自分の信念をもつことと、他人の信念を否定することとは全く別物だと思う

タイトルのまんまですが、これはもう、めちゃくちゃ自戒を込めての話。

写真を例に考えてみよう。

私自身はもともとスケッチの代替として写真を始めたという経緯があるので、写真をレタッチすること(=明るさ・色味を調整すること)にはなんの抵抗もない。むしろ、自分が感じた景色をレタッチによって再現するプロセスに楽しさを感じる。絵を描くように、まぶたに焼きつけた色を画像の中にに取り戻していく作業はひじょうに楽しい。

その一方で、レタッチや加工のたぐいは一切やらないと決めている人もいる。理由はそれぞれだ。レタッチすることへの拒否感を持つ人もいれば、レタッチを始めるとキリがないのであえて「撮って出し(撮ったあと、なんの手も加えない写真のこと)」にこだわる人もいる。

写真には法律なんてないのだから、100人いれば100通りの楽しみ方があっていい。自分のやり方に信念をもつのは、すばらしいことだ。

なのにしばしば、レタッチするかしないか論争みたいなものはネット上で巻き起こっている。論争自体が悪いとは思わないけれど、「レタッチするやつはバカだ」「レタッチしないやつはアホだ」みたいな終わりのない悪口合戦を目にしたことある人、多いんじゃなかろうか。


別にレタッチにかぎった話じゃない。好きなカメラメーカーだろうがレンズだろうが、なんだって同じこと。それぞれが好きを突き詰めればいいだけのこと。そこに善悪も上下も存在しない

なのについ、ほかの人のやり方にまで口を出したくなってしまうときがある。これはほんとうに良くない。

自分のやり方を正当化したいがために、ほかの人を引き合いに出しておとしめる。これは、誰も幸せにならない。だけど恐ろしいことに、無意識にやってしまうときがある。

わかりやすいかと思って写真を例にあげたけど、別に写真だけの話じゃない。

「大企業に就職するやつは頭悪い」「フリーランスになるやつは後先考えてない」みたいなさ、そういう話、毎日目にする。その人が進みたいと思う道があるのはいいことだ。だけど隣の人の道にいちゃもんつける必要なんてない。ひとにはひとの事情がある。そんな当たり前のことでも、つい忘れそうになってしまう。

自信がないときほど、ついそういう言葉を口走ってしまいそうになる。比較対象をつくらないと不安だから。

気をつけねばな、と思う。

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