたしはやりたいとお願いしたけれど父親は「お金がない」とひとこと。

どうしても我慢ができないワタシは大泣き。
困った父親が渡したのは500円だった。

500円でデザインが付けれる。
もう完璧に作ってあるコップに、竹串でお絵かきができる体験の方だった。

隣にはろくろ体験をしている家族がいた。わたしがしたいのはそっちなのに。
悔しかった。だけど父親のなけなしの500円を使ってコップに花や蝶々を描いた。

未だにそのコップは実家にある。
父親が大切そうに使っている。

そのコップを見るたびに「私はコップを作る方がやりたかった!」なんて言ったりしたけどその度に「ははは...」と笑いながら悲しそうな父親の顔を見るのが辛かったからいつからか言うのはやめた。

今でも父は仕事とアルバイトをかけ持ちしている。
母親が残した借金がまだあるからだ。

父への悩み
・働きすぎて倒れないか心配
・お金を出して助けたいけど、わたしもギリギリ

母親

母親は気前がいい人だった。

小さいころ、友達が多かったわたしはいつも10人近くの友達と遊んでいたし一緒にプールに行ったりもした。

友達と県外に連れて行ってもらったこともあるし、何かとお金をかけてもらっていたと思う。

母親が機嫌がいい日は最高の1日になった。

でも、私は母親に育てられた記憶がない。

手料理を作ってもらったことなんて数える程度
ほとんど服も買ってもらったことはないし
勉強をしなさと言われたこともない
一緒に遊んだこともほとんどない

たくさんいろんなところに連れて行ってもらった。
でも、家ではほとんど会話もなかった。

いつからか、家に帰って来るのが遅くなった
いつからか、働くことができなくなった
いつからか、浪費するようになった
いつからか、借金するようになった
いつからか、家から出て行った

あまり詳しくは書きたくないけど、小学生の頃から高校まで母親のことで相当悩んだ。

それでも、私は母親のことが大切だ。
いろんな苦労や想いがあったのは分かるから。

そしては母はわたしが20歳の時に病気で倒れた。
意識は2年近くない

悲しくて辛かったけど、どこかで安心した自分がいた。
最悪の娘だと思う。

母への不安
・また楽しく話がしたい。

祖父母

わたしが今こうして生きていられるのは祖父母のおかげだと思う。

大切な人たち。

兄弟は祖父母に育てられたようなもの。

住む場所を与えてくれて
生活をさせてくれて
勉強道具を買ってくれて
高校に進学させてくれて
旅行にも連れてくれて
食事を作ってくれた

母親は祖父母からも相当の金額を借りていたから
お金で喧嘩をしていたし、父親とも仲が悪かった

毎日喧嘩の声が鳴り響く家でわたしは祖母の愚痴を聞く役目だった。
喧嘩のクッションのような役割。

家族全員が仲が良かったことなんて記憶にはない。

小学生の頃、親と先生の面談に流す動画を撮ろうという時間があった。
先生は「両親へありがとうの気持ちを伝えよう」と言っていた。

1人ずつみんなの前で親へのメッセージと感謝を言う動画を撮る。

大体が「お母さん家事をしてくれてありがとう」みたいな感じ。
一緒に遊んでくれてとか、料理作ってくれてとか。

わたしは何を伝えればいいかわからなかった。

時間はどんどんなくなってくる。発表してないのはわたしと数人だ。

わたしがみんなの前で言ったのは「ハウステンボスに連れて行ってくれてありがとう。」

嘘をついた。

ハウステンボスには祖父母との旅行だ。

何も出てこなかったわたしは、祖父母と行った最近の旅行を発表するしか思い付かなかった。

翌日、学校のカメラが古かったせいか調子が悪く映像は流さなかったらしい。

母親の機嫌が悪くならなくて良かったと安心したことを今でも覚えている。

祖父母もそんなに若くはない。
病気もたくさんしている。
大切にしたい。恩返しをしたい。と思うたびに何もできない自分が辛かった。

祖父母への不安
・これ以上負担をかけたくない
・生きているうちにどこか旅行に連れて行ってあげたい
・元気でいてほしい
・弟から解放されて欲しい

姉とは、高校卒業してから仲良くなった。

割と嫌いだった。
性格が合わなかったから。

今は好きだ。

学生時代はお互いに苦労した。
親のことで辛いことも多かったから、支えあえばよかったのにね。
喧嘩しか記憶ないや。

今は、普通に仲が良くなってよかったと思ってる。

姉よ。
がんばれ。

クソ弟

悪口を書けば3万文字以上になりそう。
まとめるとクソみたいなやつ

末っ子だったから、母親にとても可愛がられていた。
兄弟で男が1人だったってのもあるかも

わたしは小さいことから妬んでいた。

なんで、最後に生まれたからってあんなに可愛がられるのか。
だから最初っからウマが合わない。

高校3年生の受験時、お金がないから大学はいけないとわかっていたそれでも勉強は頑張ろうと思っていた。

そんなとき、急にわたしの部屋がなくなった。部屋の荷物が全て出されていた

犯人は弟だった。エアコンがついていないという理由からわたしの部屋を弟の部屋に勝手に変えた。

そのとき全ての感情が悲しみに変わった。

翌日たぶん受験だったような気がする。だけど夜中中泣いた。
もうどうでも良くなった。

家族の中でどれだけ頑張っても家での居場所すらないんだって感じたから。

弟は中学もろくに行かない引きこもりになった
高校は通信に入るけど一瞬で中退
バイトも続かない
祖父母にお金をせびって暮らすクソ

全ては母親が悪い。
を言い訳にして母親と同じような生活をしている

自分に構って欲しい。愛情が欲しい。その反動でヤンキーになったのは兄弟だからわかる。気持ちも少なからずわかる。

それでも全ての責任を母親のせいにして逃げるのは違うと思う。

正論を言って喧嘩をしたところで弟がする行動は暴力。
暴れて家を壊す。
ドアやガラス、襖はたくさん壊された。
子機も投げて壊され
わたしのウクレレは半分に壊された。
パソコンも壊されかけたけど、おじいちゃんが止めてくれた。

あるとき、何で喧嘩をしたのかもわからいくらいしょうもないことで喧嘩になった。殺してやると言われて包丁を持って追いかけられたこともある。

自分の意見が通らなければ暴力で解決。

最悪だ。

わたしは県外に逃げた。

一緒に暮らしていた祖父母や父親は相当のストレスだったと思う。
そして今も。

弟への不安
・祖父母の大切さを早く気づいてほしい
・ちゃんと自立して欲しい

***

ただの人物紹介でこんなハード。
書いていて疲れた。

書き出した不安は9割“家族問題”だった

1割は今の生活への不安だったけれど、家族の不安が大きすぎて今がままらない状態になってるって言われた。(てことは、10割?)

こんな状況を10代の友達に相談できるわけもない。
相談できる大人もいなかった。

だから、1人で抱え込んだ。

なるべく幸せそうな家族であるように見せたし
悟られてはいけないと思って自分を軽めのキャラにした。

だから、学生時代のわたしを知っている人は家族と仲のいい普通の家庭の女の子だと思っていたと思う。

悩みを恩師に伝えたときは、なんだかスッキリしたように感じたのに加えて申し訳なさが積もった。

誰にも言えないような話を聞いた側もそれなりにダメージが入ると思うから。
これも一種の呪いだと勝手に思っている。だから、これを読んでいる人も多少苦しいと感じる人もいると思う。ごめんなさい。

わたしがお金に執着している理由

「この話を聞いて、ゆりのちゃんがお金に執着している理由がわかったような気がする」と言われた。

まず、わたしがお金に執着しているのを見抜かれていたのが恥ずかしすぎて笑ってしまった。

わりとお金を稼がなくちゃと日頃から思っているタイプ(稼ごうとしているかは別問題)恋人からは「ゆりのはお金のことを気にしない方がいいと思うよ」とアドバイスされるほど。

「きっと、ゆりのちゃんは家族のお金問題を解決しようとずっと考えてきたんだと思うよ」と言われたときに自分で自分を呪っていたことに気づいた。

わたしが家族の問題を解決しないといけない。

これが自分にかけたわたしの呪い。

漠然とした不安の中身を考えてみるとほとんどが家族のことだった。
そのどれもが重くてすぐには解決ができないようなものばかり。

しかも、なんで悩んでいるかも分かっていなかった。ただただ漠然とした不安として向き合ってすらいなかった。

これが20年間悩んでいたわたしにかかっていた呪い。今は強力すぎてどうすることもできない。

それでも自分の不安に向き合うことができた。
小さなことかもしれないが、わたしにとってはとても大きな出来事だった。

わたしは呪いから解放されたわけではなく、これから苦しいことにも向き合わないといけない。

「今回で全て解決することはできない。でも1つ言えることは、ちゃんと頼ってね」と言ってもらえた。

わたしはこれから少しずつ向き合うことになる。
自分自身にかけた呪いから解放されるために———

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