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愛してもらえなかったほうの話

短期間のあいだに、劇団四季の「ライオンキング」と映画「ハリー・ポッターと賢者の石」を再鑑賞する機会があった。

どちらも子どもの頃、なんどもなんども見返した私のバイブルだ。

だけど大人になって改めて見てみて、なんだか切ない気持ちになってしまった。ライオンキングでは悪役のスカーに、ハリポタでは意地悪なペチュニアおばさんに、なんだか感情移入してしまったからだ。

スカーとペチュニアには、大きな共通点がある。二人とも、兄弟・姉妹と比べて受け取った愛の総量が少ない存在なのだ。「持たざるもの」として育ってしまった人間(と、ライオン)。

もっと愛してほしかった、という声が聞こえるようで、大人になった今みていると胸がぎゅっとなってしまう。

スカーなんて特に顕著だ。兄と弟、生まれた順番が違うだけなのに、一方は王位継承者だともてはやされ、もう一方は日陰で暮らさざるを得ない。そりゃ捻くれたくもなるよな。

コミカルに描かれているけれど、スカーの吐くセリフはわりかしヘビーだ。

「俺は誰にも愛されなかった」
「子どものときですら、愛されなかった」
「兄が持っていて俺に欠けているものはなんだ・・・?」

スカーが欲しかったのは愛情なわけだから、目障りな兄を殺したところで満足できるはずがない。たぶんほんとに彼が欲しかったのは、権力ではなく、兄に注がれていたのと同じくらいの愛情なのだろう。

自分がきょうだいに比べて愛されていなかったなんて言うつもりはないけれど、他人の持っているものがあまりに眩しく見えて、その人を丸ごと嫌いになってしまいそうな気持ちには親近感がある。

まさかこんな気持ちでライオンキングを観る日がくるとは思っていなかったけれど、これが大人になるということなのかな。

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